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200224 『Pamilya(パミリヤ)』3日目

10時入り。今日も村川さんとジェッサさんで稽古から。細かな段取りを確認していく。「ここの出演者は、ジェッサさんとエトウさんと、手さんです。それくらい、ここの手の動きは大事」「リハだとできるんだけどな、本番だと緊張しちゃうんかね」などと話しながら村川さんは、赤いCampusノートのメモをひとつひとつボールペンで塗りつぶしている。このやりとりを見るのも今日が最後か。

11時すぎに稽古終わり、11時半から「ジェッサさんに渡す時間」。受付まわりでは、連日届く花束やおやつなどが広げられ、私は昨日いただいたおはぎと一昨日いただいたパンをかじる。前田さんもおはぎを食べている。リサーチの一環としてきている長澤さんが何やらパソコンでメモをしているのでちゃちゃをいれたりする。Oibokkeshiの演劇を最近見に行ったそうで、それとPamilyaの違いについて説明してくれる。Oibokkeshiはずいぶん昔に見たっきりなのでまた見にいきたいなあなどと思う。

12時30分ごろジェッサさんが出てくる。客席づくり、当日パンフレット置き。村川さんが席に座ってブックレットを読み始めているのを見る。はじまるまでは自分のインタビューのページ以外は読みません、といっていたので、このときはじめて読んでくれているのか、と勝手に緊張する。ブックレットは、とくに演劇関係者に池田さんのエッセイが評判が良い。田中さんのエッセイもわかりやすいとの声を聞く。また、現場に近い人ほど、創作プロセスのページが参考になったとの声も聞いたので、やっぱりつくってよかったなあと思う。

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受付まわりでは豊山さんが、フェスのスタッフのみなさんに念入りに打ち合わせをしている。今回の作品は静かなシーンが非常に多いので、ちょっとした物音でも客席に聞こえてしまう。お客さんを止めておかなければならない時間が多く、その段取りを確認している様子。

13時30分受付開始、45分開場。きのうよりはいくぶんゆるやかな客入れだったが、徐々に席がいっぱいになってくる。初日はわりと福祉関係の方が多く、2日目はわりと演劇関係者が多かったが、今日は全体的にまじっている感じ。ジェッサさんの友達と思われるフィリピンの方たちもたくさんきている。
14時開演。今回の作品では、ひとりお客さんの中から協力してもらう方を募る。初日と2日目は演劇やダンス関係のことをしている方が出てくださったが、今回は特別支援学校の先生をやっている私の知人が手をあげてくれたので驚く。
3回目となる今回の公演は、やはりいつもとは違う意外なことがいくつも起こる。初見のお客さんには伝わらないレベルのことがほとんどだが、それでもずっと現場を見てきたものとしては、ああ、こういうことが起こるんだなあ、と思う。あと、今日はいつもよりも劇中に涙している人が多かったのではないかと思う。
このnoteでは、最終日には中身のことを書くのかなと思っていたが、なんとなくここではやめておこうかなと思う。

15時25分終演。じっとアンケートに手を動かしている人が多い。ゆるなかに出てくるお客さんたちとしばしおしゃべり。ある程度落ち着いたころ、客席のバラシからはじまり、撤収が進んでいく。きょうのうちに舞台監督さんが京都に帰るのもあり、今日のうちにすべて撤収することになっていたのだった。私はある程度荷物がまとまった段階で、舞台で使用したジェッサさんの自転車を、車で45分ほどのジェッサさんの自宅に返却するというタスクを請け負う。ドラマトゥルクはなんでもやるのだ。大学に返却する機材もついでに積もうと村川さんにケーブルを受け取ると、「明日ぐらいに、もっと良くなってるんです」と言われる。4日目、5日目があると、もっと変化していくだろうな、と、それは確かにそう思う。
浜村さんが借りてくれたワゴンを運転し、さすがに一人で運ぶ量じゃなかったので、観客としてきてくれた宮本さんと一緒にドライブ。ジェッサさんの自宅前に荷物をおろし、大学に寄り荷物をおろし、パピオビールームに戻ったのが18時半。すでにほとんどの撤収が終わっていて、AMCF関連の荷物を搬出しているところに遭遇。今回テクニカルスタッフのコーディネート関係でお世話になったAMCFの君島さんを見送る。このあとブルーエゴナクの公演の荷物も積むという。フェスって感じがする。会場に戻り、浜村さんに車の鍵を渡す。舞台で使用したベッドや椅子などの道具類はすっかり梱包されている。これらを佐川急便の営業所に持ち込むというので浜村さんについていき、同じ車で箱崎までドライブ。パピオという会場の特性や、京都の最近の事情(浜村さんはふだん京都で舞台監督をしている)についてお話をする。佐川で荷物を送り(10個口、総額30,000円弱)、そのままレンタカー返却、浜村さんを博多駅で見送る。打ち上げはすでにはじまっていて、村川さんから「早く来てー」とメッセージが来る。バスで天神の打ち上げ会場へ。20時すぎ着。

