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亡き父の残した言葉

令和3年施餓鬼法要

8月8日に大慶寺の施餓鬼会(せがきえ)を終え、15日を以てお盆の棚経が終了した。

今年も例年とは違うお盆。6月頃までは、昨年とは違って例年に近い形で迎えられるかとおもっていたが、そうではなかった。

オリンピックが終わりに近づくにつれ、陽性者数が急に増えてきた。8月4日に静岡県内にまん延防止重点措置が適用されるとの報道があった。しかも適用は8月8日から。つまりは大慶寺の施餓鬼会の日からだ。

この報道を受け、まず大慶寺としてどのようなスタンスを取るかを明確にして、檀家さんに伝えようと思い、兄や総代さん達と相談をした。

・藤枝市に適用されるかはわからない
・都心並みの感染者数ではない
・ワクチン接種がすすんでいる
・各家庭で事情が様々

等の理由で、大慶寺として施餓鬼を中止したり、盆の棚経を一方的に中止することはなく、各家庭の意向を尊重することにした。

つまり、施餓鬼は予定通り行うが参列は任意。家の事情や、体調などをそれぞれが判断をして、参列してもよいし、参列しなくてもよいとし、
棚経も基本的には予定通り伺う姿勢ではいるが、家庭の状況によりご辞退いただいても構わない。

という旨の葉書を、施餓鬼の案内をした全檀家さんに向けて、8月5日の日に投函した。

文書での伝達はむずかしい。とくに葉書は文字数が限れれるし、コチラの意図と違うように受けとられることもある。
「無理に参列しなくてもよい」→「遠回しに来るなと言ってる」と捉えられる可能性もあるし、「棚経を辞退していただいても構わない」→「間接的に、辞退して欲しいと言ってるのかな」と受け止められる可能性もある。

大慶寺の本心としては、施餓鬼には来て欲しいし、棚経も一軒一軒伺ってお経を上げさせていただきたい。けども、押しつけることだけはしたくなくて、各家庭の最適な方法を選択したいただきたいとの思いだ。

そんな形で静岡県内にまん延防止重点措置が適用され始めた8月8日に、大慶寺の施餓鬼会を厳修した。

こういう時期なので、参列者も多くはないかなと思い、40~50脚の椅子を間隔を空けて並べた。
例年は120名以上の方の参列はあるので、寂しい気持ちがありつつも、昨年は総代・世話人と初盆の方のみの参列だったので、一般の参列も迎え入れることができる事に喜びも感じ、また一方で、来て欲しいけど、無理には誘えないというモヤモヤした気持ちがあった。

しかしながら、いざ法要が始まる頃になると、用意していた椅子も8割近くが埋まり、法要が終えることには足りないくらいの参列者があった。
世話人さん達が追加で、距離を測りながら椅子を並べてくれていたようだった。ありがたい。

こういう時期に大人数が集まることは憚られることかもしれないが、8日の日は藤枝市はまん延防止重点措置の適用ではない事、お堂に入る前の検温・手指消毒・マスク着用の徹底、さらには、大慶寺本堂はキャパがMAX200人は入るので80人でも余裕があることをあげれば、善かったのではないかと思う。

なにより法要が終わり振り返った時に、馴染みの方が坐っている光景を目の当たりにしたとき、とっても嬉しい気持ちになった。

法要後の法話を終え、施餓鬼塔婆を配布しながら雑談をしていると、やはりあの葉書を送ったことで安心したとのご意見もいただいた。

葉書を送ることで、返って変な形で捉えられて、誤解を生むのではないかとも思ったが、結果としては迅速に大慶寺のスタンスの葉書でご案内出来たことは正解であったのだと思う。

お盆の棚経

さてお盆に入り棚経だ。藤枝市も陽性者数が増えていたので、携帯のアルコールスプレー、マイライター、マイりん棒を持っての棚経だ。なるべくご家庭のものへは触れないように心がけながらお経を回った。

辞退するお宅も2~3割はいらっしゃるかなと覚悟はしていたが、思いのほか辞退する方が少なく、1~2割程度であった。

来て欲しいと思ってくれているということはとても嬉しいことだ。

お経をあげさせていただいた後は、短い雑談をするのだが、法話箋の話やコロナの話が多く、改めて毎月の法話箋の重要さに気づく。

亡き父の残した言葉

さて、今回の棚経で「父の残したある言葉」がとても重くのしかかった。
それはお坊さんとしてのあり方でもなんでもなく

「線香を立てるまでは上跪(じょうき)が肝」

という言葉だ。(マジでどーでもいい言葉)

