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【ネタバレ】ドラゴンズドグマ2 感想・考察【Dragon's Dogma 2】

ドラゴンズドグマ2、発売から賛否はあったと思いますが、個人的には大変楽しめました。Steam版でプレイし、1周目は攻略は一切見ず、ほぼMODは無し、2周目から本格的にMODも入れて、攻略もチェック。

200時間で3周して実績をコンプリート、ポーンバッジのレッサーのみどこかの覚者様に望みを託し、ひとまず終了。概ねの要素は満喫できたかなという感じです。おすすめのMODについてのnoteも、できれば書きたいとは思っています。

手放しでオススメするのは難しいですが、おもしろくないゲームでは決してないでしょう。

今回はひとまずゲームの体験や戦闘、コンテンツについての感想はおいておき、ドグマ2のストーリーと❝世界❞について、個人的な感想や考察を述べていきます。当たり前ですが、ネタバレが多分に含まれます。


エンディング

このゲームのエンディングは大まかに、バッド、ノーマル、トゥルーの3つだと考えています。しかし、クリアをした方なら「あれ? 王になるか、理を断つかじゃないの?」と、なるかもしれませんが、自分はここに❝バッド❞があると思っています。

バッド・エンディングとは「加護なき世界で、命を落とす」ことで見られます、意外と知らない人も多いのではないでしょうか。では順番に3つのエンディングについて大きく振り返ります。( )内は自分の適当な名付けで、公式的なものでは決してありません。

トゥルー・エンディング(ドラゴンズドグマ)

おしゃべり大好きドラゴン

❝ドラゴンズドグマ❞を絶ち、❝竜❞も❝覚者❞も❝観る者❞もいない世界へと繋ぐエンディング。疑問や戸惑いが残るものの、妙な満足感と切なさが混在した、いい終わり方ではないでしょうか。

ノーマル・エンディング(安寧の王)

3周目の覚者 エルフのイノーウエ

月光の塔の選択肢にて、なにもせず立ち去ると観られるエンディング。さすがにここで違和感も感じず、ドグマ2を終えた人は少ないのでは?

バッド・エンディング(世界の円環)

SSの撮り忘れにより、再びおしゃべりドラゴン

先述した通り、「加護なき世界で命を落とす」と発生します。内容は海辺の老人の小屋で目を覚まし、世界が❝加護なき世界❞の前へと戻っている。

まず考えられることとして、プレイヤー(覚者)は❝為せなかった❞ということ。
そして次に、海辺の老人はかつて、❝為せなかった、覚者❞ということ。

このまま、ドラゴンズドグマ2において界王ロセイエスと同等と言ってもいいぐらいに、重要なキャラクターである❝海辺の老人❞について考えます。

❝海辺の老人❞

ドグマ2は声優さんの演技がすごくいい

序盤から出会うことになる、ハーヴ村の❝海辺の老人❞。周りからは狂ったジイさんだと疎まれ、ひとり海辺で孤独に暮らしています。
初見の時点では「よくいるイカれたジイさん」だと思うでしょう。しかし、物語が進み出すと「あれ? このジイさん」と違和感を次第に得ます。

1周目では確認を忘れたが、小屋のベッドの隅には❝刹那の飛石❞が落ちている

その正体は、かつて❝覚者❞であったことは間違いなく、しかもロセイエスと同様に❝世界の理❞にかなり近づいた覚者である。ということ。
そして今の覚者、つまりプレイヤーが為せずに、あきらめたとき。❝世界の理❞によって、彼と置き換わるということ。よくよく老人を観察すると分かるのですが、胸にはうっすら覚者の傷もあります。

かつての覚者だった老人がなぜ為せなかったのか、過去は分かりませんが、置き換わるというのは、盤上の駒を交換するように❝観る者❞によって、老人の存在は消え、プレイヤーがその❝海辺の老人❞という役割になる、ということだと考えています。

