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グリーン/緑の記憶

家の近所の田畑のあぜ道を、まだ赤ん坊だった弟を乳母車に乗せて母と私、妹と4人で午後の散歩に出かけた。私がまだ小学校低学年位の小さい頃のことだ。

初夏頃だったろうか? ちょうど気候がいい季節。畑は苗がだいぶ育って来ていて一面グリーンだった記憶があるので植わっていたのは麦かもしれない。
あぜ道といっても、アスファルトで舗装されていて、用水路が通っている道の一部が水路のトンネルで少しだけ盛り上がっている所があった。乳母車を押す母の手も、それほど苦ではなかったのだろう。母も少し気分が良かったのか、坂で手を離して乳母車を滑らせてスピードをつけるというおふざけのようなことをしていた。
もちろん坂と言えないくらいの小さな道の盛り上がり程度なので、危ないことはない。妹や私が乳母車の行く手を塞いで、暴走しないよう止めたりしたような記憶もある。弟はまだ乳幼児だったため、言葉を発せずその時どういう気持だったか知る由もないが、泣いたりすることはなかったので平気だったのだろう。もしかしたら鬱陶しかったかも知れない。それとも弟も家族に囲まれて幸せだったのだろうか。

妹はただニコニコしていて散歩についてきていた。歩きながら話した内容は覚えていないが、笑いながら屈託なく話していた。かわいい弟が出来て嬉しかったのだろう。

その時の散歩に父は同行していない。平日の昼間なので間違いなく仕事だったのだろう。その場所に父が参加出来なかったは申し訳なく残念だ。ただ父が家族なかで一人、家族を養うために働いてくれていたからこその、平和な午後のひとときだったことは間違いない。

これが私が思い出せる限りの、最も幼い頃の一番幸せだった頃の記憶だ。

明るい日差しが照っていたような気もするし、気候が過ごしやすかったから薄曇りの天気だったかもしれない。時間の移り変わりによって両方の天気だった可能性もある。暖かく涼しい散歩しやすい天気だった。

一面の緑色の中に幾何学模様のグレーのラインが張り巡らされている。そのラインを、温かい光の粒のかけらのようにまとまって笑いながら歩く親子。そのうちだんだんと視線が上空に舞い上がり、次第にその光のかけらは小さく小さくなっていきやがて見えなくなる。


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