ゆういちの一生 第20話「サーキュレーション!」
演劇部。
ゆういちは20歳になりました。
大学3年生です。
演劇部では、4月に新入生歓迎公演をやります。
確か、出演する人がなぜかいなくて、僕と先輩のオノさんだけだったかな?
そこで、2人芝居のオムニバスを上演することになりました。
新入生歓迎公演
小野さんが書いた脚本と、僕が持ってきた脚本でやりました。
僕が持ってきたのは、大人計画の「鼻と小箱」という脚本と、
Z-BEAMというお笑いタレントのネタです。
その時初めて演出をしたのですが、感覚のみで。
「ツッコミが強すぎると笑えないから弱めて。」
みたいなことを言ってましたね。
その年の一年生はたくさん入ってきてて、演劇部は賑やかになりました。
演劇はそこそこ一生懸命やっていたような気がします。
「外郎売」という、早口言葉がたくさん出てくる歌舞伎の一節もよくやりました。
なにかパフォーマンスができないかと思って、
音楽をかけて外郎売をやってみたりもしました。
セリフのリズムと音楽のリズムが違うのでうまくいきませんでしたが。
ストップモーション。
ストップモーションという、体の切れをよくするトレーニングもよくしました。
この演劇部のオリジナルのレッスンなのでしょう。
音楽に合わせてストップモーションをしていました。
この曲。
吉川晃司「No No サーキュレーション」
この曲、間奏がめちゃくちゃ長い。
当時すごい斬新な曲でした。
この曲に合わせてストップモーションをします。
一曲7分ですが、これを一日何度もやっていましたね。
高校の時に柔道部だったので、体が動いたので楽しくてやっていました。
facebookで久しぶりにこのことをシェアしたら、
後輩がコメントしてくれました。
「まわりがみんな、大きく動く中、仲野さんのときおりみせる、あんま動かないで、お茶を飲む仕草の面白いやつ、今でも覚えてます!」
芸風があまり変わっていません…。
このレッスン、演劇部の伝統のレッスンとして継承されているかと思ったら、
2,3年前に聞くともうやっていないとのこと。
やればいいのに。
どこかの代でやめたんでしょうね。
今では、僕が勝手に継承して、
僕の劇団の稽古や専門学校などで教える時に使っています。
30年の時を超えて、今の若い子たちが楽しそうにサーキュレーションをやっている姿を見ると不思議な感じです。
舞台美術。
学校の外で劇場を借りて公演をする時は
役者をやりつつ、舞台美術をしました。
パネルから机が出てくる仕掛けをしたり、
パネルをチョウチョの羽の形に切り抜いて
後ろから照明当てて光るようにしたりとか。
でも、もっと勉強したり人に聞いてやればよかったですね。
仕掛けは板や金属を使えばいいのに段ボールで作ってしまい建付けが悪くなったり、
セットを運ぶ時のトラックのサイズを一つ小さくしてしまってセットを斜めにしなければいけなかったり。
なんかこれは、貧乏な生活が長すぎて、いろんなことを節約する癖が影響したような気がしますね。使うときはちゃんと使わないと。
イベント会場でアルバイト。
アルバイトは、放送作家のメジロさんに紹介されたイベント会場でやっていました。
「お客さんが何をおもしろいと思うか?」を学ぶためのアルバイトでした。
速いスピードの出るゴーカートを大人が乗って楽しむというものだったのですが、
正直あまりおもしろさが分かっていませんでした。
テレビ番組のエキストラ。
メジロさんに紹介されて、
テレビ番組の収録を見させてもらったり、
エキストラもやりました。
バカルディーさん(今のさま~ずさん)の番組で、
一人の姫を手に入れるために、激辛のせんべいを食べたりして戦う男たちをやらせてもらったり。
情報バラエティー番組の再現ドラマに出させてもらったり。
撮影するスタッフさんのこだわりなどが見れて楽しかったです。
法学部。
大学は法学部だったのですが、法律には全く興味がありません。
単位を取るためだけの勉強でしたね。
やはり早めに自分のやりたいことを見つけて、やりたい仕事を見つけ、
それに向けて勉強をすべきですね。
大学の授業は最低限出ればいいだけの範囲で出席していました。
夕方、みんなが授業が終わって大学の前の坂を下りていく中を、
演劇部のためにその流れを遡っていくというような日々を送っていました。
やっと好きなことを見つけて楽しくがんばっている自分と、
「東京とはこういうもの」
「大学生とはこういうもの」
という、周りをやはり意識して、それを演じようとする自分。
マネしなくていいものも、マネしていたような気がします。
続く。
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