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規範意識と、自己省察―村川拓也『ムーンライト』にみる「舞台と客席を使った表現」

「抜粋」される時間

 2020年10月31日・11月1日にフェスティバル/トーキョーのプログラムとして実施された村川拓也構成・演出による『ムーンライト』は、ピアノの発表会を題材とし、実在する人物の語りをもとにした舞台作品である。しかし今回の上映にあたっては、ピアノの発表会としても、実在する人物の語りとしても、どこか不完全な時間を観客は強いられることになった。
 本作の構成はシンプルである。ひとりのアマチュアピアニストである中島昭夫の半生についての語りを聞くことと、その思い出に紐づいたピアノ曲が実際に舞台上で演奏されることが繰り返される。前説をしていた村川の呼び込みによりガイドヘルパーに連れられて登壇した中島は、徐々に視力が失われ、現在ではほとんど見えておらず、客席が「霧がかかったように見えている」と言った。その後、幼少期から青年期にかけて、中島のピアノとの思い出を軸にしながら語りが繰り広げられる。途中、村川の東京でのリサーチを通じて出会ったピアノ演奏家たち(小学3年生のドレスを着た女の子から、おそらく音楽を専門的に学んでいるか教えている女性まで、4名の演奏家が順番に登場していった)による演奏がなされる。そしていよいよ最後に中島による、この作品のタイトルにもなっているルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番『月光』より第1楽章が演奏されるが、中島はそれをもはや弾くことができない。そして中島が「代わりにこちらを是非聴いてくれたら嬉しい」と映像を示し、過去の中島がピアノに向かい『月光』を演奏している様子がスクリーンに上映される。
 なお本作は2018年に京都で初演された作品の再演で、基本的な構造は同じであるが、中島以外のピアノの出演者に変更があるのと、細かな構成に変更があったようだった(*筆者は初演を映像記録でしか見られていないため、初演との差異については述べない)。

 ところで、ピアノの発表会とはどういうものか。豪華な衣装をまとった演奏者が、ステージの下手袖から出てきて、観客に向かっておじぎをし、楽譜を置く場合もあれば暗譜の場合もあるが、椅子に腰掛けてからすぐに立ち上がり、椅子の後ろにまわり、椅子の高さの調節をし、それでようやく演奏をはじめる。演奏が終わると立ち上がり、当初おじぎをした場所で再度おじぎをし、観客から拍手が得られる。観客は作曲者名や曲名や書かれたプログラムを読み、自分の子供の出番になると熱心にビデオカメラのディスプレイを見つめる。
 村川は初演の際に、ロームシアター京都の企画で京都市西文化会館ウエスティでの公演を構想する際に、来る日も来る日も地域の音楽教室によるピアノの発表会が行われているのを見て、今回はピアノの発表会を題材にするしかないと決めたと語っていた。
 その結果としての作品『ムーンライト』。これらピアノ発表会として強引に読み替えて解釈するとしたら、演奏者が演奏前に音楽にまつわる自分史の語りをしたうえでピアノを演奏する、という新しいタイプのピアノ発表会である。

 だが、この上演をピアノの発表会として見るのは、適切な部分もあればそうでない部分もある。たとえば、今回の観客は少なくとも、ビデオカメラ片手に鑑賞していた人はひとりもいなかった。また、プログラムに演奏する曲名が書かれておらず、曲名は村川が演奏者を舞台上で呼び込むときに口頭で紹介した程度だ。しかも、その曲名の扱いはいかにもぞんざいである。たとえば、最初に出てきた小学3年生の女の子が弾いた曲名は紹介すらされなかった(たしかヨハン・ブルグミュラーの25の練習曲より『バラード』だったと思う)。また、途中に『悲愴』とだけ紹介された曲が演奏されるのだが、ピアノの発表会であれば「ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番『悲愴』より第2楽章」と紹介するだろうと思う(多少文言に差はあるかもしれないが、楽曲情報としてはこの程度の情報は最低限必要である)。しかも、この第2楽章は、冒頭は耳馴染みが良いのだが、中間部に演奏者にとっての難関、いわば「見せ場」がある。しかしそれは時間の都合なのかカットされている。すなわち正確には「ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番『悲愴』より第2楽章(抜粋)」と表記されるのがより適切だろう。
 この「抜粋」は楽曲だけではない。京都の初演時と異なり、東京芸術劇場シアターイーストは普段はピアノの発表会をやっている場所ではない。そのため、ピアノの発表会が行われている場としてのコンテクストが省かれた状態で上演されていた。
 ピアノの発表会として守られるべきルールや、それが普段から当たり前に行われている場のあり方を「抜粋」した形で上演が進んでいったのだ。

