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ネットワークになるアクター:マルレーベル『一等地』

「全編を通じて、舞台上に存在する人は、そこにあるものの存在を確認します。」と、当日パンフレットには書かれている。地下鉄七隈線「櫛田神社前」駅が直下に開業しアクセスが至便となった、福岡中心部にあるビルの4階に位置するぽんプラザホール(福岡市)で、マルレーベル『一等地』が2023年11月10日に初演された。
本作は、舞台上にいる人とモノとの関係、もしくはホール内にあるそのほかの様々な事象と共にある、演劇を用いて創出された時間そのものだった。

マルレーベルは福岡を拠点としたプロジェクトで、コンセプトごとに参加者を募集し作品制作を行っている。今回上演された『一等地』は、マルレーベルが取り組む「光景」シリーズの2作目で、戯曲を基にするのではなく、長い時間をかけて稽古の現場で試行錯誤しながら構成やシーンを決めていくスタイルを取っている。前作『る?』では参加者みんなで稽古の時間に大きな絵を描きそれを基に作品を制作していた。それに続く本作は「まずは身体からはじめてみることにこだわって」、半年以上、また300〜400時間をかけて、時にはオンラインでの稽古も交えながら作品が制作されてきたという。
構成・演出を務めた加茂慶太郎は、これまで所属した劇団では俳優のほか作・演出も行い、また福岡学生演劇祭の運営にも携わるなど、福岡における若手演劇シーンの中核を担う一人である。加茂は、必ずしもプロの俳優が十分に活躍できる場が豊富ではない福岡の地で、プロであるかを問わない人々とどのようにオリジナル作品をつくっていくかを試行錯誤したうえで、マルレーベルというプロジェクトを試行するに至ったという。

舞台は、俳優としてクレジットされている藤嶋美月、米德優里恵と加茂の3人により上演された。部分的には即興的な表現も交えながら、ストーリーといえるストーリーはないまま、「とむらいゲーム」「実況中継」などと当日パンフレットには書かれているシーンが順番に上演されていく。3人による会話のシーンがあったかと思えば、舞台から袖にハケていく動作をただただ繰り返すシーンがある。シーンの一つ一つは役者3人が無数の時間をかけてやりとりしていった中で生まれたものであろうが、個々のシーンにこれといった脈絡があるわけでもない。そのため観客にとっては、何かこのシーン同士につながりがあるのかもしれない、と想像し、この作品が投げかけようとしている意味は何であろうかと考えあぐねながら時間を過ごすことになる。しかし、上演が後半になるにつれて次第に観客は、その問いを発すること自体を自らに問いかけるようになってくる。すなわち、この上演を作品として捉えようとしていることの意味は何であろうか、と。

そしてよく目を凝らしてみると、舞台上の身体動作や行為の多くは、他の舞台上で起こっていることとの相互行為により行われていることがわかる。
例えば、「実況中継」と書かれたシーンは、米德と加茂の2人による動きのシーンである。上手のやや奥におり正面を見ながら立っている米德は、自らの身体がいまどのような状態であり、それが自然とどのように動いていくかを確認し、それを「右足に体重がかかっています」「だんだん身体が傾いていきます」などと言葉で実況している。下手のやや手前に同じく立っている加茂は、いつしか米德が語るその言葉を手がかりに、自らの身体でそれを再現しようとする。立ち位置の関係から、加茂の視野に米德は入っていないため、加茂は米德の言葉だけを手がかりに動く。結果的に、2人が行う動きは少しずつであるが異なるものになる。
加茂は米德が発する言葉との関係において身体を動かしており、米德もまた、自らの動きを観察することによりそれを言葉にして翻訳している、という関係によって舞台上の表現が生成されている。

