見出し画像

自分が動いているのか、地面が動いているのか

しばらくnoteを書いていない。
というか、ずっと大好きだった「書く」という行為をしていない。
だからか、しばらくぶりに画面に文字を載せるだけで緊張して、たいそれた読み物でないと公開してはいけない気になってくる。

その間も、いくつかは書いては消しを繰り返し、1週間、2週間、1ヶ月と時は過ぎ、宙ぶらりんになった下書きだけがどんどん溜まっている。

この1ヶ月の間に、私の住む街に43℃の熱波が襲った。
熱波が元で山火事が起き、私の街から近くも遠くもない、とある村に火が飛び火して、村がまるごと焼けるというショッキングなニュースもあった。

しかし、それもまるで幻だったかのように、いつしか気温も下がり、暑くも寒くもない、いつもの夏の日々を送っている。全く雨が降らないことを除けば。

もうとっくに大作を書くことはとっくに諦めているけれど、脱力した感じで、ここまでつらつらと文字を綴り続けているついでに、最近自分にしては意外だなと思ったことをせっかくだから書き記してみようと思う。

私の暮らすBC州は、7月1日よりマスク着用の義務が解除になり、レストランも、50人以上の集会も、室内で人に会うことも、ほぼなんでもOKになった。できないことといえば、海外旅行くらいで、行動制限のほとんどが解除になったと言ってもよいかもしれない。

巷ではイギリスやイスラエルやフランスのコロナ関連のニュースがしょっちゅう取り上げられているけれど、実はひっそりと、そしてしれーっと元に戻りつつあるカナダのBC州。

さて、行動制限が解除になって、はじめのうちは、マスクにしても人に会うことにしても、おっかなびっくり行動していた人が多かったように思う。
私もご多分に漏れず、最初の1週間はおっかなびっくり行動していたのだけれど、20日も過ぎるとあれほどマストアイテムだったマスクを携帯することを忘れてしまう日も出てきた。

もちろん、しなくてもいいのだから、携帯しなくてもよいのだけれど、なんかこうも簡単に、自分の意識が緩んでしまうことに自分でもびっくりしてしまう。

その割に、2m以内に人が入ってくることに関してはまだ違和感を感じる。マスクセンサーは緩むのに、ディスタンスセンサーは緩まない。不思議だ。

もちろん、マスクが解除になったからといって、コロナもまだまだ収束には遠いであることはわかっている。
気温が落ち着いたとはいえ、BC州も干ばつや山火事という熱波による余波もある。

この1年の間に起きたことは事実で、今もなおその名残が世の中の現実問題として目の前に立ちはだかっていることにはかわりがない。
だけれど「今までの日常」に近い景色を見せられると、マスク社会や熱波被害に対する自分の中の「引き締めセンサー」が伸びたり縮んだり、締まったり緩まったりして、なんだか色々な現実の中をワープしながら体験しているような気分になる。

波打ち際で海を眺めながら立っていると、自分が動いているのか、地面が動いているのかわからなくなる、あの感覚に似ている。

あまりに真剣に対峙すると、胸が掬われそうになるから、のらりくらりと過ごすためにもしばらくオートパイロットモードにセットしつつ、軟着陸できる場所を探してみようと思う。


最後まで読んでくれてありがとうございました!また目に止まったら読みにきてくださいね♪フォローやスキは励みになります!