19歳の山形のロリータと大沼デパートのテラサキさん

当時付き合っていた優しげなバンドマンの彼に
「唯ちゃんはそういう、子供騙しの映画が好きだものね」って言われて、
わたしは傷ついていた。

私の好きだった映画は
フィフス・エレメント
レオン
シン・シティ
青い春
アメリ
だった。

そして映画の話になって私の好きなそれらについて話すと映像学科の人たちは、呆れたような顔をした。

そりゃあそうだ。未来の映画監督であり映画好きの学生が選んではいけない作品が、この中に4つあったからだ。残りの1つは映画好きの彼らからしたら逆に新鮮なチョイスだったのかもしれない。とにかくわたしはその時期に、好きな映画を素直に公表するだけで値踏みされてしまう世界に、身を置いてしまったんだと悟った。じゃあ自己紹介でナメられない映画の授業でもやってろよ

だからそれから私は好きな映画はディア・ハンターの一点張りで通すことにしたんだ。もちろん好きだよディア・ハンターは。でも好きな映画を質問されて、答えてはいけない映画があるって事を、わたしは18歳にして初めて、身をもって知った。

そんなわたしでも心から、何も恐れず好きと言えるものがあった。それはロリータファッションだ。ロリータは、映画みたいにはファンが多くなくて、それを好きで実際に生活に取り入れてる人は本当にレアで、だから誰にも邪魔されずに、好きなものを好きなように、好きでいることができた。誰からも「君の好きなものは子ども騙し」と言われない。へ〜BABYとか好きなんだ全然ニワカだね。とかも言われない。「好き」の解像度を、勝手にジャッジされない。
全身をBABYで揃えるには当時でも最低9〜10万円は必要だった。くつ、ソックス、ドロワーズにパニエ、ブラウスにジャンパースカート、必要ならカーディガン、ヘッドドレスまたはリボンカチューシャ、ハートのバッグ。それでやっとワンコーデだから、新作が出るたびに仙台へバスで通った。冬になればコートが必要でさらに金がかかる。
もちろん金はないから、わたしは毎月学費用に口座に振り込まれる奨学金を全力でロリータに注ぎ込んだ。あの頃パパ活という活動が今みたいにハッキリ存在してアプリまであれば、わたしは間違いなくそっちの道に走っただろう。(そしてまた自己愛をこじらせて、パパからうま〜く高額のお小遣いをもらってるコと自分を比べて自滅しただろう)

時給700円の蕎麦屋ではロリータの服が買えなくて、スナックでバイトした。スナックのママたちは山形では珍しいガチのロリータの私を面白がってくれた。タバコの匂いがつくのが嫌で、お店にはあまり着て行かなくなったけど、お誕生日にはママと常連さんたちが、そのときBABYで1番高かったワンピースをプレゼントしてくれた。わたしはそのワンピースで2010年の下妻市ロリータファッションコンテストで優勝した。
磯部社長、野ばらちゃん、美沙子ちゃん。あの時褒めてくれた私のコーデは山形の場末のスナックで稼いだ金と奨学金と、お客さんからのプレゼントで作られたものだったんですのよ。

BABYである程度コーディネートが増えてきた頃、アクセサリーも欲しいな。ってなって、でもBABYのネックレスはなんか嫌だった。5〜6000円で買えるそれらはなんだか、安っぽくておもちゃのようにしか見えなかったのだ。
そんな中で大沼デパートのアナスイの、大きな白いイチゴのネックレスはとても眩しく見えた。
だけどそれは下手をすると、BABYのジャンパースカート1着の値段より高価だったし、
ネックレスなんてロリータの必須アイテムであるパニエやドロワーズ(いずれもインナーだけどこれ着てないとロリータ界ではかなり軽蔑されるし相手にしてもらえない。)などと違って無いならないで構わない。だけど私は、この白いイチゴのネックレスがとても特別に思えたのだ。

大沼デパートのアナスイの店員さんの名前はテラサキさんだった。
テラサキさんはゴリ押しするでもなく、買うか、買うまいか悩んでいる私の背中をそっと押してくれた。

学生の身分で、自分で稼いだ金でもない金で、わたしはBABYのジャンパースカート1着分の値段のする贅沢品を、買ってしまえる状況にある。

その頃下妻物語の影響でロリータを着始めたと思われるのがシャクで、私は好きな映画の話になっても下妻物語の話は頑なにしなかったし、自分の映像作品にも絶対にロリータは出さなかった。下妻物語に影響されているなんて、絶対に思われたくなかったからだ。事実わたしがロリータを着るようになったのは下妻物語は関係ない。でもさぁ観てみたらこれが面白いんだ最高に。

