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認知症のクリーニング屋の話

一人暮らしを初めて約半年。季節が変わり、初めてスーツをクリーニング屋に出す事にした。どこのお店がいいといった情報は全く持ち合わせていなかったので、家から最寄りのクリーニング屋にお願いをした。

お店に入ると、腰が曲がった優しそうなおばあちゃんが出迎えてくれた。おそらく店主であろう彼女は僕に名前を尋ねた。名前を教え、スーツを受け渡すと、彼女は手帳に文字を書き始めた。

しかし、どこか様子がおかしかった。何やらボールペンを握り考え込んでいる。どうやら、僕の名前が書けないでいるようだ。僕の名前は「清水」と極ありふれた簡単な苗字であり、その字が書けないでいる様子には少し違和感を覚えた。

単なるちょっとした物忘れだろうと、僕は彼女からペンを借り、代わりに名前と電話番号を記入した。これで手続きは完了かと思いきや、彼女は僕の顔を見てこう言った。

「ところでお客さん、お名前は?」

この時点で僕は嫌な予感がした。半分照明が落とされた薄暗い店内で、静かな沈黙が数秒続いた。彼女は認知症なのかもしれない。

ふとそう感じたが、ラックに幾つものスーツが掛けられている様子や、明かりのついた外看板の様子を見る限り、通常営業をしているのには違いない。

何より、彼女が僕のスーツを素早く且つ手際よくチェックし、慣れた手つきでラックに掛ける様子は、完全にクリーニング屋のそれだった。僕は「きっと大丈夫だろう」と信じ、店を後にした。

それから2週間、僕のスーツが返ってくることはなかった。さすがに心配になり、店に電話を掛けたが繋がらず。チェーン展開をしているお店だったので、本店に電話をし問い合わせをしてもらうと、ようやく事の全貌が明らかになった。

結論を言うと、僕がスーツを預けたクリーニング屋のおばあちゃんは、やはり【認知症】だった。会社勤めをしている彼女の息子さん(おそらく50代後半)のサポートによって、なんとかお店を運営しているという状況だった。

ただ、息子さんがお店に居られるのは平日の20時以降と土日だけなので、基本は認知症であるおばあちゃんが主体となってお店を回しているらしい。今回僕が来店時に記入した手帳は、普段使われていないものだったようで、その僕が来店した「証拠」は誰の目にも触れず埋もれていたらしい。

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2020年の調査では、日本人女性の4人に1人が70歳以上の高齢者であるということが分かっている。

人類史が始まって以来、未到の「超高齢化社会」へと突入する日本。今後、認知症の人が運営するお店というものが、極当たり前のように社会の中に存在する未来がやってくるだろう。今回のクリーニング屋の件で深くそう考えさせられた。

それと同時に、認知症になったとしても、周りのサポートがあれば、これまでと同じような人生を続けることも不可能ではないということも分かった。

自分が認知症になっても、自分の大切な人が認知症になっても、お互いに笑顔で居られるような備え・環境・社会体制を作り上げていく努力が我々に求められている。

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