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野田洋次郎『LAST LOVE LETTER』オタク語りMV歌詞解釈

私はRADWIMPSのまあまあのオタクです。
どのくらいの”まあまあ”具合かというと、「25コ目の染色体」2005年リリースのRADWIMPSメジャーデビュー曲の歌詞と小学6年生の頃に出会って一目惚れしてから今年で32。おおよそ20年間彼らの曲と人生を歩んできた。
ひとりの人間がこの世に誕生して、赤子から大人になるくらいの結構な時間ずっと好きだった。

ただそのくらい月日が経つと、私も多感な思春期は卒業し、現実を突きつけられた青年から中年へと移行待ったなしのフェーズに入り、いつのまにか青春の代名詞RADWIMPSの音楽を聴いても、かつての狂熱は生まれなくて。

ああ、大人になってしまったんだなって。
新曲が出ても、ライブがあっても「ふーん」で流れていく。
32歳の私とRADWIMPSの現在距離はそのくらい。

野田洋次郎の新曲「LAST LOVE LETTER」が出る情報も私のもとへ流れてきて。MVのうさぎの着ぐるみとキスしているカット写真野田洋次郎はバンドの野田洋次郎じゃなくて。ソロだし、illion(別名義のソロプロジェクト)とも雰囲気が違って私の心にひっかかった。

YouTubeの優秀なアルゴリズムのおかげか、MV公開から数日後におすすめで出てきて、サムネイルの既視感に迷わず再生ボタンを押していた。

好きだ。間違いなく。
大人になったとか言ったけど、やっぱり私はあなたが作るものが好きなんだなあ。

とにかく、この感情を誰かと共有したくて書きます。MVを観てからでも良いし、もしこのnoteを読んで興味がわいて曲を聴いてくれたら、いちRADWIMPSファンとして嬉しいです。

ここからは歌詞の中でグッときたフレーズや過去のRADWIMPSの歌詞も参照しながら私視点のオタク目線で愛を語りつつ、MVについても一点、どうしても言いたいことがあるから伝えていきます。少し長くかかるかもな、でもね頑張ってみるよ。


出だしのフレーズ

「初めてまだ知ることのない 君に唄う歌があるよ
今から先回りして ここに書き連ねるよ」

はい、ありがとう。野田洋次郎節。今から先回りして、なんてまさにだよ。野田洋次郎はさ、まだ見ぬ相手にごりごりの重たい愛を唄えちゃうんだよな。圧倒的密度の愛。

「だって君は世界初の肉眼で確認できる愛 地上で唯一出会える神様」

「有心論」2006

もちろん現実の愛しい相手に激しめフレーズも歌えるんだけどさ。

これから出会う運命の相手にも同じ熱量で先回りして伝えてくれるってわけ。しかも「初めて」未来の相手にラブソングを書いている。
今までは現在や過去の相手へのラブソングだったのに、初めてこれからの相手を想っている。
20年で大人になったのは私だけじゃなかったね。あなたも変わらぬところと変わったところがあるのね、と嬉しくなってしまう。

出会うことへの期待、その相手と共に歩む未来への希望をLOVE LETTERにして言葉を、曲にして書き連ねる。聴く私たちもこの最初のリリックでどきりとさせられた。


LAST LOVE LETTERでの個人的たまらんフレーズ

「いつか逢えるなら今じゃだめ?もう待っていられそうにないんだ」

はい。最高。どうせいつか逢えるなら、今すぐがいいよね。運命の君に会うなら早ければ早いほど良いです。だって人生は思うより案外短い。
私たちは誰かに恋をして、破れて、また誰かを好きになったりして。
最短で運命の相手に巡り合える人もいれば、遠回りしてやっと出会う人もいて。
愛しい人との時間が一秒でも長く欲しい、君の隣で日々を過ごしたい、がこの一文に詰まっている。いつかじゃなくて今がいいんだよ。もう待てないほどまだ見ぬ君に恋い焦がれている。

出会う前から右ストレート。待てないほどの好きな気持ちは枯れることのない泉。

「もう待てないよ 今すぐでも会いたいよ うかうかしてらんないの」

「"I" Novel」2015

野田洋次郎はもともと待てないタイプではあるっぽい。好きが溢れだしたら止まらないタイプなんだよね。というか止められる人間なんているのだろうか?
理性でコントロールするだけの恋愛より本能でどうしようもなくなっちゃおうよ。


