石巻 再生へ漕ぎ出そう

                                                                                         2020年9月
                                                                       ジャーナリスト相澤雄一郎

私は6月から相澤ブログを開設、東日本大震災後の亀山紘石巻市長をトップリーとする復興の現状を追跡してきた。大川小74児童の人災、疑惑の災害復興工事など取り上げた。「石巻政争の町」についても書いた。私は1980年、昭和55年4月、地域新聞「石巻ほく」創刊の現地責任者として石巻市に赴任した。青木和夫さんが市長だった。黒須光男さんが宮城県県議で青木、黒須両氏の「A・K政争」が石巻政治を動かした。戦後の石巻復興に貢献した千葉堅弥市長を含めて書く。

2021年4月25日に石巻市長選挙が決定。
3期任期満了の亀山紘市長は退任する公算が強い。
震災復旧復興費1兆2千億円。
新蛇田復興公営住宅建設費3億4千万円上乗せで市長を背任告発。
仙台地検は疑惑なしと不起訴。行政トップの市長に疑惑は残る。
秋田県湯沢出身の菅義偉官房長官が第99代首相
震災復興10年目の石巻はどうなるのか。

 私は地域新聞「石巻かほく」を1980年(昭和55年)に創刊した責任者。三陸河北新報報社長6年間、ラジオ石巻社長9年間務めた河北新報の新聞記者である。本社で報道部長、編集局長、常務取締役などして地方新聞社のジャーナリストとして活動してきた。旧ソ連、中国、北朝鮮、アメリカなど取材した。
 石巻は世界3大漁場の三陸沖を抱え、豊かで多彩な歴史・文化のある太平洋に面した海の町だった。石巻に赴任した当時は合併前で1市9町をマイカー取材。女川原発1号機の建設中でしばしば女川町の現地に行った。
 私は1934年(昭和9年)秋田市生まれ。満86歳。亀山市長と浅野亨石巻商工会所会頭が組み合った疑惑の実態をレポートする「病める『海のまち』・闇」を2016年(平成28年)9月、東京のモッツコーポレーションから出版。平成18年(2016年12月、肝細胞がんと診断され、仙台厚生病院で肝臓の3分の1を東北1の胆管膵臓の名医の摘出手術を受けた。手術だけで抗がん剤、放射線治療を受けず天然素材の健康食品を口中で毎日2,3服、水なしで舐めて服用。血液の免疫力高めて再発しないで生きてきた。誕生日の2020年9月9日、仙台厚生病院で診察を受けたが異常は全くなかった。
 平成29年3月28日の石巻市長選挙では私は黒須光男市議の選挙対策本部長を引き受けた。黒須さんは31歳で県議初当選、7期県議、浅野史郎知事時代に副議長になった。「暴れん坊県議」と言われた。黒須さんは市長選で3位で敗れたが、5月13日の市議会議員選挙に出馬、当選して亀山市長の疑惑攻撃を再開した。亀山市長は当選1月カ月後の5月25日、市長室を訪問した関西音楽家で構成する知人たちに2020年度末に完成予定の複合文化施設を花道に引退したい」と語った。5月26日付の「石巻かほく」1面に大きく載った。市民からは4年間の任期をきちんとすることが先ではないかという批判の声が出た。トップリーダーとしての亀山市長の行動、市政運営はひど過ぎる私は思っている。私は自分の「目、耳、足」で取材して「おかしいことはおかしいと書く」ことをモットーにしてきた。私に対する批判もある。年齢は85歳を過ぎている。「石巻は政争の町」と以前から言われてきた。 黒須さんは亀山石巻専修大学教授を「チェンジ石巻」に担ぎ出しを図った。それが思い通りにいかなかった。私も黒須さんの選挙対策本部長就任したので、黒須さんの政治行動、石巻全体の歴史、歩みなどもっと検討すべきだった。「政争の町」は複雑だ。歴代の市長を良く知っているが、石巻に赴任した当時の青木和夫市長は「市長は3期」というのが信念で昭和59年11月に退任、助役の平塚慎治郎さんにバトンタッチした。ただ平塚さん出馬にはいろいろ複雑なことがあった。私は4月に河北新報本社に戻り報道部長になった。青木市長は石巻専修大学誘致に成功した。森口専修大学理事長・学長と信頼関係築いたことは青木さんの功績だ。石巻商業、小樽高等商業、昭和49年の競争率20倍以上の東京商科大学(現在一橋大学)に入学。卒業後、三井商船(東京)に入社。日本の貿易、海洋国家づくりしようと考えた。外交官も考えたそうだが父親がガス会社を経営したので石巻に戻り石巻青年会議所理事長、石巻ガス社長。
 当時の石巻市長は千葉堅弥さん。3期12年間市長をして工業港、進漁港などを建設、10万都市石巻を築いた貢献者で「名誉市民」。石巻商業卒。明治大学専門部政治学科卒業して川崎のバス会社で組合活動、民社党参院議員秘書から石巻市長選挙に立候補。5人出馬。石巻商業グループ応援で当選。3期目に青木和夫さんと対決したが青木さんは1万票差で落選した。千葉さんは国会出馬を検討したが見送り、助役の伊勢輝男氏を出した。青木さんは首長は自民党だとして出馬、4千票差で初当選した。青木さんは落選中は本当に苦しかった内海英男代議士はじめお多くの方々にお世話になった。市長は3期で退任するべきだとか思ったという。


