見出し画像

師父の遷化

記事を遡りたいので

FBでつづったものを

リライトしてnoteに転記します

=================


なかなか書くのも躊躇しますが「今」の思いをログするために書きます。
  

FBは自分の記事を遡る事は不向きですが、来年の今頃「1年前の投稿」的なのでタイムラインで再び現れることを願って
 
 
 
 
 
明日静岡新聞の訃報覧に載るので今日中に皆様には伝えます。 
 
 

書きすぎだ!デリカシーがない!


と言われるかもしれないですが自分自身の整理の意味も含めて書きます。
    
 



師父の遷化

 
9日の朝、父であり、師匠であり、大慶寺の先代である
 大場正昭上人が遷化した(亡くなった)

満で66歳。 

2年前の3月に肺がんステージ4を宣告された

当時、日蓮宗の宗務院(神社でいうところの神社本庁)の部長として奉職しており単身赴任をしながら、勤めていた。 
  
日蓮宗という大きな組織は時代対応していない部分も多く、
「宗門(日蓮宗)を改革する」と日々意気込んでいた。
  
家でも常に「変わらなければだめだ」と言っていた。
 
とはいえ、思ってる人は多いけど、「実際に変えようとする人」は少ない。
  
なぜならば、変えれる立場になれないと変えれないからだ。  
   
   

一方、大慶寺の日常の法務は、基本的には私が勤めており、この頃から徐々にバトンタッチをしていった。


そんな矢先だった。 
  
     
 

体が痛いと言い、病院に行った。そこで病癌を告げられたのだ。
 
すぐ に入院になる予定だったが、「2時間時間をくれ」とお願いし

入院する直前の2時間、お寺に戻ってきた。
 
 
そこで何をしたかというとまずは大慶寺の様々なデータを僕に渡してくれた。
  
そして「遺影をとるぞ」ということで衣に着替えて遺影を撮る


さらに、

もう一つ僕の母親(父の妻)の法号(戒名)を考えていた。 
   
  
  
  
 
末期癌宣告された人がやるコトかよ、、、、

と思いつつ
 
 
自分が先に逝くことがわかった上で、母の事が心配なのねw
  
 
 
 
よくもそこまで、その現実を受け入れられるなと関心をする。
 
 
 
そして僕は当時、号泣をしたのを覚えている。 
  
  
 
「悲しい」というより「悔しい」という気持ちの方が強かったかな
 
  
 
「予期悲嘆」という言葉がある。 
 
 
大切な人の死が訪れる前に、家族は大切な人の死を想定して喪失感を抱き、心理的反応を示すことだ 

  
くしくもその時「僧侶のためのグリーフケア連続講座」を受講していた。
 
「あぁこれが予期悲嘆か、、」学びを体験することとなる。
   
  
 
そして、それと同時に考えた事がある。


我々僧侶は法事を通して死後のケアはできるが、グリーフケアは決して死後だけのことではない
  
亡くなる前から関係性を育んでいかなければと強く思った。 
  
   
 

   
  
その後、父は残された時間は「宗門のために使う」と言い
  
末期癌を宣告されながらも部長職を続けた。 
 
   
今思えば体はかなりしんどかっただろうに
 
 
善くそこまでやったな、
   
 
 
 
『自分だけよければいいんじゃないよ。』
 
 
 
父が死を目前にして、そこまで体現していった事は子として、弟子として誇りに思う
 

父が大切にしたいことを、大切に生きたんだと

僕はそこから『いのちの使い方』を

学ぶこととなる。 
 
  

 
 
 

とはいえ末期癌の身。
  
 
 
徐々に体の衰えが出てくる

 
 
やはり東京での単身赴任での勤めは厳しく
 
やむを得ず「辞職」をし
 
藤枝に戻り静養するようになった。 
 
 
 
そこからは徐々に徐々に
 
歩くのが難しくなり
  
食べるのが難しくなり
 
しゃべることが難しくなり
 
呼吸をすることが難しくなっていった
 
 
   
 
  
昨年の年末のことだ、


僕の家族がインフルエンザなった。
  
   
 
父に移したら大変な事になる。
  
 
ましては僕に移っても、お寺が回らなくなる。 
  
  
 
