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あらがうことなく受け入れる姿勢

わたしは最近すごく大事なものをなくしちゃった。

私の趣味は二つある。一つは人間観察。例えば、次男君とか次男君とか。

彼が幸せになれそうな情報にアンテナを貼り、彼の行動を一つ一つ観察して何をしたらできるようになるのか、また楽になれるのか日々見ているという趣味。

もうひとつの趣味は動物だ。人間以外の生き物が好きすぎて困るくらいに大好きだ。でも家族にできる動物って限られているじゃないですか。

だから家に犬が三匹と猫が二匹いる。家計と自分のできる世話のことを考えると最大MAXの数が今である。いや、あった。この間まで。


猫はいわゆる日本猫が二匹。いづれも愛護ボランティアさんから譲り受けたかわい子ちゃんたちだ。犬は三匹全部プードルだが、一匹はやたらと大きいスタンダードプードルだった。

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我が家は大事なことを決めるときに家族でビンゴゲームをして勝者にその決定権を委ねる。そのスタンダードプードルの名前もそんな命名権獲得ビンゴゲームの果てに、当時幼稚園年長だった娘がつけたのだ。その名も「マットチャン」

本来動物病院などで呼ばれる名前は「マットチャンちゃん」であるはずなのだが、まさかの名前にチャンが入っていることに気がつくはずもなく、自然と川が流れる時に出るα波のようにするりと彼女は「マット」と呼ばれるようになった。

馬のように長い足でのっしのっしと歩く姿と私のトリミング技術の無さでいつもつるっぱげにされていた彼女は、どこへいっても「何犬ですか?」と聞かれていた。(写真は小さい犬を潰す大きな犬)

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マットは岩合光昭さんの世界猫歩きが大好きで、番組が始まるとテレビの前を陣取ってしまう。頭がアフロだった時は、ソファ越しにまるで具志堅用高さんが我が家に来ているように見えた。

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そんな中、私は友達が保護した子猫を二匹家の中に迎え入れた。可愛い可愛い子猫に私もうっとりしていたのだが、私以上にうっとりしたのはマットだった。「あのテレビの中でしか見ない、あの子達が、うちにいる💗」とばかりにブンブンしっぽを振って愛でていた。舐めて舐めて舐めまくっていた。

それまでは、私は完全犬派だった。猫には可愛いけど家族にした衝動は一度も感じたことはなかったのだが、あまりにマットが子猫を愛でるので、マットにのっかるように私も猫が好きになった。今その時の子猫は親友の家の家族となって暮らしている。

あまりにマットが岩合さんの番組を、そして猫を愛するので、私はとうとう家に迎え入れてしまったのだ。それが今いる二匹のサビネコたちである。最初の猫は「マット」にちなんで「たおる」。これは長男が名付けたものだった。(超絶猫を見守る犬)

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さて、なくしものの話に戻ろう。

1ヶ月ほど前にマットの目にやたら白い目やにが出ることから病院を受診した。そこで血液検査と点眼薬を処方され、様子を見ることに。この時は血液検査の結果はとてもよかった。薬がなくなり受診した時に、内臓系の病気の可能性が出てきたので、今度は点眼薬と薬を服薬をすることに。次に行った時に血液検査をしたところ、貧血がひどいことがわかり、お薬の服用のみに切り替わり。次に行った時に前回のお薬が効いていたことが血液検査でわかり、そのまま服用を継続。。。している最中に亡くなった。薬の服用を始めてからみるみる痩せてきた。それまでどちらかというとふっくらしていたのだが、どんどん背骨や肋骨が出てきた。それでもご飯も水も飲み、うんちもお庭でしっかりしていた。目はとても元気で生気に満ちていた。

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日曜日の晩、早寝の私は早々ベットに入り、たおるとラブラブな時を過ごし寝ていたのだが。急にマットの意識がやってきて私に「ありがとう」を言った。こんな話どうかと思うが、私が飼っていた歴代の犬たちはこうして私にお別れを言いに来る。それまでマットが調子が悪いことはわかっていたが、まだお別れを言いにきてないから大丈夫だと思い込んでいた。

