アセクシャルをしっかりと自認して安心した話
アセクシャルであることを自認したのはつい3年ほど前。自認したものの、もしかして違うかもしれないと考えることもあった。でも、「アセクシャルのすべて」という本を読み、「モノクロセクマイCH」さんの動画を見て、ちゃんと、ハッキリと、明確に、自認することができて、だいぶ気が楽になった。
本「アセクシャルのすべて」感想
この本に書いてあることは「アセクシャルの人は○○と思っていませんか?それは誤解です」みたいな話です。(簡潔に言い過ぎ)
でも本当にそうで、人口の1%と言われるぐらい人数が少ないから理解できない人が多くて、誤解が多いからそれを一つずつ紐解いていく感じ。
アセクシャルは他人に性欲が向かないので「そのうち良い人に出会えればきっと変われるよ」と(優しさで)言われることがある。めっちゃ分かるし、なんなら自分でもそう思ってた時期があったから、その発言を責める気持ちは無いんだけど、「じゃああなたが同姓の人に性欲が向かないのは、良い人に出会ってないからですね、と言われたら、この発言のおかしさに気付くのではないでしょうか」というようなことが書かれてあって、なるほどなと思った。例え話が多いのは著者の認識が深いからなのか、アメリカ特有なのかはわからないけど、そういう具体的な例え話が理解を深めてくれた。
あと、私の場合、アロマンティックであるとも思っているから、自分に対して「いろいろ欠けてるな」とネガティブに考えていたけど、「多くの人と違うということは悪いことじゃない」というのが結構何度も書かれてあって、「そうだよな」という気持ちになった。アセクシャルの人の言葉が何個も間に挟まれて書いてあったのも、客観的に見ることができた要因だったと思う。
アセクシャルと言っても人それぞれ違う部分が大いにあって、私には当てはまらない話もあった。「(性行為は望まないけども)SMプレイを楽しむアセクシャルの人も居る」というのには普通に驚いた。でも、「SMプレイは身体的に交わらなくても、言葉や道具で愉しんで愛情を感じることができる」と書いてあって、「なるほど…(深い)」と思った。知らないことを知るのは面白い。
YouTube「モノクロセクマイCH」感想
アセクシャルの人の動画は今までにもいくつか見てきたんだけど、どうしても個人の経験談が中心になってしまうから、自分とはちょっと違うと思うものも多かったんだよね。自認もハッキリしていなかったから「この人と違うから私はアセクシャルとは言えない…?」と悩みが悩みのまま残ることもあった。
でも、本を読んで客観的・理論的にアセクシャルを理解したうえでYouTubeを見て、理解を補完できた感じだった。
このチャンネルの動画もいくつか見たんだけど、この動画が自分にドンピシャに当てはまりすぎて、自認を確認する旅が終わった感じだった。(どんな旅やねん笑)
なんか、全て納得して満足した気分になった。
その後…
動画を見たのも本を読み終えたのも1~2週間前だったんだけど、その頃から急に、スカートを履きたい欲が高まった。普段履けないから休日に履きたいとか、寒くなくなってきたからとか、いろいろな理由があるのだけど、アセクシャルについての理解が深まって、自認がはっきりして満足したというのが大きな理由だと思った。
「いや、そんな普段から抑圧されているつもりはないけど…」と思ったけど、よくよく考えてみれば、昔付き合っていた人に「その恰好可愛いね。抱きたくなる」と言われて気持ち悪いと思ってしまったことがあったなーと思い出した。こういう小さな経験が積もり積もって、いつの間にか無意識になっていったのかも。
「(アセクシャルの人は)他人と付き合うつもりが無いのに露出の多い服を着て人を惑わすのはよくない、と言う人が居ますが、人を誘惑するために服を選んで着ているわけではありません。アセクシャルの人でも魅力的な服を着ても良いのです。また、魅力的だからといって人を惑わしたことにはなりません」ということが本に書いてあって、本当にそうだよなと納得した。
私がアセクシャルであることを話すのは、ただ言いたいだけというのもあるけど、インターネット上の誰かが書いた文章や動画などをすごく参考にさせてもらってきたから、この私の話もどこかの誰かの参考になればいいなと思う。