 では、中島の語りはどうだったか。実際には、これもまた「抜粋」されていた。
 例えば、村川とのやりとりの中で、中島の語りが予定外の方向に転がってしまった時に、たびたび村川は「中島さん、その話はこのあとでする予定なんですけど」といったツッコミを入れている。だらだらと話しているように見せていながら、かなり構造的なインタビューの形式で話がすすんでいる。インタビューとは本来、聞き手の投げる問いに枠づけられ、話者がその枠の中で思考を展開するという相互的な行為である。しかしこの舞台上で行われているのは厳密にはそうした相互的なインタビューではない。話者である中島の即興性に対して、聞き手である村川は、基本的には段取り通りに進行する。会話が、村川によりまさにあらかじめ「構成・演出」されているのだ。
 聞き手としての村川の介入については、他にも気になる点があった。中島は、マイクを目で捉えることができないからか、腕の力が弱まっているからなのか、語っているあいだにどんどんとマイクを下に降ろしてしまう。その度に、村川は中島の近くに寄って行き、マイクを口元に持ってこようと中島の腕を引っ張る。それが何度も何度も、時にやや強引にも見えるほど、繰り返される。このような介入により、村川が中島の語りを「抜粋」し制御していることが前提での語りの場ということが強く印象づけられた。

舞台上の出来事を消費する観客

その「抜粋」はもちろん、観客がいるということを前提とした村川の作為である。村川は、観客との関係を考えたうえで、ピアノ発表会をよりピアノ発表会らしくこの場でやってしまうことも、中島の語りをより脱線を受け入れながら聞き続けることも、選ばなかったのだ。
 後半、明らかに観客に疲れが見え、姿勢を直したり座り直したりする観客が多くみられた。ただ、その中で、ピアノ演奏じたいの存在感は、上演の中で十分なアクセントとして機能していた。舞台作品の仕掛けというものは恐ろしいもので、不十分な「抜粋」がなされていたとしても、語りのあいだにピアノ演奏が挟まれている構造じたいの妙で、いつしか観客は次のピアノ演奏が始まるのを待ちながら語りを聞くようになる。それはもちろん、中島の語りが、行きつ戻りつする繰り言の冗長さを備えていたからという事情もあっただろう。そのいつまで続くのかわからない語りと対照的に、ピアノ演奏、という頼れるフォーマットに、観客は救いを求めていたのだ。
 そこで浮き彫りになっているのは、別の観点から考えると、客席としての観客の立ち位置の権力性とも言える。
 最後のシーン、中島は映像が流れているあいだずっと、うまく弾くことができなかったピアノの前に座ったままで待っている。映像の中にいるかつての中島が『月光』を弾ききったあと、映像が止まり、ステージに中島だけが残された状態で数秒が経過したあと、完全暗転となる。その時、映像が止まった瞬間、客席から拍手が起こったのだ。万雷の拍手、といった趣ではなく、見る限り全員が拍手している感じでもない。
 観客は、中島の語りを最初は興味深く聞き始めこそすれ、だんだんその冗長さに耐えられなくなる。時折挿入されるピアノの演奏に安心し、最後に中島によるピアノが失敗のまま終わり唖然とする中、中島の過去の映像を見て満足感を得る。
 だが、その拍手は誰の、何に対する拍手なのか。ピアノ発表会として、映像の中の中島に対する拍手なのか。それとも、その映像を「聴いてくれたら嬉しい」といった、いま目の前にいる中島の願いに対する拍手なのか。しかしその当人はもはやピアノが弾けなくなっているのにも関わらず、である。無邪気にこの映像の中の演奏に対して拍手してしまう「感動」と、ステージ上に置かれた身体やその現実との狭間で、たった数秒のあいだの沈黙を過ごす、この時間がまさにこの作品のハイライトである。

 終演後の観客の反応を見るに、この鑑賞体験に対し、感動を覚えた人も少なからずいたようだった。しかし、村川の、ある意味ではぞんざいにも見える、あからさまな「抜粋」に対して怒りをおぼえる人もいたようだし、その双方のあいだで、どちらにもなりきれずに戸惑っている人もいたように思う。
 怒りを覚えた人の感想としては、語りを強要され、泳がされ、弾けなくなったピアノを一生懸命弾かさせられている、中島に同情しているのかもしれない。一方、感動した人は、中島の人生物語とピアノとの関係に鑑賞者自身の人生を重ね合わせたりしたのかもしれない。そして、戸惑っている人は、「抜粋」しながら投げ出された中島の人生をどう受け取れば良いのかと戸惑いつつも、そこに答えを提示しない村川の手法に芸術性を見て、手放しに賛辞を送るかもしれない。
 しかし、その反応のいずれもが、観客と舞台とのあいだに引かれた境界線を飛び越えようとしていない。感動も、怒りも、戸惑いも、結局は、中島の人生を、境界線の向こう側にあるものとして消費しているように思えてならない。境界線で遊ぶことができるのは、往々にして境界線を引く側である。では、線を引かれたその向こう側で生きている人は、そのまま置き去りにされていくのか。