 
致し方無く、家庭内別居をし
 
 

2Fに僕の妻と子ども

1Fに私と母と父で生活することになった。
 
 
 
物理的に父と近くなることで
 

ちょっとしたことでも
 
今まで以上に介助するようになった。 
 

トイレに行きたいと言えば

手を繋いで一緒にあるき

トイレまで連れて行く。 
 
 

台所に行きたいといえば

手を繋いで一緒に歩いた。
 
 
 
 
父と手を繋ぐなんて
 
いつ以来だろうなどと考えながら

 
妻と子どもがインフルにかかってる中

不謹慎にも

「あぁこういう時間もいいな」

なんて思ったな。(ごめん 笑)
 
 
 
 
そして、年末年始から

急に衰えはじめる。
  
 
肺炎の疑いがるということで
  
入院をしたが

戻ってきて家で療養をした。
  
  

 
ここで訪問介護や訪問看護の方に
 
大変お世話になることとなる。 
  
 
 
 
技術的な事はもちろん
 
精神的な支えにもなった。 
  
 
 
 
自宅で看る人にとっては
 
なんともありがたく
 
頼りになる存在であった。 
 
   
 
 
 
一昔前、出生率が急上昇していた時代。  

社会的な要請で

お寺が幼稚園を作ることになった。 
 
 
 
対して多死社会を迎える現在

病院のベッド数も限られる中
  

 
自宅で看取るという選択肢も

再び上昇していくのではないか。 
 

もちろん「自宅」に限らず

病院以外で看取るということが増えるであろう。 
  
 
 
その時に訪問看護、訪問介護の方達の力は莫大だ。 
 

現に国の施策も訪問看護ステーションを増やそうとしている。 
 
 
 
 
そういう時代の流れから

昔お寺が幼稚園を作ったように

今後はお寺が介護施設、訪問看護ステーションなどを

率先して作って時代なのかもしれない。 
 
 
 
そこでの僧侶の役割は「ケアする人をケアする」こと 
 
看護士、介護士を含めケアする人は精神的な負荷も多い。 
 
そういうケアする人をケアする役割は僧侶は担えるのではないかと思う。 
 
 
 
そして現在「死」を迎えるにあたって

亡くなるまでは看護・介護の領域

亡くなる後は葬儀社ならびに宗教者の役割となっている。 
 
 
 
担い手が変わるのは致し方無いことかも知れないが
 

情報共有が行われておらず
 
「サポートの断絶」がおこっており
  
バトンタッチがされない現状がある。 
 
 
しかしながら
 
お寺が積極的に「看取り」に関わることで

生老病死のトータルケアができるようになるのではないかと思う。  
 
 
 
  

このことは父の「死のプロセス」から

僕自身が体験しながら学んだことで有り

父からの何よりのギフトだと思っている。 
  
 
 
 
 
さて、

そのように容体が徐々に悪くなっている中

2月8日に「総代世話人会」を行った。
 

お寺の「株主総会」的なもの。 
 

この日は3月29日に予定してた

「落慶・入退寺式」の詳細を詰める予定だった。
 
 
 
FBでは伝えてなかったが

現在大慶寺を引き継ぎ

書類上は住職となっている。 
 
 

そのお披露目するのが入退寺式だ。

わかりやすく言えば社長就任式のようなものだ。 
 
 
そして大慶寺では、改修事業を行っており

その工事も大方終了したため

落慶式を兼ねて「落慶・入退寺式」を行う予定だった。 
 
 
 
 
 
いわゆる『お祝いの式』である。
 
 
 
 
しかし、総代世話人会で

父の容体を伝え
 
 
3月29日までは命を繋ぐことはできないかも知れないのではないか
 
 
「落慶・入退寺式」は急ぐ必要もないんじゃないか
 
 

参列者みんながわだかまりなく、祝える環境で、行うのがよいのではないか
 
 
ということで


来年に延期になった。 
  
 
 
 
総代世話人会が終わったあと

父に「落慶式は延期になったよー」と伝えた。 
 

もうその時には

言葉がでず、反応もない。

耳は聞こえてるのかも知れないから

とにかく話しかける。 
 
 
 
