見出し画像

秋の風に私を乗せて #秋を奏でる芸術祭

 秋は私の生まれた季節だ。一年のうちでもっとも好きな季節なのでとても心躍る。

 誕生月だからと、少しだけ旅に出た。旅といっても三日ほどの間、家から離れて街のホテルに滞在しただけのこと。滞在中に一度もホテルから出ることはなく、室内にこもって800ページ以上の分厚い本に取り組みながら過ごした。
 ホテルの最上階にあるクラブラウンジを訪れて景色を眺める。高いビルが並び立つ場所でふと下を見下ろすと、そこには都会の地味な秋がひっそりと息づいていた。

画像1

 紅葉が始まり木々の色が変化している。だがまだ緑が多い。都会ではなかなか写真集で見られるような見事な紅葉は眺められないものだ。けれども私はこの景色を見ることで十分に秋を感じ楽しむことができた。
 すぐ目の前の公園なので歩いて行ってみようかとも思ったが、今回の旅の予定には入っていなかったのでやめておいた。

 秋になり誕生日が近づくと、たくさんのことを思い出す。幼い頃の家族との誕生日、学校の友達を呼んでのパーティー、誕生日の翌日に発症した肺炎と入院生活、学生時代に20本の赤いバラをもらったこと、昔の夫からのプレゼント、文通友達からのかわいい手作りのぬいぐるみ、亡き父からもらった万年筆、そして決して思い出してはならない悪しき記憶。すべては皆、誕生月に私にもたらされたものだった。
 記念日は記憶を連れてくる。私にとっては秋が誕生月だから、秋が記憶を連れてくる。同時に、秋は記憶を洗ってくれる。必ず訪れる季節だから年ごとに更新されて徐々に変わっていくのだろう。美しく楽しい記憶はよりよく美化され、そうでないものは文字通り少しずつ洗い流されて悪いものを連れ去ってくれるのかもしれない。一番洗ってほしい記憶はどうしても完全に拭い去ることはできないのだが、それでも長い長い時間をかけて海の波の働きと同じく砂浜の文字を消してくれようとする。流れゆく時間は妙薬だ。

 この秋の小さな一人旅は私の記憶を大きく塗り替える旅となった。学びに徹する旅だったので過去の秋を自然と忘れさせてくれた。私にとっての新しい秋だった。楽しい記憶もつらい記憶もいずれも思い起こさない秋になった。なにかに没頭できるひとときは重要なのだと改めて感じ入る。

 新しい「秋の記憶」を胸に、私は小さな旅を終えた。

画像2

 帰宅したらすぐに慌ただしい日常が戻ってしまい、時と用事は待ってはくれないのだと苦く思い知ったが、貴重な三日間のひとり時間は私に存分に「新たな秋」を味わわせてくれたので感謝している。まだ読み終わっていない分厚いテキストは毎日少しずつ読み進めている。自宅ではなかなか集中して学ぶことはできないが、今しばらくがんばってみよう。

 今年もまたひとつ年をとった自分自身を、秋の風に乗せて漂わせてみようか。扉の向こうには驚くような発見があるのかもしれないから。


-----


(こちらの企画に参加させていただきました)