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Positivismは唯一の「適切」で「まっとう」な政治学の方法論か?

これまで国際政治学の世界では、さまざまな国で、さまざまな時代に、その方法論をめぐって長らく多様な論争がなされてきました。

その中でも、「第一大論争(the First Great Debate)」と呼ばれるものが、E.H.カーが『危機の二十年』で論じたような、1930年代の「ユートピア主義(Utopianism)」と「現実主義(Realism)」との対立、そして「第二大論争(the Second Great Debate)」と呼ばれるのが、1960年代の、「行動主義(Behaviourism)」と「伝統主義(Traditionalism)」との対立とされています。

そしてその後、1980年代の「ネオリアリズム」と「ネオリベラリズム」の対立、そして1990年代の「ラショナリズム」と「リフレクティヴィスム」の対立と続き、現在のアメリカの国際政治学の世界では「ラショナリズム」と「ポジティヴィスム」が支配的であるように感じます。将来は、またそのような理論的な潮流が変わっていくこともあるのでしょう。

このような学説史、論争史からすれば、現在のアメリカの学界における方法論的な潮流も一時的なものであり、たとえば20年後には大きくそれが変わっていくこともあるのあろうと思います。アメリカの学界の強みは、「新陳代謝」と「変化」だと思います。つねに新しい方法論や知見を歓迎し、従来の学問的視座をトマス・クーン的に「パラダイム転換」し、大きく変容させていくことで、ダイナミズムが生まれ、一定の学問の発展が見られるように感じられます。

そのように考える場合に、「科学」というものが、時代とともにそのアプローチにも変化が見受けられます。現在のアメリカのpolitical scienceにおいては、データや資料などが極めて重要視されます。そのような方法論を、哲学的には「ポジティヴィスム」と呼びます。例えば、Oxford English Dictionaryでは次のように書かれております。

Positivism
1. a philosophical system recognizing only that which can be scientifically verified or which is capable of logical or mathematical proof, and therefore rejecting metaphysics and theism. (科学的に検証可能、あるいは論理的もしくは数学的な証明が可能なことのみを認知する哲学的な体系であり、それゆえ形而上学や有神論を拒絶する。)

Oxford English Dictionary

おそらくは日本語では、positivismは「実証主義」と訳すのがもっとも近いかも知れません。

このような「科学的に検証可能」なもののみを「認知する」方法論を、ポジティヴィズムと呼びます。そのようなポジティヴィズムは、1980年代以降に多くの批判を浴びるようになり、イギリスにおける国際政治学においても、post-positivismが新しい潮流となり、エドワード・サイードや、ミシェル・フーコーのようなポストコロニアリズム、ポストモダニズム的な思想を国際政治学に応用する方法論が幅広く見られるようになりました。

いわば、アメリカの政治学において、1990年代以降、ポジティヴィズム的方法論が広がり、浸透し、確立していったのに対して、イギリスや欧州大陸の多くの諸国では、それとは異なる、ポストポジティヴィズムの方法論が普及、浸透していったように考えています。もちろんん、それほど綺麗に分断されているわけではなく、サイードの思想はニューヨークをはじめ、アメリカ東海岸で広く浸透していきましたし、イギリスや欧州大陸でもポジティヴィズム的な方法論は、大きな勢力を占めています。

他方で、グローバル化と、国際的な学術交流、国際学術協力が拡大していく過程で、ポジティヴィズムとポストポジティヴィズムの対立や摩擦は、その後も続いているように感じます。

科学的な方法論で国際政治学を発展させる上で、日本で指導的な地位にある多湖淳早稲田大学教授は、その著書『戦争と何か』(中公新書)の189頁で、「本書は日本において本格的に、しかしなるべく平易に科学としての戦争と平和、科学としての国際政治学を紹介した」と記し、その上で、「早稲田大学政治経済学部や同大学院政治学研究科、または著者の前任校である神戸大学大学院法学研究科といった適切な政治学の教育機関」と位置づけています。つまりは、日本における「適切な政治学の教育機関」は、あくまでも「早稲田大学」と「神戸大学」であって、東京大学や、京都大学や、慶應義塾大学は、「適切な政治学の教育機関」ではないということになるのかもしれません。