 
 
そしてその晩2月9日の朝、
 
 
 
 
 
寝ながら息を引き取った。 
 
 
 
 
「落慶式が延期したから、もう頑張らなくていいよ」

 

と死の引き金を引いてしまったのではないかと

後悔をした。 
 
 
 
 
けど

「楽にしてあげたのかもしれない」
 
 
だいぶ頑張ったもんな。

今まで無理させてたのかもな 
 
とも思う。 
   
 
 
父を看取る時に一番辛い思いをしたのは

やはり、母親だと思う。 

よく頑張った。

入院してる時は毎日病院に行き
 
精神的にも辛い中よくやったと思う。
  
 
 
そして介護を優先する母

色々と出る事の多い私。 
 
そんな中、3人の子どもを見ながら

お寺を護ってれていたのは妻だ。

ありがとう。 
 


そして大慶寺の法務を

影ながらサポートしてくれる一番上の兄家族。 
 
  

今アメリカで研究医をしていて、

帰ってくることは敵わないけど

セカンドオピニオン的に父の病状を

理解し、助言をくれた次男。  
 

 
 

みんなでよく頑張ったと思う。
  
  


 
 

私達は「亡くなること」を 
 
「息を引き取る」と表現する
 

一般的には
 
 

「父が」息を引き取る 
 
 
  
と言うように用いられるが
 
  
 
一説によると

「私たちが」「父の」息を引き取る

という意味もあるそうだ。 
 
 
 
父の息を引き取る
 
 
父の生き方を引き継ぐ
 
父のあり方を引き継ぐ
 
父の大切にしたものを引き継ぐ
 
 
 
 
 
大慶寺を護る、覚悟と決意を一層強く持った。
 
 
 
 
 
 
 
とあいえ不安もある。 
 
 
9日に逝去してから

様々なかたが弔問に来て下さる。 
 
 
 
父のエピソードを伺う。 
 
中には自分の知らない父の一面を聞くこともある。 
 
息子ながら、父には敵わないなー 
 
とヘコむ。
 
  
 
今、僕が感じていることは

悲しみよりも、不安の方が多いのかもしれない
 
 
 
『父のようにはなれないな』 
  
 
 
けど、僕は自分自身にいい聴かす
 
  
 

「僕は僕だ」 
  
  
  
むしろ言い聞かさないと

堪えられないのかも知れない。
 
 
 
 
 

 
 
実は今日、

仲間と「414カード」を行った。
 
 
「414カード」は私がお世話になっている「幸ハウス」さんが作っているもので

かんたんに言うと「もしばなゲーム」の改良版。

  

死についての対話を促すカード。

詳しくはこちら
https://readyfor.jp/projects/sachihouse414card

  

 
 
 
 
私が大切にしたいなと思ったのは
 
 

「誰かの役に立つ」
 
 
というカード。 
 
 
 
 
これは
 
「今、誰かの役に立ちたい」
 
ということではなく
 
 

「自分の死」が

「プロセス」も「死という事実」も
 
縁ある人に取って

何かしらの意味を持つもの

気づきを得られるもの

になったら

「自分の死」も悪いじゃないなーと思っている。 
 
 
 
 
これは常々思っていてそのために

色んな方と縁を結ぶことが大切だなとも思っている。 
 
 
 
人は関わりあいながらいきているのだから。 
 
 
 
 

この文章を書きながら気づいたことがある

自分の死が(プロセスも含め)

「誰かの役に立ちたい」 

という思いがあるは
 
 
 
事実

父の死が

僕にとって大きな学びと

住職になるための試練と

家族への感謝を

教えてくれたから

なのかもしれない 
 
 
  
 
ありがとう。





大慶寺公式LINE

気軽な相談などはこちらから
https://lin.ee/vbqP4MN

Local Temple Labo藤枝

LocalTempleLaboは
「お寺×○○」のプロジェクトの
アイデアと実践を生み出す
『苗床』となる場です
https://www.facebook.com/groups/360726984644539/

大慶寺公式LINE イベントや各種行事の案内 気軽な相談なども可能です https://lin.ee/vbqP4MN