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子供の涙

22時過ぎに布団にいった子どもが泣いた。

さめざめと泣いていた。自然とあふれる涙だった。これまでとは違う、「できないから泣く」、「買ってもらえないから泣く」という自分本位の涙ではなく、ママに対するごめんねの涙だった。誰かのために流す涙だった。

それが親父としてはすごい嬉しく、いとしく、ああ、この子も成長しているんだなとこちらがもらい泣きしそうになった。

保育園が再開した初日とはいえ、自粛期間中の習慣がいきなり抜けることはない。テレビを見てしまう。際限なく。どこかで切ってもらいたい。自発的に。大人のそのチャレンジと子供の意地とのぶつかり合い。

子供の意地の張りっぱなしでテレビはつけたまま。こちらは明日もあるからやはり焦る。「あとこれだけ見たら、テレビさんに『おやすみ』いってね」と伝え、本人の意思で約束してほしいが、子供は頑として言わない。

大人も疲れている。明日もある。だから、こちらも語気を強める。

自分がやりたいことに大人がなぜか怒る、3歳の子供からしたら意味不明だろう。なぜ怒るのか。いいじゃん、好きなようにやらせてよ。癇癪を起す。

でも、教えねばいけない。親として。言葉を尽くして通じる年齢ではない。だから、言葉と心をもって、誠心誠意で怒る。僕らは家族で、僕らはみんなで最大多数の最大幸福を目指すんだということを。君も立派にその一員なんだと。だから自分の欲の際限をどこかで区切ってほしいんだ。

きっと妻はそう接してくれたのだろう。だから、怒られたと思った子供は歯磨きを終えて、珍しく(?)僕のところに来た。読み聞かせの絵本を持って布団に行っても珍しく読まない。

代わりに子供は泣いた。さめざめと。僕も微力ながら彼女に話をした。理解してくれたのか、余計に泣いてしまった。

でも。いい涙だと思った。成長の涙だと。僕も学ばせてもらった。

誰かのために流せる涙は本当に美しい。

w/z fox capture plan: LIFE


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