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191020  KYOTO EXPERIMENTを観ている

京都にいる。
10月5日から開催されているKYOTO EXPERIMENTを、できる限り予定が合うものは観に行くことにしようと思っていたら、わりと他の出張の都合などをつけられて、いい感じに数作品観られている。もちろん全部は観られないのだが。
ちなみに観た作品は
庭劇団ペニノ『蛸入道 忘却ノ儀』
ブシュラ・ウィーズゲン『Corbeaux(鴉)』
久門剛史『らせんの練習』
グループ展「ケソン工業団地」
そして今日はこれから
ネリシウェ・ザバ『Bang Bang Wo』『Plasticization』
を観る。来週も来る予定。

KYOTO EXPERIMENTを観ることにした理由は、村川さんがキャリアを形成した京都での舞台シーンが知りたかったことと、今回の公演の制作をしている方が広報で関わっていること、といった、人に依存した理由である。
だが結果として、今回ドラマトゥルクと称して担うことのイメージももらえる機会となっている。作品としての強度がいずれも深く、インプットが多い。演劇というより宗教行事というほうが表象するうえでは近い作品や、演劇祭ではなく「舞台芸術祭」であることの強みを活かした作品もあり、演劇というものの幅を拡張していることに驚く。そして、観客層が比較的若く、演劇の常連客ふうの(ってどういう風貌のことをいっているのはわからないが)人ばかりではなく、いろいろな人が来ているように見えるのも好感が持てる。

ブシュラ・ウィーズゲンの作品が今現在ではもっとも印象に残っている。
私が観た回は二条城の中にある野外空間でのパフォーマンスだった。案内されるがままにその空間に連れられ、なんとなく円で取り囲むように観客が並んび、しばらく待っていると、パフォーマーとおぼしき女性たちが一人ずつ現れる。全員(9人ほどだったか)がそろった瞬間、その中のひとりの女性がアタマ拍の合図を出したかと思うと、舞台にそろった女性たち全員が、ウラ拍を取るように、頭を上げ下ろしし、そのリズムに合わせて、叫びとも歌ともつかないような声を、出し始める。まるで何かの動物の群れーー公演のタイトルは「鴉」であるのでおそらく鴉なのだろうーーの儀式のようなそのシーンが、途中でどんどん声を出す人が減っていくまで続いていく。演じている側はもちろんであるが、聞き入っているこちら側も、だんだんとトランス状態になっていく。その後、全員の声が止んだところで、うって変わったように、どこかの部族の歌のようなものを、全員が笑顔になり、お祭りの雰囲気のように合唱し、踊り、走り回るのだが、公演時間の約40分のうち、4分の3くらいの時間が、その儀式のようなシーンに費やされる。

言葉で説明しようとすると、ただそれだけの作品である。

だが、「ウラ拍を取るように」と一言で言うが、その合わせ方はひとりひとり違う。頭の上げ下ろしの順番や、上げ下ろしの方法、出す声の質や音程、言葉なども、ひとりひとり全然違う。じーっと観察していると、ひとりひとりの、声を出す時の口の形や喉の鳴らし方、大声を出そうとするときの力の入り方、微細なところがどんどんと鮮やかに見えるようになってくる。おそらくモロッコの儀式にインスパイアされているのかもしれないが、何か別の国の宗教的な儀式にも見えてくるし、即興音楽のセッションをしているようにも見えてくるし、それぞれの呼応関係もときどき見えてくるようになる。

作品の紹介文には

モロッコの現状やアーティスト、女性が社会の中でいかに位置づけられているかに関心を寄せ、パフォーマンスのみならず、サウンドや映像を駆使した作品を発表している。
(引用元:https://kyoto-ex.jp/2019/program/bouchra-ouizguen/

と書いてあるので、当然、モロッコというアフリカの国からきていること、それに、演者がすべて女性があること、という記号として感受しがちである。かつ、今回のパフォーマンスも、ただリズムに合わせて首を上げ下げしながら叫ぶというだけの作品ということもできる。
現場に立って考える、ということは、そこにある微細な出来事を、丁寧に見つめていくことでもある。

記号として理解したふりをするのではなく、その場に対峙し、立ち止まり、自分の言葉で考えること。

「表現の不自由展・その後」の抽選には当たらなかったので名古屋でこの機会に恵まれなかったのは心底残念であるが、このような時だからこそ、こうした芸術鑑賞の基本的なあり方についてはもっともっと言葉を尽くしていきたい。

そして、こうしたことを考え、自分の言葉をみつけていくために、アフタートークなどに参加できることは本当に役に立つ。が、残念ながら今回はその機会に鑑賞することがほとんどできていない。だが、今回のKYOTO EXPERIMENTでは別のいくつかの手段で、アーティストによるコンセプトや考えの解説を聞くことができる。その一つが「KEXニュース」である(ほかにも「感想シェアカフェ」というものもある)。

「あの動きがどこから来たのかというと、モロッコの歴史を見ても現代でもそうなんですけど、頭を使った動きというのは、特に儀式や祭りで使われることが多いんですね。何か嫌な事があったり、強く何かを感じる事があると、まず最初にリアクションとして見られるのが頭での表現です。」…
引用元:KEXニュース4 ブシュラ・ウィーズゲンインタビュー

村川さんは今回のKYOTO EXPERIMENTに作品を出展してはいないが、この「KEXニュース」(KYOTO EXPERIMENTはKEX[ケックス]と現場の人たちには略されている)を、フェスティバル開催期間中に毎日発刊している。
私も少し手伝うことになっている。そういったこともあって、私は京都に何度か足を運んで、雰囲気をつかもうとしている。

KYOTO EXPERIMENTが終わったころから、2月の公演の準備が本格的に始まる。


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