またもうひとつ特徴的なのが、モノとの関係である。
舞台のはじまりは3人が順番に、舞台上にさまざまなモノを、まるでそれぞれに置き場があるかのように設えていった。円柱型のカラーコーン、丼、レジャーシート、ゴミ箱、植木、飲みかけのお茶が入ったペットボトル、バランスボール…。
そしておもむろに始まった「とむらいゲーム」のシーンでは、藤嶋が最近思い出のハンカチを紛失してしまったことを懺悔し、それにカウンセラーのような語り口調の加茂(なぜかバランスボールに座っている)と、アシスタントのように居る米德が聞き手となって見守り始める。無くしてしまったハンカチがいかに大切な思い出のあるものであったかが藤嶋により語られ、「踏まれたりしないで、安全なところにいてほしい」と思いを共有する。そこで突然加茂が、これまでの話題提供に感謝しつつ「今からハンカチとおしゃべりをしていただきます」と言い、米德に「ハンカチ」になるように促す。藤嶋と米德はぎこちなく、とつとつと会話を始め、米德は「見つけに来てもらうのは難しいが、大切にしてくれた時間や記憶は残っている」と語り、藤嶋は「ありがとうございます」と応答し、ハンカチへの思いをなおも語る。人がモノになり、モノが人になる。ほかにもモノにたいしてマイクを向けるシーンがあるなど、舞台上の人と人との関係だけでなく、人とモノ、モノとモノの関係によってもまた、表現が生まれていることがわかる。
さらにそれだけではない。「とむらいゲーム」のシーンが終わり、藤嶋が退出したあと加茂は米德に、「ハンカチさんは今どこにいるんですか?」とたずねると米德は、駅からすぐの建物の4階にいると話し、「見てます」と答える。
観客はここで、ハンカチの居場所がもしかしたらこの、ぽんプラザホールの客席であるかもしれないと気づく。

ブルーノ・ラトゥールらにより提唱された「アクターネットワーク理論」は、人間だけでなく、人工物や自然物もまた行為する者(アクター)であると捉え、そのアクター同士が変化しながらネットワークを生み出し続けることに着目した。微生物の存在は、顕微鏡の存在によって、はじめて私たち人間の前に顕在化する。そのときには顕微鏡もまた、人や微生物と同様にアクターである。こうした考えのもと、科学技術の展開や社会的な事象を、既存の理論で当てはめ論じる前に、アリのような目線で(Actor-network-theoryの頭文字はANT=アリである)、細かなネットワークのありようを分析する視点を提示し、社会学や人類学のみならずさまざまな学術分野に影響を与えている。

マルレーベルの作品制作プロセスや、結果として「作品」として上演された『一等地』は、微細で辛抱強い稽古でのコミュニケーションを経て、舞台上にいる人同士、または人とモノ、モノとモノの関係、さらにはそのネットワークが生成的に変化するプロセスを体現している。この場で起こっているのは「作品」なのかそうでないのか、俳優(=アクター)が演じているのは即興なのかそうではないのか、ストーリーはあるのかないのか、といった枠組みから遠く離れ、そこにある身体と空間がもたらす現実による相互行為のみによって、演劇的コミュニケーションの原初的なあり方を照らし出している。ストーリー性から離れ、コレクティブ的な制作プロセスにより、新たなオリジナル表現のあり方を模索している。さらにそのネットワークの網の目は、アフタートークでの観客とのやりとりを見るに、客席にも十分に広がっているように思われた。

なお、こうした曖昧な表現を舞台で見せるにあたっては、時に誇張し、時に下支えしながら空間を創出する菅本千尋による照明と、ささやかな場の雰囲気づくりに貢献する吉田めぐみによる音響という、舞台技術の面からの繊細なコミュニケーションが行われていることも忘れてはならない。

『一等地』は、2023年11月10日から12日まで福岡・ぽんプラザホール、17・18日に大阪・聖天通劇場、12月1・2日に神奈川・STスポットで上演される。
https://sites.google.com/view/mullabel/project/koukei/primeplace

帰り際、ぽんプラザホールの出口でもある大きなエレベーターに乗り込もうと扉が開くのを待っていると、マルレーベルのメンバーから「あれ、誰かが乗っているかも」と言われる。実際には扉が開いても誰も乗っていなかったのだが、そのあと扉が閉じられ、広いエレベーターに1人になると、ボタンの横に貼られた貼り紙の切れ端が、換気扇に煽られてパタパタと音を出していた。

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