また同様に、同教授は、『法学セミナー』2022年12月号で、「国家間戦争と法」という論稿のなかで、「著者が『法学セミナー』の読者にお伝えしたいのは、そういった「目立つ日本の国際政治学者」の情報発信に惑わされず、世界水準の国際政治学のまっとうな研究に目を向けてはどうかということである」と、「意見を述べることに使命を感じる『研究者』」を批判し、「まっとうな研究者」と「そうではない研究者」に二分しております。

それでは、ある「教育機関」が「適切」な教育をしているか否か、またある「研究者」が「まっとう」であるか否かを分ける基準は何なのでしょうか? それを判定する主体は誰なのでしょうか?

上記のような第一、第二、第三、第四の「大論争」という学説史を考えて、現在の北米と欧州におけるポジティヴィズムとポスト・ポジティヴィズムとの哲学的方法論の違いを想定した場合に、もしもその片側のみを「まっとう」や「適切」と断定し、それとは異なる方法論を「まっとうではない」、あるいは「適切ではない」とするのは、早計な気がします。

ところで、1996年にイギリスの国際政治学者のスティーヴ・スミスは、他の研究者との共著で、Interantional Theory: Positivism and Beyond(Cambridge University Press)と題する重要な研究を刊行しました。そのなかの第一章、"Positivism and beyond"のなかで、従来のポジティヴィズム中心の方法論への限界を指摘し、それへの疑問を投げかけています。すなわち、「ポジティヴィズムは、科学の統一された視座に深く関与しており、社会的な領域においても自然科学的な方法論が適用できると想定してきた」のだが、それを相対化する必要を主張しています。ここでは、詳しく触れませんが、例えばAlexander Wendtのコンストラクティヴィズムは、そのような1980年代以降の欧州におけるポストモダニズムなどのポジティヴィズム批判の潮流が、アメリカの国際政治学の主流へと流入していった一例と言えると思います。

そのような、ポジティジヴィズム、あるいはラショナリズムの純粋性への批判(否定ではない)が欧州において浸透していったのは、おそらくはアメリカとは異なる戦後の歴史的な経緯を経たことが想定できます。すなわち、アメリカの場合は、第二次世界大戦で、その科学技術や経済力を基礎とした圧倒的な軍事力によって、戦争に勝利した。1945年8月に、2つの原爆を日本に投下して、戦争終結に至ったことは、あらためて科学技術力の重要性と優越性を深く認識する契機になったと思います。

他方で、ヨーロッパにおいては、最も科学技術が先進的だと思われてきたドイツにおいて、もっとも野蛮なホロコーストを生み出してしまった。いわば、ラショナリズムが行き着き帰結として、野蛮な殺戮に至ったことで、それまで「合理性」や「政治権力」、「現実」というものに対する疑念や、不安が生まれたのだろうと思います。

それは例えば、ハンナ・アーレントが『人間の条件』のなかで、「労働」を、「仕事」や「行為」と対置させて、マルクス的な「労働」がもたらす問題を批判的に論じたり、テオドール・アドルノが『プリズメン』の「文明批判と社会」のなかで、それまでのドイツにおける「文化」を批判的に再検討する必要を論じたり、それまで自明視され、信奉され、進歩を求めてきた欧州における文明や合理性への懐疑的視座が、戦後社会では育まれていきます。

そのような精神史的な背景を基礎に、高坂正堯は『古典外交の成熟と崩壊(下)』において、次のように述べています。

「強い意欲によって大きな事業をしようとする人々が現れてきたのであった。そして産業革命は絶えず高まる技術的能力によって、『事業』を可能にし、それによってふたたび『意欲』をかき立てた。ホイジンガが書いたように、『労働と生産が時代の理想となり、やがてその偶像となった』。別の言い方をすれば、『ホモ・ファーベル(工作的人間)』が現れてきたのだった。」

