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ライブハウスのこと

ライブハウスに関する報道が加熱している。
そのときに思い出すのは、いつもあの場所のこと。


私は学生時代、とあるライブハウスに入り浸っていた。

きっかけはたしか路上ライブをはじめたころ。私は大学3年生のころ、茨城にある、JR常磐線快速の終点駅、取手(とりで)の地下連絡通路(ギャラリーロードと呼ばれていた)でギターや鍵盤ハーモニカで路上ライブをしていた。ひとりでしていたこともあるけれど、多くは友人と2人でやっていた。
いま思ってもいろんな出来事があった。はじめて作ったオリジナル曲で涙ぐみそうに立ち止まってくれた人のこと。ユニット名を決める時の松屋。なぜか1万円投げ銭してくれた人のこと。ほかの路上ライブ仲間とセッションしたときのこと。

当時は常磐線沿線の路上ライブのメッカは、10分ほど都会にのぼったところにある柏という駅だった。柏レイソルの柏である。しだいにぼくたちは、柏で路上ライブをするようになった(当時はたしかストリートライブするには認定証の発行が必要だったので申請をしたりした記憶がある)。そこでもいろんなことがあった。取手より圧倒的に乗降者の数が多いので、演奏もやりがいがあった。多くの友達もできた。

しかし冬の路上ライブは寒い。柏にはライブハウスもたくさんあると聞いて、室内でぱっとライブに出られるようなところがないかと探した時に路上ライブ仲間が教えてくれたのが、オープンマイクのイベントをやっている、とあるライブハウスだった。


オープンマイクとは、参加費を払い、たとえば1人10分ステージで発表する機会が与えられて、自由にパフォーマンスしてもいいよ、というもの。はじめて行ったときには1人で見に行ってみた記憶があるが、その翌月には2人で一緒に出てみた。オーナーから、これからも出てよ、と言われた記憶がある。

その場所はライブハウスなので、ふだんはいろんなライブをやっている。いろいろな年齢層に向けての自主企画もたくさん打っている。その後そのライブハウスではアルバイトもすることになり、なんだかんだ長年お世話になったのだが。水森亜土も来るし山下洋輔も来る。T-SQUAREにいた人も来るし、新進気鋭のジャズピアニストも来る。アコーディオンがこんな響きするんだ、と驚かせられるライブもここで聞いたのが初めてだった。

その一方、ぼくらのような若手ミュージシャンや、趣味で音楽をやっている人向けのブッキングライブも企画している。そこで横のつながりというか、たくさんの友達ができた。

オープンマイクは、その特徴がもっとも現れているイベント。趣味で音楽をやっている人や、ミュージシャンを目指す人たちが、1人10分の枠の中でパフォーマンスする。
中でも、いまでも思い出されるのが、年配の男性。彼は、古い洋楽が好きで、アコースティックギターを片手に弾き語りをする。もうお仕事はリタイアされたくらいの年齢で、渋い声。ギターはときどきおぼつかなく、「あ、すみません、もう一回最初から」とか言ってしまう。にこっと笑いつつ。それがまた魅力的なのだが、しかし彼の良さはそれだけではない。お気に入りのハットをかぶり、朗々と曲の解説を語ってから演奏する。その解説は、客観的な曲の情報だけでなく、自分がその曲にどんな思い入れを持っているかということを語ったりしていて、なんともいえず味わい深く、ぼくはいつもその解説が始まるとビールを飲む手を止めて聞き入ってしまっていた。

ほかにも、ブッキングライブで30分演奏するのは難しけれど、10分だったら演奏できるかな、と思って、ふだんは聴衆(しかも常連)なのに演奏してみてしまう人がいたりする。今日はちょっといつもと違う楽器に挑戦してみます、という人がいる。この場所だからチャレンジしたくって、と、ここで出会った友達を誘ってピアノ連弾をする人がいる。

小さな交流の場。
そこに出入りする人たちにとっては間違いなく「居場所」になっているよなあ、と思わせられる一瞬の連続。

そしてぼくもその一員であった。
何度もオープンマイクでピアノを弾き、オーナーとスタッフに可愛がっていただき何度もブッキングライブに出たし、CDも作ったし、バイトもした。ここで出会った人とバンドも組んだ。ここで会った人たちとの痕跡を残したくってはじめた鍵盤ハーモニカ楽団は、形を変えて10年以上も残っている。

この場所に、救われた。

地方のライブハウスって、そういう場所だと思う。
ときどきは有名なアーティストがやってきて、満席になったりして、ああこの場所でこんなこともできるんだなあ、と思ったりする。
だけれど、ふだんは、誰かにとってこの場所が大事で、通いたくなって、誰かの顔が見れるのかな、と思ってふらっと立ち寄る場所だったりする。

語り尽くせない。語り尽くせないけど大切な場所。


ひさびさにそのライブハウスから連絡が来る。
あのハットのおじさんが、亡くなったという。
一気に戻る記憶。

あの時のあの人たち、みんな何してるんだろう。


多分にもれず昨今の新型コロナウイルスの件で、ぼくが大切に思っているそのライブハウスのスケジュールを見ると、多くのイベントが中止や延期になっている。
こうした小規模経営の事業所にとって、この状況が長期化すると、そのまま最悪の場合には、二度と扉を開けられなくなるかもしれない。

いまもまだ、誰かの居場所として、ライブハウスはそこにある。
そのためになにができるかなって、考えてる。

そのライブハウスの名前は、Studio WUU。
写真は昔のブログから拝借。

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