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大切なお別れ

「あと1時間程度」
混みいった会議中に受け取った電話。
テッちゃんの命の時間の数字。
親戚のおじさんの中では最も若い母の弟。
もっとも優しくて、親しくて、とっても酒癖が悪い。
いつも気になる存在だった。

私の最古の記憶では、自衛隊から帰福したときにトランシーバーをおみやげにくれたヒトである。親戚の退屈な集まりの中で、隣に座って声をかける存在だった。けっこうカッコいいのに人とほとんど話さない。私が大人になるにつれ、テッちゃんの年齢がどこかで止まっている。
「私の父が可愛いがっていた」
「私の父には心をひらいていた」
「捨て猫をよく拾ってくる」

ときどき「耳を疑うコト」を起こす激情型の人間だった。
「急にバクハツして自分を傷つけた」
「大人しいけど、飲むと暴れる」
「不良の従兄弟を棒をもって追いかけ回した」
「飲んだ先で喧嘩して血だらけで帰ってきた」

そんなテッちゃんは、いちご農家の長男。
テッちゃんのお爺ちゃんは、イチゴの産地に貢献した人。
しっかりものの姉2人と、癒し系の姉1人の下に生まれた。
多くの愛情と期待に潰されそうな人生の中で、3人の子供と素敵な奥さんとおじいちゃんと、おばあちゃんと過ごした。

お人好しで、笑顔が素敵で、頼んだら黙っていつの間にか動いてくれる。
テッちゃんはサラリーマンを経て、いちご農家を継いだ。そして長男にイチゴ畑を譲る頃、私の母に頼られ、ある日、わたしたちNPOの菜園に登場した。人に会わない時間に、耕したり、落ち葉をチップにしたりする手伝いを始めてくれた。出荷活動のときにコーヒーをおいしそうに飲んだ。テッちゃんとは、よく声を掛け合った。

余命1ヶ月を言い渡されて、「生きているのが不思議」と言われたテッちゃんは1年を生きた。コロナ騒動で、だんだん会えなくなり、体重が半分になった時に会った時も、抗がん剤に負けず、はにかんだ顔で迎えてくれた。痛いとも辛いとも何にも教えてくれなかった。

4日前に、駆けつけて握った手は、力もなく、置いておくと紫になる。
見つめたテッちゃん目から涙が溢れたけど、私の口からは言葉が出ない。
お別れの時に言う言葉がでなかったのだ。
あの時やこの時のことのお礼も、大好きだってことも。
徐々に目が合わなくなって、長い長いマラソンのような呼吸が、徐々に遠のいて行く。そして最後に2回口を閉じて、呼吸が聞こえなくなった。69年間供にした身体を残して逝ってしまった。私たちを置いて逝ってしまったのだ。

テッちゃんとのお別れは、私の心に三苫の海の凪みたいな美しい静かで安らぎをくれた。忙しい毎日が止まって、平安の3日間だった。初めての経験だったけど、お通夜の人が途切れた瞬間に、私は言い知れぬ優しさに包まれた。

「死と向き合うことは、生きることを考えること」
母が言った。まだ未熟な自分を感じている私の心を奮起させる力を感じる言葉。人生の目的を教えてくれた父、私とともに歩む母、娘、仲間に対する想いを新たに。
テッちゃんのあたらしい名前にテッちゃんの生涯や晩年を想う。
「春和院久安哲道居士」

ここに、テッちゃんに愛と感謝を込めて。
                          令和2年2月5日

      

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