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「意味」を持たない句読点の大切さ

今月の掲示板です。

問い合わせが結構多かったので補足しますね。

わかる人にはわかると思いますが、

「?」と思う方もおられるかと思います。

句読点(くとうてん、英: punctuation)とは、句点(。)と読点(、)の総称である。最も狭義には終止符(.)とカンマ(,)のみを指すが、より広く疑問符(?)や感嘆符(!)、省略符を含む場合、さらに広義には括弧、カギ括弧などの文章に使う様々な記号(約物)を含む場合がある。(Wikipedia)

皆さんご存じのことだと思います。

句読点の意味?って何でしょう?

例えば
「今日私は朝食でパンを食べた」

「今日私は、朝食でパンを食べた」

2つの文章の意味は変わりません。
つまり、句読点自体には「意味はない」とも言えますね。

しかし、句読点がある文章と、句読点のないとだと文章の「リズム」が変わりますよね。

「あり方の意味」というべきですかね。
「意味はないけど、意味がある」

不要不急と言う言葉

さて、去年は新型コロナウイルスの影響により『不要不急』の行動が制限され、様々なものを手放して過ごしましたね。

特に緊急事態宣言下では、多くの事が制限されました。
未知のウイルスでありましたし、新型コロナウイルスについて「わからないこと」が多すぎたので、あの時は致し方ない対応だったのだと思います。

自分の生活はこれほどまでに「不要不急」なことにまみれていたのかと思い知らされました。

一方で、「不要不急」のものの中に、人生の豊かさとか、生活のリズムがあったんだなと実感も致しました。

「不要不急」は生活には意味のないこと

とも言えますよね。

さて、今年は新型コロナウイルスの感染が広がりだしてから2年目になります。

昨年「不要不急」という言葉で、手放したたくさんの「コト」。

自分人生の中においての「あり方の意味」を改めて考えて今年は行動したいですね。

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