年を取って「劣化する」と言う人への反論

Twitterで「夫がテレビの中の女優を見て「劣化したなあ」と言っていた。自分だって年を取るのに。」(要約)と呟いた人がいた。人に対して劣化という言葉を使うなんて、ありえないことだ。しかし、どうやら、そうは思っていない人が少なくないことにコメントを見ていて気付いた。

・人は誰でも老いるので劣化するものだ
・口に出すべきではないが、そう思う
・テレビの中の人に対する言葉であれば構わない
・努力している人は劣化しないが、努力しない人は劣化する
・あなたの意見と夫の意見が違うだけで、どちらが悪いという訳ではない
などのコメントがあった。どれも信じられない意見だ。

今年の初め、ドラマ『逃げ恥』スペシャルで、星野源さん演じる主人公の上司が同じ会社の女性に対して「劣化した」と発言し、主人公が反論するというシーンがあった。私はこれはかなり大袈裟な演出だと思っていたのだが、もしかしたら日常的に起こりえているシーンなのかもしれないと思った。

まず、劣化とは物の質が悪くなることだ。人には使わない。年を取って筋力などが衰えるのは『老化』だ。「腕が折れたから治す」とは言うが「腕が壊れたから直す」とは言わない。物に対する言葉を体に対して使うことに違和感は無いのだろうか。

次に、人は年を取って悪くなっていくのだろうか。肌のハリや筋力がその人を表すのにそれほど大きなものなのだろうか。年を取るごとに知識が増えていき、物事を深く考えることができるようになる。表現力が増してくる。多くの人のことを考えられるようになる。それらは若かった時には無かった、素晴らしいものではないだろうか。

ちなみに、年を取るにつれて涙もろくなるのは、機能の低下だけではなく、いろいろなことに想いを寄せられるようになるからだそうだ。ほんの少しの情報で、人のいろいろな苦労や喜びを想像できるのは素晴らしいことだと思う。

また、口に出さなければいい、テレビの中の人に対する言葉であればいい、聞こえてなければいい、という理屈は嫌いだ。聞こえていなくても、私のことを好きと言ってくれる人がいれば嬉しいし、私の悪口を言う人が居れば嫌な気持ちになる。

あと、こんなことを言っている私も『昔は』、テレビの中の人のことを「中身がない」など勝手にジャッジしていたが、それが愚かなことだと気付いた。テレビの中のその人のことなんて殆ど知らないのに何故簡単にジャッジできるのか。人間は複雑なはずだ。ちょっと良いことをしたからと言って、良い人とは限らないし、ちょっと悪いことをしたからと言って、その人の人生全てが悪かったとは限らない。表に出ていないその人の性格や苦労などを知りもしないで相手を悪く言う自分が恥ずかしくないのか。私は恥ずかしいと思う。

ところで、劣化という言葉を使う人にとっては、20代頃が一番良い状態で、あとは悪化する一方という意識なのだろうか。人生100年と言われる時代なのに、殆どの年月が悪化していく状態ということだろうか。

それはちょっと寂しいなあ。