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ゆういちの一生 第16話「柔よく剛を制したいけどね~。」

ゆういち16歳。

ゆういち16歳。
高校2年生になりました。

盲腸。

ちょうど、1年生の終わりごろ、春休みの直前に盲腸になります。
入院して、腹を5cmほど切りました。
入院生活は春休みだったのでちょうどよかったですね。

新学期になって、柔道部がありますが、もちろん見学です。
腹切ってますから。

一年の時に練習つらいな~、イヤだな~、とか思っていたくせに、
できないとなると、すっごくやりたくなってしまいました。
そして、自分が稽古に遅れていくことに焦りました。

なので、まだ傷口は完治していないのですが、
さらしを巻いてだましだまし稽古に参加していました。

寝技の時に相手の技から抜ける練習があるのですが、
僕が下で技から抜ける役、相手はそれを阻止するために、僕の帯をギュッと押します。
帯の下には盲腸の傷口が!!!

たぶん、そのことで、僕の傷口は癒着したようで、
未だに腹筋をすると、引っ張られる感覚があって気持ち悪いです。
スポーツはケガがちゃんと治ってからやりましょうね。

柔道の昇段試験。

高校のある観音寺市の隣には、大きな総合体育館があって、
そこで柔道の昇段試験を受けました。
初段を取ると白帯から黒帯になれます。
確か、試合をして、5人中3人に勝てばよかったのかな?

2人に勝って、次勝てば初段になれるという時、
次の対戦相手が、同じ部活で同じクラスのはちべぇくんでした。
普通に対戦して勝てばいいのに、お互いに勝ちを譲りあい、引き分けになりました。
今思うとスポーツマンシップがなかったですね。
友達であっても、全力で戦わなければいけません。

僕の対戦相手はあと一人。
その人に絶対に勝たなければ、初段をもらえません。

相手は、小さい子でした。
高校生じゃなく、中学生とか下手したら小学生かもしれません。
なので簡単に勝てました。

その子が段を取れたかがとても気になりました。
この年齢差は何だろうと思ったのですが、
この地域では、たぶん高校生で初段を取るのは遅くて、
小学生中学生くらいから初段をみんな取るんでしょうね。
僕たち高校生は浮いていました。

なので、僕の初段はおまけでもらったようなものです。

柔よく剛を制す 。

「柔よく剛を制す」という言葉があり、
「相手の力をうまく使って、小さい者でも大きい者を投げ飛ばすことができる」
という意味だったりします。
理想はそうなんですが、やはり強い人に力で投げ飛ばされる場面が良くあります。

そこで、体の小さい僕が、どうすれば勝てるかを考えました。
柔道には立ち技と寝技があります。
立ち技では、お互いに立っているので体の大きさや重さが大きく関わってきます。
でも、寝技では、体の大きさや重さが立ち技ほど関わりがないことに気づきます。
寝技はちょっとパズルみたいな面もあり、
体の柔らかさと、頭の良さで行けたりもします。
テコの原理で相手をひっくり返したりもします。

なので、寝技は自信があったのですが、柔道は立った状態から試合スタートです。
投げられてしまったら、寝技を披露することもできません。

そこで、僕が考えた方法はこれです。

「一本取られない程度で投げられといて、寝技になったら反撃する」

しかし、この作戦危ういです。
しっかり投げられてしまうと一本になってしまうので、
半端な投げになるようにしないといけません。
それができない時には自分でつまづいたりします。
つまづいたりすると見ている人達から笑いが起こったりします。
でも寝技になった時に逆転します。

そして、この作戦、寿命が短いです。
次の対戦相手の戦い方を客席から見てた人には、この作戦がバレているので、
相手は最初から投げて一本を狙ってきますし寝技にならないようにしてきます。
寝技をする機会もなく、投げられて終わりです。

戦略と言えば戦略ですが、なんか卑屈ですね。
スポーツマンシップはあまり感じられません。
体は鍛えて強くなっていても、心が弱かったですね。

スキッ歯。

僕は当時、自分の顔が本当に醜いと思っていました。
前歯が出てて隙間があって「スキッ歯」なのです。
総合体育館で、何かの試合を見ていた時に、
プルーくんに「何がおかしいんこのスキッ歯」と言われたのを覚えています。
(しかし、本当に友達だったのでしょうか?口が悪いだけだったのか?)

その頃から歯を見せずに笑うようになっていきます。
歯の矯正をしたいけど、家にはお金がないので親に言うことはできません。
しかたなく、家にある本棚の棚を外して、タオルを巻き、
そこに歯を当ててうつぶせになって寝ました。
頭の重さで、前歯を引っ込めて矯正しようと思ったのです。
しかし、全く改善するはずなく、前歯に傷が付いたので、やめました。

自信のないゆういち。

柔道着を着ている写真が出てきましたが、また目を伏せていました。
本当にいろんなことに自信がなかったのでしょう。

モリオカさん。

柔道の試合で、また高松に行く機会が増えました。
中学の時にグループ交際していたモリオカさんとまた電話をするようになりました。
今度はグループじゃなく1対1で会いたいと思いました。

でも結局会う約束もなかなかできず、
一度、高松駅の前の花時計の前で待ち合わせをしましたが、
モリオカさんは現れませんでした。
モリオカさんとはそれで終了です。

引っ越す。

この頃、また引越しをします。
おばあちゃん家から、プレハブのあったところのすぐ近くのアパートへ。
きれいなアパートだったので一瞬金持ちになったような気がしましたね。

友達。

友達は面白い人が多かったです。
その頃はCDとカセットテープが混在していて、
よくカセットテープを貸し借りしていました。

その頃はバンドの有頂天が好きだったり、
ボーカルのケラが劇団もやっていると聞き、
劇団健康を知りました。

同じナゴム系の筋肉少女帯も聞いていました。

また、その頃は友達との間で、古い音楽を聴くのが流行っていました。

爆風スランプのデビューの頃の曲とか、
スネークマンショーとか、
映画のゴジラのサントラとかを貸してもらったり。
ゴジラのサントラは延々、ゴジラの曲とゴジラの鳴き声が鳴っているものです。

僕は所ジョージさんの古いレコードを録音したカセットを貸したり。

岡山の鷲羽山ハイランドという遊園地にバブルガムブラザーズが来ると聞き、
見に行ったり。

という、そんな高校2年生を過ごしていました。


続く。


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