ちなみに上跪というのは別名「跪座」とも言い、正座から、両足を爪立てた姿勢である。正座のようで正座でない姿勢と理解してもらって構わない。(下記のURL参照)

というのも棚経で家に伺う際に、いざお経を始めるまでのルーティーンがあり、基本は以下のようになっているのだ

①仏壇の前に着座
②アルコールスプレー
③木しょうを出す
④ろうそくに火をつける
⑤お線香に火をつける
⑥合掌
⑦リンを打ち読経開始

そこで、亡き父はこのお盆の時期になると夕飯の時に、「線香を立てるまでは上跪(じょうき)が肝」という僕にアドバイスをくれていた。

ほぼ毎年と言ってもいい。

けど、若かれし僕は、いくら正座をしても疲れ知らずで、この言葉を特に重く受け止めもせず「ふーん」くらいに思っていた。
それもそのはず①から⑤のルーティーンはたかが30秒くらいだ。ここを正座しようが上跪であろうが、さして変わらない。

ところがだ、父の「線香を立てるまでは上跪(じょうき)が肝」という言葉が今年はとても重くのしかかった。


そういうことだったのか、、、、、


私も36歳を迎える。
住職としてのプレッシャーと比例するように体重も増え、反比例するように膝が衰える。


たかが30秒だが、1日40件以上回るんだ。
1200秒つまり20分だ。それが何日も続く。


体験して、初めてわかることがある。

年月を経て、あらためて納得することがある。

その立場になって、気づくことがある。

僕は父のことを、ちっとも理解をしていなかったんだ。

(ここまでは前フリね)


特別記念度蝶(どちょう)交付式

さて、今年は日蓮聖人が生まれて800年という記念の年である。日蓮宗では様々な取り組みを行っているがその中の一つに「特別記念度蝶(どちょう)交付式」というものがある。

度蝶(どちょう)というのは、「得度(とくど)の牒(ふだ)」の意で、お坊さんの一歩を踏み出す子弟に、証明書を交付する儀式。

日蓮宗では日蓮聖人が出家得度されたお寺である、千葉県の清澄寺にて実施をしている。今回は「特別記念度蝶交付式」ということで、日蓮聖人がお生まれになった誕生寺にて師僧と子弟ともに研修を行いながら開催することになった

特別度蝶_ページ_1

当初は、2泊3日の予定であったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、1泊2日で縮小しながら開催することとなった。

なぜこの話をしているかというと、上記のチラシのようにその「特別記念度蝶交付式」の研修の講師を僕が勤める事になった。しかも師僧に対する研修を。。。。

ただ、僕は36歳。住職に成り立ててで、子弟もいない。しかも今回の参加者はみんな僕より年上だ。


そんな僕が何故、依頼されるのか?適任者は他にいるはずだ!
と、1度はお断りもした。

そして、何故僕なのかうかがったところ。

「師僧として話すのではなく、あなたが師僧から学んだことを話してください」

ということであった。

なるほど、それなら話せなくもないとも思い。今回の依頼を引き受けたものの、8月に入っても、資料づくりが全然進まないし、何を話そうかブレブレで日時だけが過ぎていった。

そして、頭の中に「何を話したらいいんだろう」という思いを抱えたまま今年の、施餓鬼・お盆を迎えた。

施餓鬼を終え、お盆のお経を周りながら、いろんなお話をしていくと、不思議なことに話したいことがまとまっていく。

父はそこにはいないが、父とも対話ができた気がする。

亡き父が残してくれたことは
「線香を立てるまでは上跪(じょうき)が肝」
だけではない。(当たり前だ)

お坊さんとしての姿勢としても、たくさんのことを受けとった。

「やり方」も「あり方」も

だから、今回テーマを「僧形」とした。

「僧形」とは「お坊さんとしてたいせつにしていること」

である。

師僧の僧形を振り返りながら
自分の僧形と向き合い
子弟に引き継いでもらいたい僧形

を考えれるような研修にしたい。



体験して、初めてわかることがある。

年月を経て、あらためて納得することがある。

その立場になって、気づくことがある。

まだまだ僕は父のことを、ちっとも理解をしていない。

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