下妻物語の桃子は
BABYのお洋服を買うために
ドグサレのような行動を繰り返していて、なんだかその時わたしは桃子と自分を重ねちゃったりなんかして、
身分不相応なその白いイチゴのネックレスを、
テラサキさんの接客で、
ついにわたしは購入した。
カードなんて持っていなかったから、
もちろん奨学金で。

そうやってわたしは、
テラサキさんの細長い癖字のDMがアパートの郵便受けに届くたび、大沼のアナスイに通った。
新しいロリータのお洋服とコーデで大沼のアナスイ をじっくり見物するのはわたしにとって至福の時間だった。山形には温泉と蕎麦とラーメンしかなかったから、19歳のロリータにはそれしか楽しみがなかったのだ。

テラサキさんにある日、
アナスイ で働けるなんて素晴らしいですね、尊敬します、みたいなことを言った時があった。
その時覚えてるのは
テラサキさんは
わたしは、アナスイの社員じゃないんですよ。大沼で、たまたまこのコーナーを担当しているだけなんです。
って言っていて
テラサキさんは私と同じアナスイの信者ではないってその時やっとわかった。テラサキさんはアナスイの人じゃなくて大沼の人だったんだ。

山形の大学を卒業するときに、
最後の大沼でアナスイの紫のハートの、ベルベットのチョーカーを買った。

10年後。わたしは東京で女優になっていた。経緯は割愛するけどとにかく山形で映像の勉強をしていたロリータは今東京で演技をしているのだ。意味わからん。

せんじつ。
年に一度の母との温泉旅行で山形の上山に泊まった。
旅館のテレビで、大沼のニュースをやっていた。そうだ。大沼が破産した事は東京にいてもニュースで知っていた。わたしにとってもショックだったけど、山形県内ではとんでもない大ニュースだろう。

番組では、大沼の従業員にインタビューしている映像が映った。
そこに写っていたのは見覚えのあるショートヘアーに細めの眉、落ち着いたトーンの、でもなんかひょうきんな感じの声。

テラサキさんだ!!!!

この日のこの時間のこの旅館にいなければ多分見なかったニュースに
あのテラサキさんが映っていたんだ。
テラサキさんは、あれからも
ずうっと、大沼にいたんだ…

テラサキさんは職を失って

なんでもいいから仕事が欲しいんじゃない。大沼で働きたい。大沼がいいんだ。ってキッパリと言っていた。

ここまで従業員に愛された大沼を、私たちは失ってしまった。
うそだ。

あっそうだ。前澤さんだ。
こんなときは前澤さんなんだ。
前澤さん、頼むからテラサキさんのために、大沼をまた復活させてくれないだろうか?
一生お年玉当たんなくていいし、相性クイズ2問目でブチ切れて文句言ったことも謝るし、
わたしたちの思い出の大沼を復活させてくれないか
山形の大沼デパート、
わたし大好きだったからさ、なくなって欲しくないんだよ。しかもテラサキさんのあんな姿見たら、
何もできないでいるのがとても辛い。ああ、わたしが前澤さんのせめて、元カノとかだったらな…

大沼デパート、どうにか復活できないのかな。

PSそういえばフィフス・エレメントをこないだ観たら
びっくりするほどつまらなくてイライラして、これ作った人正気か?って思ったんだけど、フィフス・エレメントを駄作だという人間にだけはなりたくないからどうにかフィフス・エレメントを好きでいたくて
新たな目線でフィフス・エレメントを楽しめるようになろうと、フィフス・エレメントを褒めちぎる会を1人で開きたいなとか思ってます。

ついしん
あんなにドキドキして買った白いイチゴのネックレスは、どうにも似合わなくなりメルカリで売りました。
BABYのジャンパースカート1着分は、東京でのランチ1回分くらいの値段で、誰かの手に渡った。
想像以上に悲しくて、
わたしはロリータ服は絶対にメルカリ に出さないと決心した。


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