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【祝四十歳】自分史上最高の誕生日。

1980年7月23日に生まれて、40年が経った。

生まれただけでもありがたいのに、40年も生きてこれた。とにかくこの偶然に感謝。本当にありがとう。

風貌のせいで、ここ近年の誕生日では「え?30代?まだ40じゃないの?」と言われ続けていたわけだけど、もうやりとりもなくなるのかと思うと少々寂しい。落ち着いて見えるんだね、というフォローも聞くこともなくなるのかも笑

それはさておき、30歳になった時にも思ったけど、前日の歳を重ねる前の自分と何かが今日変わったかというと全くそんなことはないんだろうけど、やはり40歳になってみた今日は何かが違うような気もしなくはない。

40歳になった時に変わった訳ではないけれど、30歳を迎えてみた当時の自分と比べてみるとやっぱり変わったところがある。というかすごく変わっている。10年とはすごい歳月なのだ。

終わりをより意識するようになった。

唐突だが、人はいつか死ぬ。

本当に「いつか」なので、今までにすでにそうなっている可能性はあったのかもしれないけど、幸運なことにまだそうならずに済んではいるが、とはいえ、そのいつかはいつか来る。

これまでも意識をしていなかったわけではないけど、より意識をするようになった。より意識をする、というのはどういうことか。簡単に言うと「残りの時間」を意識するようになった。

いつかがいつ来るか、という点ではなくて、量というか長さというかそういうものを考えるようになった。とはいえ考えてもそんなことは結局把握することはできないんだろうけど、とにかく無限ではないこと、限りあるということを自分に意識させるようになった。

やったほうがいいことは無限。やれることはひと摘み。

任天堂の社長をされていた岩田聡氏のことを書いた「岩田さん」という本にも同じようなことが書いてあったけど、本当にそう感じるようになった。

たぶんこれは性分なんだと思うのだけど、「やったほうがいいこと」っていうのは本当に無限に見つかるものだと思っている。やったほうがいいことをやった結果、そこにはまたやったほうがいいことが見つかっちゃう。それを繰り返しているとどんどん見つかっちゃう、それはもうきっと無限に。

でも、人にはいろんな限りがある。無限にはやれない。やれることは、ほんのひと摘み。全部なんかできない。全部できないどころか、まじで全然できない。できることは、ほんのちょっぴり。

じゃ、自分のつかえるそのちょっぴりのひと摘みを一体どう使うのか?

「使命」とは、命の使い方。

まだ一年も前じゃない頃に、沖縄で中古車販売会社の経営をしている友人のその会社のサイトで見つけた言葉がこれだった。

会社の立ち上げからの想いを綴ったページがあり、そこにあった熱い想いにうん!うん!と頷きながら読んだのを今も憶えている。想いのつまったその文章の中でもっとも心に突き刺さって残っている。漢字で書けば、当たり前じゃんとも思えるこの言葉にすごく心が震えた。

自分の使命とはなんだろう?

その問いは、先ほどの「自分のつかえるそのちょっぴりのひと摘みを一体どう使うのか?」という問いかけと実は同じものだった。

私の命の使い方。

40歳になったからではないが、ありがたいことに今の自分には命を使いたい使い方が見つけられている。本当にありがたい。すべてそのために使っている、というと大袈裟かもしれないが、少なくともすべてそこに繋がっていると思っている。自分の命がいつ尽きるのかはわからないが、それまでそのために命を使いたい。

たくさんの出来事とたくさん人たちからのもらったものから、心からそう言えるようになって、そして今日のこの誕生日を迎えられたことが、ただひたすらに嬉しい。自分史上最高の誕生日だ。

最後に、お祝いの声をよせてくれたみんなと、日頃から親交のあるみんなと、これを読んでくれたみんなと、そして妻に、心からの感謝と祝福を。

どうもありがとう。

いつもありがとうございます。 いただきましたサポートは、次世代を育む活動に活用させていただきます。