2021年4月25日は石巻市長選挙が決まっている。「亀山市長3期の足跡」は私の出身地秋田県から初めて内閣総理大臣になった菅義偉さんはどう思うだろうか。
私は「石巻 再生へ漕ぎ出そう」をスローガンに6月から相澤雄一郎部ブログを開設した。河北新報の新聞記者を60年以上してきたので 自分のパソコンに入力した内容が数多くある。すでに入力した文章に追加していく。「QRコード入りの名刺」を作ったのでお渡しする。読んでほしい。
 「石巻チェンジ」に斎藤正美県議グループも入っていた。
宮城県の政治経済情報誌「パロス(灯台)を発行した福田清彦さんがいる。私の友人だが東日本大大震災が発生した平成23年3月11日、南三陸町役場の町議会で取材中、大津波に襲われ水死した。60歳ほどだった。2009年1月号(石巻版)1月号で「政争の街」石巻市政を検証する!4月市長選 土井市長vs亀山教授の舞代裏」を書いている。その中に「昨年12月20日、地域活性化集団チェンジ石巻」が結成され石巻専修大学教授亀山紘教授(66)を市長候補として擁立することを決定。12月24日にグランドホテルに招いて立候補要請の決議文を手渡した。黒須氏と斎藤正美氏は仇敵,犬猿の仲は石巻政界では知られている。土井市長追い落としの集団である。これも「政争の町」石巻の1面である。

ここからは青木和夫さん、平塚慎治郎さん、黒須光男さんのことについて触れておきたい。黒須光男市議は青木和夫市長と「A・K政争」の中心人物であり、私は経過津よく知っている。2人は本を出版している。黒須光男さんは「小説 政変石巻 闇の中での政治家たちの戦い」。筆者は野上茂さん。石巻新聞社編集部長、ラジオ石巻社長をした。石巻の政治の状況を細部にわたって書いている.持っている方も大勢いるだろう。青木さんは「石巻政界ドキュメント 青木市長の5千日」。青木さんの親しい友人が書いた。私はいずれも所蔵しているが、内容はここでは書かない。青木さんが3期で退任することは外部に隠していたが、武藤英光県議を市長候補にしようと伝えていた。武藤県議はそれを黒須県議に話した。黒須県議と連携すれば市長当選は確実と思ったのか。青木さんは黒須県議対立してきた。助役の平塚慎治郎さんは70歳代で青木さんはバトンタッチするつもりはなかった。「武藤、黒須連合軍」は反青木市長になる。青木市長は平成29年11月市長選挙に自民、民社、社会、市民青連合体制を組み1万人集会を開催するなど武藤市長阻止を図った。その間に汚職で石巻市議逮捕事件もあった。私は同年4月に河北新報報道部長なり石巻の経過を見てきた。平塚慎治郎候補が32789票、武藤英光候補27898票で平塚市長が誕生した。共産党、無所属2人が立候補した。昭和60年6月3日、宮城県知事室前は平塚市長、斎藤市議会議長、若生商工会議所会頭、市建設部長ら20人近い石巻大陳情団が訪れた。黒須光男県議か平塚市長と連携、石巻市政の発展に協力するようになった。青木さんは平塚市長実現に5千万円以上の選挙費を使ったようだが、選挙資金の分担をめぐって平塚さんとトラブルがあった。平塚市長は3期務めて退任した。2期目はルネ館事件でリコール退任した菅原康平市長との選挙に勝った。石巻市は「政争の町」今も続いているのだ。
 20201年4月25日、石巻市長選挙が行わる。亀山紘市長の後任市長はどうなるだろうか。


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