石巻 再生へ漕ぎ出そう
勝沼栄明氏がなぜ石巻市長選候補なのか
2021年1月10日
ジャーナリスト相澤雄一郎
私は2016年(平成28年)9月10日、高須基仁著の「病める『海のまち』・闇」という本をモッツコーポレーションから出版した。2011年(平成23年)3月11日午後2時46分発生した東日本大震災の実態を書いた。河北新報石巻総局長で地域新聞「石巻かほく」編集局長である私がほとんど書いた。4年間石巻に勤務したので亀山紘市長、参謀役の浅野亨石巻商工会議所が国交付の1兆2千億円の復興・復旧費を疑惑の中で使い込んでいたことを知っている。大川小学校74人の児童と10人委員が大津波で亡くなったのは無責任な校長がいたからだ。亀山市長は3期12年で退任すると表明しており、4月25日に市長選挙が行われることが決まっている。だれが後任市長に立候補するかはこれからだ。石巻市民たちは自分たちが住んでいる石巻は「政争の町」であることを知っている。私は河北新報新聞記者を50年以上やってきたのでいろんな情報を持っている。昨年6月から『石巻 再生へ漕ぎ出そう』という相澤ブログを設定し書いている。石巻を発展させたい願いからだ。
私は「駆け出し記者のころから自分の目・耳・足」で書くことモットーにしてきた。
私は肝細胞がんになり、平成18年(2006年)12月、仙台厚生病院で肝臓の3分の1を切除された。抗がん剤、放射線治療など行わずに天然素材の健康商品を服用して満86歳の現在まで15年間生きている。「藍プロポリスA」という食品。漢方薬のようなもので日本の薬事法では現在認められない。自己免疫が高まるのでコロナにもかからないようだ。
「がんからの脱出」という自著を2019年(平成31年)4月、モッツコーポレーションから出版している。
「病める『海のまち』・闇」は展望社から出版されたが私は100冊程所有している。石巻が生んだ天才彫刻家高橋英吉さんは32歳でガダルカナル島で戦死した。海の3部作の
潮音像をガダルカナル島平和公園に昭和56年(1981年)10月、建立された。その銅像は無くなっているという。盗まれたというが、本当かどうかは知らない。石巻の文化活動を取材してきたので、私はサントリー地域文化賞に申請して文化賞を受賞した。100万円を受けたので市図書館長の橋本晶さんら20人がお金を出し合って橋英吉さんの青春遺作写真集を出版した。私も1冊持っているが宝物だ。映画も制作され文部省の推薦で広く上映された。あのころは「燃えた海のまち」があったのだ。
震災後ちょうど10年になる。市長選挙の動きをジャーナリストとして見ていると石巻 市議会は一体何を考えているのかと言いたい。勝沼栄明氏(46)は元自民衆院議員で中央にもつながりがある。5区には安住淳さんという立憲民主党国対委員長がいる。勝沼さんは2020年1月、統合型リゾート(IR)をめぐる中国企業500ドットコムからの献金疑惑で東京地検特捜部から石巻市の選挙事務所が家宅捜査を受けた。お金の授受はあったが事件になっていない。私は石巻の闇を報道してきた。だから「石巻 再生へ漕ぎ出そう」というブログを設置して大川小人災などを報道してきた。私は政治家勝沼さんを批判しているのではない。東京地検から家宅捜策を受けた政治家が疑惑の残る石巻市の市長になるのは不適でないのか。1月12日付の河北新報によると、若手事業人約20人でつくる「活性石巻若手を活かす会」(草野雄大会長)は勝沼栄明氏に石巻市長選に立候補することを正式に要望した。カジノを含む統合型リゾート施設(IR)事業に絡む東京地検特捜部の捜査について会員から疑問の声が出ているという。勝沼氏は「法的に問題はない」と言っている」が、私はジャーナリストとして市長選挙に出ることは今回、見送った方がベターと思う。石巻は「政争の町」であることを私の「石巻再生へ漕ぎ出そう」というブログに書いている。インターネットを索引すれば出てくる。
日本の総理は菅義偉さんだ。私の出身は秋田市。菅総理は秋田県湯沢市出身。勝沼さんが石巻市長を目指すというなら86歳の相澤雄一郎が出馬するかもしれない。しかし、私は出馬しない。
阿部和芳市議(60)は2021年1月19日、石巻市役所記者クラブで出馬表明した。阿部さんは市議会議長をしているし石巻の現状を良く知っていると思う。石巻市にはいろいろ課題がある。市長になるなら今後の財政、200人の職員減などどうするのか。石巻の発展、活性策など提示することだ。石巻市議会が勝沼栄明氏をなぜ石巻市長に擁立しようとするのか。実態について私は触れたくない。
東日本大震災から10年過ぎた。私は1980年4月、地域新聞「石巻かほく」創刊の現地責任者として赴任した。日和山公園の北上川を見下ろす場所に川村孫兵衛の銅像を石巻市制50周年を記念して昭和58年(1975年)河北新報の寄付で建立した。仙台の彫刻翁観二さんが制作した。川村孫兵衛重吉の墨絵の肖像画は旧河南町の八雲神社にあり、私が建てる場所をモデルになって選定した。石巻の思い出ではいろいろある。
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