打ち上げ会場にはいろんな人がいた。村川さんとジェッサさん、田中さん、ジェッサさんのフィリピンのお友達たち、福岡市文化芸術振興財団の菅原さんと但馬さん、照明の森脇さん、ほかお客さんとしてきてくれた方々など。座ってビールを飲み始める。わりと打ち上げは好きな方で、とくに終わったあとは開放感があるのでいろいろ話したくなるほうなのだが、今日はそうでもない。村川さん、ジェッサさん、田中さんがいるテーブルだったけれど、ひたすら話を聞いている感じになる。遅れて、会場の撤収を終え豊山さん、前田さんと豊山さんのお友達が到着。全員で乾杯。
達成感がないかといわれればそういうわけでもないし、手応えがないかといわれればそうでもない。きっと、これで終わりという感じがぜんぜんしない、実感がないから、はーほっと一息だなー、という感じにならないんだな、と思う。もちろん、再演の可能性をさぐりたいからということもあるし、これからこのことをどう残していくか、どう研究につなげていくか、ということを考えたいから、ということもあると思うが、それ以上に、これから先につながっていくことが多いのだろうなあということを考える。

21時すぎ、ジェッサさんがフィリピンのお友達たち(この方たちもナースをやっていて来日し介護の仕事をしている人たちで、そのうち何人かは筑後弁であった)を連れてラーメンを食べにいくというので、ここでお別れ。「バイバーイ」と言い合う。田中さんも一緒にいくというのでここでお別れ。
テーブルを小さくして打ち上げは続く。席を移動した私は菅原さん、宮本さん、森脇さんがいるテーブルへ。森脇さんに照明の仕込み図面と台本を見せてもらったのが面白くて、現場でいろいろ変わりすぎているのもありすべて手書きで図面を書いているのに感嘆し「妹尾河童みたいですね」と言うと、菅原さんがちょうど読んでいた妹尾河童のルポを貸してくれる。

22時半ごろ解散。村川さん、豊山さん、前田さん、お客さんできてくれた九州大学の村谷さんと二次会。村川さんから、稽古が進むにしたがってあんまりこのnoteが書かれなかったことについて話がある。
本番前になるにしたがって、稽古場に入れてもらえないことが増えた。たしかに今回の作品はシビアなシーンも多いというのもあるけれど、何か作品が形になる瞬間というのは繊細なもので、そこにある集中力を邪魔したくないという思いはすごくあったので、そういうものだよなあ、と納得していた。だけど、さっきの飲み会で財団の菅原さんから、今回一番あせったのはいつですか、と聞かれ、「稽古場に入れてもらえなくなったころですかね」と答えたことも思い出す。やっぱりちょっと、残せなくなるなあ、という気持ちも持っていた。村川さんは、「一番大事なのは小屋入り後の稽古」と言い切る。そこで何が起こるのかをどう残すのか、っていうのは、難しいね、と言われる。このnoteをたまに自分の記録として見返してくださっていたという話もあり、それはありがたいなと思う。

お店を出る。当然終電はない。村川さんはもう一軒行きたそうな顔をし、「そうだ、ジェッサまだ飲んでるならジェッサのところにいこうかな」と、メッセンジャーで連絡を取り、タクシーを拾い、豊山さん、前田さんと出発する。私は脱落。「おつかれさまでした」と別れる。


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