「離れるだとかなんだとか とは永遠(とわ)に違う世界にいこうや」

これも私が愛してやまない野田節。
このリリックを聴いた瞬間、下記の歌詞が呼び起これた。

さよならから一番遠い場所で待ち合わせよう

「Sparkle」2016

新海誠監督、映画『君の名は。』の挿入歌でもあるSparkle。

さよならから一番遠いってことはさよならをしなくてもいい場所=ずっと一緒にいようねの意味で、離れるだとかなんだとか=さよなら とは永遠(とわ)に違う世界、やっぱりこれも二人でずっといようねを純度100%のロマンチックで伝えようとしてきてる。

ここでどちらも断定で言い切りの形にしていないことがしおらしい。

誰かと恋に落ちる、人生を共に生きようとする、その瞬間に私たちは別れを想像しない。いつか離れ離れになることを考えて付き合ったりしない。
なのに現実は、初めての恋が終わってしまうことの方が多い。

だから、次こそは今回こそは、さよならしない世界線に二人で逃げちゃおうというある種、夢の逃避行への誘い文句でもあるわけ。

それでもいつかは二人を別つ時がくる。
死。
誰にでも等しく訪れ、今のところ避けることのできない生命としての定め。
そんな定めがくるまでは、決して君と離れたくはないという強い気持ちが表れている。

過去の失った恋たちから、もしかしたら、さよならがやってくるかもしれないという恐怖も当然ある。だから言い切れない、言い切らない。

理想かもしれないけれど、別れから出来うる限り距離を取って、願うだけ一緒にいたい、という健気な思いでもある。
誘い文句にすることで「自分はこう思っているけど、君はどう?同じ気持ちなら一緒に」という相手に委ねる優しさ、あるいは臆病さもあって、野田洋次郎のそういうところが私は好きだ。


「逆転ホームラン 打つから 何万点ビハインドあれど
どんでん返し弾 打つから 諦めずにいておくれ」

野球好きなのかな。野田洋次郎の中高の部活はバスケットボール部だったはず。

何万点ものビハインドがある場合、何度ホームランを打てば逆転ホームランの一弾にたどり着くのだろうか。
しかも相手を無失点というかこれ以上追加点をもらわないように抑えなければならないし。ほとんど天文学的数字というか非現実的なんですよね。現状は。
でも、俺たちの野田洋次郎は諦めない。
どんでん返し弾を打ってくれるらしい。だから待つ方にも諦めないで信じて、と。
君との距離がどんなに離れていても、今回はまだ出逢っているかすら怪しいからそりゃあ離れてるわ。とにかく漢、野田洋次郎は執念の人です。下手したら恐怖でもある。

延長22回 二死満塁 3点ビハインド不敵な笑み
4番 目隠しスウィング 初球 逆転満塁弾な未来 未来

「会心の一撃」2013

恋愛の曲ではないけれど逆転ホームランをここでも打っています。こちらは3点ビハインドなので現実的だね。二死満塁だし。甲子園並みの熱い展開です。でも延長22回は非現実的。つまり野田洋次郎はとてつもなく粘っている。そもそも延長の回数もルール上決められているから起こりえないのだけど。ルールを超越するくらい諦めない男なんですよ。俺たちの野田は。


HOME SWEET HOME


帰る場所は君だ 君の家は僕だ
いつか出逢えたなら 君が終の住処

やっぱり家が一番だね。家はここでは雨風しのげる立派な物質的な建物の意味ではなくて。
僕が帰る場所は君の元で、君にとっての家=安らげる、安全な場所に僕がなるよという精神的な意味合いでもある。
もちろん雨風しのげて立派な方がいいけれど、そうでなくても君がいる場所なら世界中どこだって家になるし、そこに帰る。世界のどこでも、いやこの銀河系のどんな場所でも、君にとっての家に僕がなるよ、という宣誓。
そして未来の君と出逢えたなら、もうそこが人生最後の家、家庭になるって約束してくれる。
こんなに重くて、こんなに真剣な愛が、今野田洋次郎の中にあるらしい。

出逢えたならと仮定で話しているから、出逢えるかどうかはやっぱり少し不安があるのかな。それでももし出逢えたなら全力で互いを癒し守りあおう。

家父長制の意味の家ではなく二人の家庭の意味。男が守るとか女が守られるとかじゃなく互いに、相手の安らぎであろうという決意。

正真正銘のプロポーズだね。


「馬鹿みたい」って言うその声に逢うためやってきたんだよ

この曲のサビフレーズの中の一文。

「馬鹿みたい」って言うなよ テンパって間違えてしまうだろ

が3回出てくるんだけど、4回目のラスサビでは

「馬鹿みたい」って言うその 声に逢うためやってきたんだよ

に変わっている。
君に「馬鹿みたい」と言われたら、焦って手紙を書き間違えちゃうから、顔も知らない君に歌うのをバカげたことだと思っても言わないでよ、とダサさを隠すことなく書いている。
だけど、最後だけは、こんなバカげたことを「馬鹿みたい」って呆れて笑う君のその声を聴くためにこんなバカげた歌を唄うんだよって本気で思っている。

