ゆういちの一生 第21話「ゆういち大学4年生。」

車の運転をする。

ゆういちは21歳になりました。
大学4年生です。

車の免許を取ったので、母親に車をもらい乗っていました。
これは確か2年生の時でしたね。

しかし、車の運転は、今考えても向いていなかったみたいです。
感情が運転にそのまま表れてしまいとても危険な運転だったと思います。

春。

部活で遅くなった後輩を車で送ったりしていました。

高校の時に好きだったピキちゃんが一年遅れで神奈川の大学に入ったと聞き、
車で遊びに行ったことがあります。

告白をして、フラれて、帰りは一人涙を流しながら運転をして帰りました。

夏。

地元から、高校の時の友達が遊びに来たので、
車に乗せて東京を走ったりしました。

また、他の時、前にバスが停まっていてそれを追い抜こうとしたら、
前に車が停まっていてそれに追突しました。

初めて交通事故を起こしたので、どうしたらいいか分からず、
クイズ愛好会の先輩に電話をして呼びました。
そしたら、先輩はビデオカメラを持って登場しました。

僕はむち打ちになって、首にネックカラーを付けていました。
夏にクイズ愛好会の合宿があったのでその状態で参加しました。

そしたら、合宿の夜、交通事故現場の僕の映像が流れました…。

演劇部。

普通は4年生になったら、部活やサークルは引退するのですが、
僕はスタートが遅かったこともあり、4年生になっても演劇部にいました。

しかし、4年生を下級生が必要とはしていません。
特に僕は何かしらの特技や担当があったわけではなく、
何か秀でていることもなかったので、
先輩なんだけど、別に尊敬されるような人ではない
「なんでこの人いるんだろう?」という感じだったのだと思います。

それをほんのり感じ、下級生を怒鳴ったりして、威圧したこともあります。
逆効果ですね。
僕を嫌っていた人たちもいたと思います。

演劇部は、学内のステージで公演することもあれば、
学外の劇場を借りて公演することもありますが、
学外での公演をやめようという会議が行われたことがあります。

僕が
「外で公演するのは勉強になっていいのではないか」
というと、

僕の大道具の仕事に対し
「トラックのサイズが違ったり、セットが移動で壊れたりとめちゃくちゃでした。」
と言われました。

そのような失敗を学外でしたくないということらしいです。

僕は4年の秋の公演が終わり、ひっそりと演劇部を終了します。

就職は?

大学4年生といえば、就職活動です。
周りの人たちは就職活動をしています。
しかし、ゆういちはやりたい職業がありません。

まあ、正確に言うと、俳優を職業にしたかったけど、
自信がなかったことと、そんなの無理だって誰かに言われることを気にして、
全くトライしなかったのです。

もう、地元に住んでいるわけじゃありませんので「ふが悪い」の効果はありません。
ゆういちは、自分の中で「ふが悪い」という考えをもうしっかり持ってしまい、
失敗しないやれる範囲の選択をします。

その頃、アルバイトは、神奈川県の八景島シーパラダイスでスタッフをしていました。
そこで気に入られて、その派遣会社の内勤をすることになりました。
それを卒業後もすることにしていました。

髪型や体形がその頃、ウッチャンナンチャンのウッチャンに似ていたので、
「ウッチャン、ウッチャン」と呼ばれていました。

あ、そういえば、テニスサークルの友達の紹介で、
ホテルの宴会場のカラオケ機の操作をするスタッフをよくやっていました。
京王プラザホテルとかホテルニューオータニとかです。

ホテルの宴会場にはカラオケの設備が付いていないので、
カラオケの機械を長い廊下を転がして移動するのですが、
たまに倒してしまうことがあります。

その当時はDVDです。
カラオケのメニューの本から歌いたい曲を選んでもらい、そのDVDを再生します。
このアルバイトは大学を卒業してもしばらくはやっていたと思います。


続く。


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