その日は突然やってきたのだ。

あわててベットから出て一階のマットのいるところに降りてみたら、こちらをみて寝ながら尻尾を振っていた。まだ元気だった。

あーよかったと少しの間体にさわり、携帯を充電しに行こうとした瞬間、マットは痙攣し始めた。犬の発作を初めてみた私は気が動転したが、娘が他の家族を起こしに行ってくれた。痙攣が治るとまたいつものマットに戻ってはいたが、痙攣でだいぶ体力を消耗しているのがわかった。真夜中だったが長男がまだ帰宅していなかったので、マットの死に目に間に合うか心配していると、再びマットが語りかけてきた。

「明日の朝はまだいるよ」

そうかい、ならよかった。と、わたしはその日はベッドで寝ることにした。マットはわたしを膝枕にしてじーっと動かなかった。

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次の日の朝

5時ごろ起きてきた私に、マットがトイレに行きたいと目で訴えた。立ち上がるときに少しだけ助けてあげると自ら歩いて庭に出ていった。小をして大もしたが、踏ん張れないせいかブロックに体を委ねながらいきんでいた。

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そして、また2回目の発作がやってきた。

昨夜のものよりも大きな発作で、マットの大きな体は細い路地にはまり、20キロあるその大きな犬を私も引き出すことができなかった。発作が終わった後も目が戻って来ず、だらんとした身体はいつものマット以上に重く感じた。

それでも火事場の馬鹿力とはこういうことかと思うような力が湧いて、マットをどうにか庭の一番広いところまで引き上げた。

心臓も止まり、息もしていない状態だったマットに私は胸をバンバン叩いて名前を呼び続けた。今思うとあのまま逝かせてあげたらよかったと思うのだが、あの時は必死で、自分のためにマットに生きていて欲しいとしか思っていなかったのかもしれない。

マットは戻ってきた。

次男がちょうど学校が休みだったこともあり、一緒に庭から家の中へと運び入れた。娘も長男も夫もそこでマットに会えてよかった。

他のメンバーが学校や会社に行ってしまった後、私と次男はあっちの世界とこっちの世界を行き来するマットと4時間ほど過ごした。

私の両親も会いにきてくれた。

マットは最後に遠吠えのような声を出して行ってしまった。

行く瞬間、あー行ってしまうんだなっていうのがわかって、呼びかけるのを躊躇してしまったが、心臓に手をあてて、少しづつ動かなくなっていくのを確認しながらお別れをした。

9歳6ヶ月。思っていた以上に早いお別れだった。

死後硬直が始まる前にと泣きながらも、マットの体を小さくキュッとまとめた。それでもあのサイズの犬が私が思っているようにはキュッとなることはなかった。悲しんでいる自分とは別の自分がきちんと色々なことを調べたり手続きをしようとしているのがすごいなと我ながら感心した。

マットは市の合同火葬にお願いすることにした。市に電話して、マットが大きすぎて入れられる箱がないことを話すと、もしかしたら、ビニール製の袋に入れられてしまうかもしれないことを告げられる。ビニール製の袋とはゴミ袋のことだ。精一杯気を遣って言葉を選んでくれたと思われる。

覚悟はしていたものの、結局マットは黒い大きなビニール製も袋に入ることになった。

ビニールの口を縛る時、マットの頭が少し見えていて、泣けた。ゴミ袋じゃない、黒いビニール製の袋なのだと言い聞かせた。

マットは歴代の私が可愛がっていた子達が待つ世界へと旅立っていった。

家族全員マットが大好きすぎて、いまだにマットの話をちゃんとできていない。だけどわかっていることは、マットはちゃんと自分の死を受け入れて旅立っていったてこと。抗うこともなく、きっちり受け入れていた。

だから私もその時がきたらマットのように全て受け入れていきたいと思う。

マット大好きだよ、本当に本当に大好きだよ。

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