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はじまりの前。

私と堆肥との出逢いは26年前。

結婚後、大阪に住んで友達もいなくて

暇だから何か新しいことをしたみようと思い立ち、

生まれたばかりの長女をおんぶして、

自転車で10分ほどの畑を2畝ほど農家さんから借りました。

まったく野菜の作り方がわからず、

インターネットでの検索でもできなかったことから

実家で昔、野菜を作ってたことを思い出し電話しました。

栽培の質問には答えず

「カエルの子はカエルやね」

と電話の向こうでせせら笑っている母。

母も結婚後、お金もないことから庭にせっせと生ごみを埋め

庭を耕しだしたことを想い出したというのです。

「えー、生ごみ?」

「庭が健康になるとよ」(博多弁)

はじめは半信半疑だったのですが、ほかに先生はなく、

仕方なくコンポストというものを始めてみることにしました。

証券会社でワンレンボディコンだった自分が

(その当時はそれがいいと思っていたので)

身体にバツ印にかけられた

超でっかい長女(4㎏で生まれてドンドン育った)

のおんぶ紐が肩に食い込み、

生ごみをバケツに入れ、麦わら帽子を深くかぶって

ママチャリで自転車をこぐことになりました。

通りがかった店の窓に映る

変貌した自分の姿を見て複雑な気持ちでした。

「まあ、いいや知り合いいないし」

畑は小川の横にあり、元は田んぼのだっだそうで

水はけが悪い重い土でした。そこで

まずは、生ごみを埋めていくことから始めました。

その時は、堆肥という感覚ではなく

埋めたらそのうちなくなっていって溶けるんだという印象でした。

母からは電話で

「コンポスト容器ば、買ってみんしゃい」

と言われていましたが、2畝のスペースではまだ検討できませんでした。

そのうち、

私もやってみようかなというママ仲間ができて、

自転車3台連なって畑に行っては

せっせと小さな野菜のお世話に一喜一憂する日が続きました。

独身時代の友人には、信じられないと言われつつも

新しいローカルな小さな幸せ探しが気に入っていました。

まもなく

父の病気が発覚し、福岡に帰ることを決断したのを機に

あの畑を手放し、

私のコンポストストーリーがはじまりました。

たいら由以子

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