「舞台と客席を使った表現」

 この、感動と、怒りと、戸惑いの間に観客を置くことは、村川による演出でもあり、その観客の感情の揺れは、村川自身の事象への眼差しそのものでもある。
 村川の舞台作品の制作手法は、ドキュメンタリー映画を学んでいた経緯からくるもので、ある人間の生活や行動、日々の行為を丁寧に見つめていくところからはじめ、それを舞台の上で再現可能な形に「演出」していくというものだ。『Pamilya(パミリヤ)』の制作プロセスを同席した限りの筆者の経験で言えば、村川は出演をお願いする人物と徹底的に関係を築く。といっても、ただ単に仲良くなるというわけではない。何度も何度も話を聞き、時には動きを見たり、食事を共にしたりしながら、舞台上で再現される瞬間を見定める。それは、『ムーンライト』の場合は「語り」であり、『Pamilya(パミリヤ)の場合は「動き」であった。
 そのものを、そのまま舞台上で見せつけすぎると、生々しすぎる。そのことに対して村川は、まず人と出会い、そこで発せられる言葉や、行われる行為を深く見つめることからはじめ、行為を媒体にして、そこにいる人との関係を紡いでいく。村川はそれに「抜粋」を、換言すれば「編集」を加えることにより、対象への出会いに対する自分なりの答えを出している。
 それは、「高齢者で」「目が見えなくなった」「ピアノが弾けない」「男性」ではなく、中島という人物そのものと村川との対話の痕跡としての「抜粋」である。
 『Pamilya(パミリヤ)』のブックレットで、彼は次のように語った。

あなたやわたしはこのようにしか生きられないんやっていう烙印みたいなものと、他人への憧れ、というのがあると思います。例えば、お客さんってものすごい差別的な目で舞台上の人間を見てると思うんです。演技がへたくそやなとか、不細工やなとか、足短いなとか、変な癖あるなとか、すげえ服ダサいなとか。その、最初は差別的な目で見てたのが、憧れに変わったり、私もあのように本当はしたいのに現実世界でそれができてないなって思ったり、あの人のことは嫌いやって自分で決めてしまっている自分の限界を感じたりとか、逆にこういうものが好きやと言ってしまうのも烙印やと思うんですけど。
実際、本番に出演する人が1番大変です。その人を介して観客はなにかを想っていくわけやから、大変。もちろん頭の中で起る事ですけど、たとえば、殴られるし、唾かけられるし、抱きしめられるし、セックスを要求されるし、悩みごと聞かなあかんし。お客さんは舞台上にいる人を見て、いろんなことを想像している。それを出演する人が全部受け止めなあかんから。お客さんの中で行われるあらゆることは、演出家や演者だけでは制御しきれないですよね。舞台に上がるっていう事はそれぐらいの圧力は絶対あるから。

 村川は自らの表現を演劇とは呼ばず、「舞台と客席を使った表現」と呼ぶ。その考えを借りれば『ムーンライト』で行われる表現は、人の人生やピアノ発表会をそれぞれ「抜粋」し舞台上で示しつつ、その現実を観客に投げつけている表現であると言える。観客が舞台上に抱く烙印、換言すれば常識や規範意識を問いかけるとともに、観客が抱く想像力の限界を問いかけているのである。
 その意味で、村川が中島から話を聞き続けるのをただ観客が見続けるという行為は象徴的だ。
 村川の場合は、この方法を取る。しかし、観客一人ひとりは、どのように、この中島という人物と向き合い、出会い、接することができるのか。そのような問いを、村川と中島が身をもって、舞台上から客席に投げかける表現であったのだ。
 映像が途切れたあの数秒のあいだに拍手できなかった観客は、中島に対する村川のまなざしに対して、自己の振る舞いを省みようとする者だったのだろう。『ムーンライト』は、観客としてのうのうと鑑賞しているあなたは、では、現実をどのように「抜粋」し表現するのか、という、自らの価値観を問うための、村川からの疑問符だったのかもしれない。

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