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私は溺れていた

仕事が原因で病んだことがある。そのとき何がしんどかったのか。

考えたくないけど、ずっと気になっていた。

要領が悪かった、優先順位が付けられなかった、睡眠時間が足りずずっと調子が悪かったなど、いろいろあったが、どれも当時の自分の状況を上手く言い表せていない気がしていた。

最近、一つの比喩を思いついた。

私は溺れていた。

周りが「どうすれば綺麗なフォームで泳げるか」「どうすれば力を温存して泳げるか」「どうすればタイムが伸びるか」を考えたり議論している中、私だけが溺れていた。

溺れるとフォームなど気にしていられない。とりあえず、息をすることに必死になる。一回、大きく息を吸えても長くは続かないので、次の息を吸うことに必死になる。そしてまた次の息が吸えるように必死になる。そしてまた次も。

何度か息が吸えたら、安定して息が吸えるように浮かぼうとする。でも、浮かぶのにもコツがいる。

現実的には、私は泳げる。そのため、浮かぶのは簡単にできる。あれは力を入れていると体が沈むので、力を抜かなくてはいけない。ただ、体が曲がると沈むので、体はまっすぐにしないといけない。私は幼少期にこれを習得したので泳げるようになったが、あれは難しいと思う。

比喩に戻るが、やっと体を浮かせて一息ついても、気を抜くとまた体が沈むので、ずっと緊張していた。


そんな感じだった。


私は溺れていたので、周囲の人に助けてほしかったなと思ったが、周囲の人も、まさか溺れる人がいるなんて思ってもみなかったのだと思う。

「自分なりの泳ぎ方で泳ぐといいよ」

「みんな最初は泳ぐのは下手なもの。だんだん上手くなるよ。」

そうアドバイスしてくれる人が居た。当時の私は納得して分かったようなフリをしていた。

「溺れそうになったら助けを呼べばいいのに」

あるとき、そう言われて、今まで助けを呼ばなかった自分を責めた。

(※現実的な話をすると、溺れたときに助けを呼ぶのはNGです)

その後、「助けて」と言ったとき、浮き輪が投げられた。私は浮き輪によって安定して浮けるようになった。息が吸える安心感はあったが、問題は解決しなかった。周囲がみんなクロールか平泳ぎかという話をしている中で、私だけ浮き輪で泳いでいても差は広がるばかりだった。

その後、私は水に入らないようにした。