次にでは、このドラゴンズドグマ2においての❝観る者❞と、❝世界の理❞について考えます。

❝観る者❞と❝世界の円環❞

ちょっとポーズがかわいい

オープニングからプレイヤーを助け、導いてきた❝観る者❞。ここからですが、ゲームの世界から少し逸脱した「メタ的な部分」を述べることが増えます。

ファンタジー・シュミレーター

それは誰へ向けた言葉なのか

筆者はゲームに問わずインタビューや対談の本や記事が好きで、よく目を通します。そしてドラゴンズドグマ2においても、プレイ前からチェックをしていました。そして発売からストーリーを追う内に、インタビューに時折あった「シュミレーター」という言葉を思い出します。

❝観る者❞とは、覚者を❝観る❞者なのか? その目線や発言は、覚者ではなく、時折プレイヤーに向けられているようにも感じます。そしてもうひとつ、強く連想したモノがありました。そう、あの有名な世紀末の映画「マトリックス」です。

ここじゃないどこか

キアヌかっこよすぎぃ!

もうほぼ四半世紀前の作品になりますが… 「仮想世界マトリックスで生きるネオが、現実世界のトリニティとモーフィアスの干渉によって、マトリックスの世界を抜け出す」… という、イントロダクションでした。

❝世界の円環❞も、映画マトリックスの中の「仮想世界マトリックス」であり、ドラゴンズドグマ2の覚者は、そのマトリックスに気づき「抜け出した」救世主のネオなのです。

世界観として、どこか似ていませんか?

❝世界の円環❞

それでは❝観る者❞とはマトリックスのトリニティ達のように、共に世界を救済へ導く「味方」なのでしょうか?

恐らく、それは違います。言わば❝観る者❞は牧場の主で、自身の飼っている牛や羊が柵の外に出ることは望みません。

はああ!? 分かんないのかよぉ!!

その牧場の❝世界の理❞に気づき抗おうとするなら、❝観る者❞はヒュージブルの力やタロスを使い、阻止しようとします。❝加護なき世界❞を見せつけることもまた、手段のひとつでしょう。

そして、❝世界の理❞に気づいた牛や羊である、ロセイエスや老人は柵を飛び越えようとしましたが、失敗し、❝世界の円環❞に閉じ込められ続けている。

プレイヤーの覚者も絶望しあきらめてくれれば、❝観る者❞にとっては、無事にグッド(バッド)エンディングへと成るのです。

❝観る者❞

ウルリーケと暮らせるなら… 帰りたくない?

ここまでメタ的な話もしてきましたが、改めて❝観る者❞とは、一体なんなのか? まず、彼は「覚者が王になる物語を書いた」者であるということ。

❝観る者❞の目的は明確には分かりませんが、❝観る者❞にとって、ドラゴンズドグマの世界は❝ドラゴン❞と❝人❞が起こすシュミレーションであり、その❝読まれてきた世界❞の中で、ドラゴンと人は、❝ドラゴンズドグマ❞を繰り返し続けてきたということ。

❝観る者❞もまた、円環の枠の中で役割を持った存在であり、❝覚者❞を王にするという筋書きを為したかった。

しかし❝覚者❞と、そしてもうひとりの主人公である❝ポーン❞が役割を否定したことによって、❝ドラゴンズドグマ❞は断ち切られ物語は破綻し、❝覚者❞も❝ドラゴン❞も、役割を失った❝観る者❞も世界から消えた───

おかえりなさい、覚者様

あなたの旅は、どうでしたか

個人的な感想と考察であり、メタとして❝観る者❞は、もっと大きな創り手の❝意志❞だと言える部分も、含んでいるかもしれません。それは正しくもなければ、まちがってもいないと思います。

が、あくまで❝観る者❞も、❝世界の円環❞の物語の、ひとつの役割であり、そこを逸脱はしていないのではないでしょうか。

勢いのまま半日で書いたnoteですが、noteにはドラゴンズドグマ2の感想・考察の記事がたくさん書かれているので、ぜひそちらも読んでみてください。

だいぶドラゴンズドグマ2を楽しみストーリーについて考えてもきましたが、まだこの世界には分かっていないことも、気になることもあります。自分も、もう少し、この❝世界❞で旅を続けなくてはいけません。

完璧なゲームではないかもしれません、ドラゴンズドグマ2。
でも、すごくいいゲームですよ。

ぜひ、ポーンとの親愛度最大のエンディングも、貴方が❝観て❞…
そして、❝為して❞ください。


貴方が覚者様なら… 私たちはきっとまた、お会い出来るでしょう。

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