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190906 リサーチノート

わたしが福岡で、村川拓也さんが作品をつくるプロセスに併走し始めて、もう4ヶ月ほどになる。2019年3月にロームシアター京都で行なったトークをきっかけに親交が始まった村川さんに誘っていただき、クリエイションのプロセスに立ち会っている。
村川さんは、まるでドキュメンタリー映画を撮るように演劇をつくっている。多くの人に長く長く話を聞き、動いてもらい、その話や動きをつむぎあげて舞台上で展開する。今回の作品は、俳優やダンサーなどを普段からやっている人ではない人に出演してもらう前提の企画で、かといってオーディションのような形式もとらず、リサーチと称して、とにかくたくさんの人、たくさんの国の人に、人づてで、会っている(どんな人たちに会っていたのか、どんな話を聞いていたのか、についても、おいおい書いていけるといいと思う)。
私はそのリサーチに、一緒に行けるときは一緒に行くし、そうでないときは概ね終わったあとにビール(最近はクラフトビールが多い)を飲みながらその感触を聞く(一緒に行くときも結局ビールを飲むことが多い)。村川さんは、福岡県内で暮らすたくさんの人、ひとりひとりに話を聞き、その人が働いている時の動きを観察して、何かをずっと考えている。
その結果生まれる作品は、2020年冬に福岡きびる舞台芸術祭「キビるフェス」で発表する予定になっている。

私は、いったいこのリサーチからどのように出演者や、作品のイメージを絞り込むのだろうか、と不思議に思っていた。これまでもいくつかのアートプロジェクトや美術展、音楽イベントなどのマネジメントをしたことはあるが、ここで巻き起こっている、人との出会いを通じて、ゼロから何が生まれるのかというプロセスに興味が湧いた。

何度目かのリサーチのスケジュール調整をしているころ、「いったん、すべてならべて、落ち着きたいんすよ」と村川さんが言ったことがあった。たしか、私が立ち会いが難しそうな時期のリサーチになりそうで、その日程調整をしている電話での発言だったと思う。
多くの協力者の方たちのつながりで、稽古場で話を聞いたのは13人、それ以外で職場などに赴いて話を聞いた方は16人に及んでいた。その調整では、職場でお話を伺いつつも、稽古場(その都度、行政や、キビるフェスの主催である福岡市文化芸術振興財団が使用できる場所をおさえている)に来ていただくことが調整つかなかったりするので、いつもなかなか難儀していた。協力してくれる人の予定、村川さんが福岡に赴く予定、私が空いている予定、稽古場のスケジュール、という調整にようやく慣れてきたころの発言だったと思う。
「いったん、すべてならべて、落ち着きたいんすよ」。引いた目で、起こってきた出来事の全貌を見渡したい、という願望。
リサーチで出会った人たちの固有の物語を聞くプロセスでは、いくつものドラマティックなストーリーがあった。しかし村川さんはそのストーリーをただ編み上げて見せるという手法はとらないのだと思う。そのストーリーがあったとして、その背景にあるものや、社会の構造と照らし合わせたうえで、なんらかの別の物語をつくりあげるのだと思う(ここは、まだわからない)。そのために、何がどう構造的に理解できるのか、ということで、引いた目で見たい、「すべてならべて、落ち着きたい」のだと思う。

いっぽう、何度目かのビールを飲みながらの発言で、「決まるときは、一瞬ですね」という発言もよく覚えている。確かこれは、私が「ここからどうやって決まっていくのか?」ということを問いかけた時の応答だったと思う。村川さんは、この人だ、と思ったら、もうその人で決まりだ、と言うのだ。じっさい、多くの人に出会っているが、その後のディスカッションで何度も名前があがる人はごくわずかな人数である。すでにある程度の目星はついているのだろうな、とも思わせられる。
でも、そこを踏み込もうとすると、いなされる。これも何度目かのビールを飲みながら、つい私がすこし、今回の作品や出演者選びに関する踏み込んだ問いかけをしてしまったときに、村川さんは「それはまだ言えないな」と言った。「言葉にしちゃったら、それが現実になる世界が始まるんですよ」と。

出演者や、作品のイメージを、絞り込むプロセス。おそらく村川さんには、作りたい作品の風景はまだ見えていない。人や出来事との相互行為を通じて、彫りあげていくプロセスを、リサーチの末に自らに課すことで、その、見えていない風景が徐々に見えてくることを、信じている。ときに直感で「この人だ」と思い、ときには「すべてならべて、落ち着きたい」と思いながら、いくつかの手がかりを自らの「縛り」として機能させながら、形を浮き彫りにしている。

8月のリサーチ後、財団のスタッフも交えたミーティングで、村川さんの口から、リサーチで出会ったある一人の方の名前が出た。その方が、良い、ということが語られた。ミーティングのあと、村川さんは、言葉にしてしまった、ということをしきりにつぶやきながら、タバコを吸っていた。


もうすぐ、決まってしまう。言葉になってしまう。
私は、その繊細な瞬間に立ち会っているのだと思う。
ときに相槌を打ち、リサーチで出会うさまざまな個人の物語に気づき、それを社会の文脈とつなぎ、つむぐ役割として介在しながら、球を投げすぎず、ただ、言葉になってしまうその瞬間を、待つ。

そしてここから先は、ある程度決まってきた作品に向けた「縛り」を手がかりとして、舞台上で起こる現象を、編集していく作業に、また併走していく。

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