恋愛なんて別に人生に必ず必要じゃない。バカバカしいことですらあるかもしれない。

でもそのバカバカしさに懸命になって君を見つけのなたら、そんな君に言われる「馬鹿みたい」なら、馬鹿みたいなことを信じてやってきて良かったってこと。だって君に逢うために唄って、公開ラブレターまで書いているわけだし。他人から見たら滑稽でも、馬鹿みたいでも、君に逢えたら全部報われる。帳消し。だからこそ君のその「馬鹿みたい」って笑う声を聴きたいんだよね。

君の前前前世から僕は 君を探し始めたよ
その騒がしい声と涙めがけ やってきたんだよ

「前前前世」2016

またしても映画『君の名は。』のメガヒット曲からも似たフレーズがあったので少し触れたい。
もちろんこれは映画ありきで生まれた曲だから、完全に野田洋次郎だけの恋愛観というわけではない。
けれど、前世を飛び越え前前前世、3輪廻も前から君を探している。そして君の声を頼りにしている。
文字は書き残せるから、本人がその場にいなくてもいい。もちろん録音すれば声も本人がいなくてもいいけれど。声は文字よりも直接的だ。

LINEのメッセージより、電話より。
直接顔を見て声を聴く方が君をリアルに感じ取れる。
そんな風に相手の熱を感じながらコミュニケーションを取りたいと思ってるんだろうな。
私もテキストメッセージより電話(声)派だよ。一緒だね。なんて。


映画『わたしはロランス』とMV

どうしてもみんなに言いたかった、共有したかったことがMVのこと。
ワールドツアー中に滞在先で撮影していたらしいのですが、(本人Instagramより)

サムネイルにもなっているカラフルな布が舞うシーンは3:27から始まって。
もうこれは間違いなくグザヴィエ・ドラン監督の『わたしはロランス』(日本公開:2013)のあるシーンのオマージュだと思うのよ。

1:34辺りを見てもらえると、MVのサムネイルを見た瞬間に興奮した私の気持ちが伝わるといいな。

MVの撮影監督はOdagiri Rakuさん(Healty Cream)という方なんだけど、一応MVの総合プロデューサー?が野田洋次郎なので、野田洋次郎のアイデアというか希望なのではないかと思っているオタクです。

しかも野田洋次郎、2014年に今年2回観た映画としてInstagramに挙げてるんですよ。これはもうそうだよね?

https://www.instagram.com/p/vnx3z6lf7Z/?utm_source=ig_web_button_share_sheet

『わたしはロランス』とても情熱的で心が揺さぶられる映画なのでもし気になった人がいたらこちらもぜひご視聴ください。


タイトル『LAST LOVE LETTER』

そのまま訳すと最後のラブレターだよね。本人も言っているように、未来のお嫁さんに向けた曲なので、これが最初で最後のラブレターなんだろうな。もちろんお付き合いしたあとも手紙はどんどん送りあえば良い派だけど。
たったひとりである君に向けた、がlastをつけることでより強調されている。

RADWIMPSの中にこのLASTがつく曲がほかにもあって。
『ラストバージン』2013

バージンは結婚式のバージンロードとかけている恋愛・結婚ソングでもあると思っていて。バージンはそもそも一度なくなると戻れないものだからラストもなにもないんだけれど、広く恋愛と捉えると、最後の恋って意味だと。

『生まれてはじめて』と『最初で最後』の『一世一代』が君でした

サビのワンフレーズが上なんだけど、今回の『LAST LOVE LETTER』も「生まれて初めて」と「最初で最後」の「一世一代」のまだ見ぬ君への曲なんだと思う。

こちらもぜひ聴いてほしいです。対とまでは言わないけれど、ラスト繋がりの曲なので。

以上、まあまあなオタクの愛を込めたMV歌詞解釈でした。
コメントでみんなの感想も知りたいです。よければ思いを綴ってね。

手前味噌ですが、以前書いたRADWIMPS『そっけない』のMVについての解釈もしているのでこちらも読んでくれたら好きがこぼれます。

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