高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊(下)』(中公クラシックス)

さらに次のように論じています。

「『事業欲』にとりつかれた人間にとって、問題は目標の達成である。その場合、相手の意見の尊重ということは弱々しい倫理的要請でしかなくなるのである。実際、もし達成されるべき目標が絶対的に必要であり、正しいことならば、それに反対するものは邪悪な人々ということになり、ただ『折伏』だけが必要なことになってしまう。」

同上

このような「事業欲」によって、「ドイツの外交は暴走しい始めることになるのであった」と、高坂は論じています。

さて、少し遠回りをしましたが、「労働」、「事業欲」、「合理性」というものが、ときには人間性を剥奪し、野蛮に帰結することがあるという意識が、戦後ヨーロッパで生まれた文明や合理性への懐疑心の萌芽に繋がったといえるのでしょう。

いわば、人間の理性(rationality)というものに対して、はたして絶対的な信頼を置くべきか。また、「事実(facts)」や「科学(science)」というものに対して、どの程度われわれは依拠すべきなのか。「事実」や「科学」を否定したら、学問は成立しません。しかしながら、その「事実」が絶対的なものとは限らずに、さまざまなバイアスや、エラー、前提条件の限定性などと結びつくことで、それを相対化する必要性が唱えられるようになったことが、ポスト・モダニズムや、ポスト・ポジティヴィズムの理論へと繋がっていったのでしょう。

人間の「事業欲」が暴走すると、はたしてどのような帰結になるのか。高坂は、その著書の中で、それが「古典外交の崩壊」に繋がり、二度の世界大戦へと帰結していく過程を描きました。それは直接的な因果関係というよりも、フランスの歴史家のルネ・ジローが語った歴史を動かす「深層の力(force profonde)」と呼ぶべきものでしょう。欧州における理性への過度の信仰や、文明の自明視と優越性の認識、そして「労働」や「事業欲」の帰結が、悲劇的な戦争をもたらして、欧州の文明を崩壊させていった。そのような疑念や懐疑主義の存在は、戦後のヨーロッパとアメリカにおける、知的文化の違いといってもよいのではないでしょうか。

私自身は、主に外交史研究を、一次史料を元に構成する研究を、専門的な研究としてこれまで刊行してきました。そうではない論稿も、新聞や雑誌に掲載することも多くありますが、基本的には歴史的な史料を元に国際政治を論じるという意味では、広い意味でのポジティヴィズム(実証主義)のアプローチをとっていると考えています。他方で、同時に、その限界を理解しながら、ポスト・ポジティヴィズム的な視座を合わせることの重要性、合理的な推論や、データや歴史的史料が持つ制約、限界をも認識することも考えています。

かつて、マルクス主義のみが「まっとう」で「適切」な「科学的」方法論と見なされる時代が長く続きました。現在では、ラショナリズムとポジティヴィズムのみが「まっとう」で「適切」な「科学的」方法論と見なされる傾向が、北米の政治科学では色濃く見られます。私自身はこれまで、日本(立教、慶應、北大、敬愛大学)、アメリカ(プリストン)、イギリス(バーミンガム、ケンブリッジ)、フランス(パリ政治学院)、オランダ(マーストリヒト)と、さまざまな国や大学で政治学を学んできて、それぞれ大きく異なるアプローチ、歴史的背景、社会文化要因が存在することを、強く感じてきました。私自身の視座も、おそらくは偏見に満ちており、私自身のアプローチも多くの限界や限定性を持つことを理解しながらも、さまざまな「まっとうさ」や「適切さ」が許容される環境が、日本で存続してくれることを願っています。

(一部、表現と説明を修正しました。2024年3月12日記)



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