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割烹着へのオマージュ

「ふるちゃんが写ってる写真、いつも割烹着の右側が下がってるよ。」

そう指摘する市川さんの口元は笑いを隠せずにいる。

2017年の開店当時、ありがたいことにテレビや新聞に取り上げていただくことが多かった。「千葉県から移住してきた女将さんが小料理屋を開いて奮闘している。」私は必死に女将さんを装っていたけれど、着慣れない割烹着の右ポケットにいつも携帯を入れていたおかげで、掲載していただいた写真にはいづれも右肩下がりのだらしない着こなしで写っていた。

経緯

店を始める前に、郡山で一緒に暮らしていたルームメイトが、「小料理屋さんをはじめるならこれが良いんじゃないかと思って」と、割烹着をプレゼントしてくれた。ピシッとのりの効いたまっさらな割烹着。彼女の温かい応援と優しさに胸がいっぱいになりながらも、鋭い劣等感がお腹の奥で渦巻いていた。ほんとうは、私なんかより彼女こそ小料理屋を開くべきお料理上手で、割烹着がさぞ似合うだろうと思う人。わたしは、料理もろくにできないのに、目的を達成するために、「手段」として小料理屋を開くんだ。。。

それ以来、割烹着が私の制服になった。「ある時代のある女性像」を自分にまとわせることができるこの衣服こそが、スキルも経験も無い私の鎧だった。店のお客様から、「若い人が割烹着を着ているのはいいねえ!」と言われれば、私は心底うれしかった。売りが何もない小料理屋だったから、価値になるものはなんでも売り出していかなければと思っていた。

あの時の感情

年月が流れて、割烹着を着る生活が身体に染み付くにつれて、「自分の用途に合わせて細かいところをデザインし直したいな」という想いが募っていた。先述した「ポッケに携帯を入れていると右肩が下がっちゃう」というのもなんとかしたいし、お客様にご挨拶する時のために名刺を入れておく専用ポケットも追加したい。

そんな漠然とした思いで何気なく、「みにおかみ」こと、インターンの千乃ちゃんにつぶやいた。

『割烹着をさ、変えようかなって思ってるんだよね』

まさかそれに対して、「割烹着を嫌だと思っていたから変わるなら嬉しい!」というニュアンスの反応が返ってくるとは想定していなくて、あまりにも無防備にショックを受けてしまった。

自分が大事にしてきたものを全否定されたようなショック。

同時にこんな意地悪な感情も押し寄せた。

こういう店だってわかってて働きに来たのに?男性客とお話しすることが仕事のひとつとわかってて働きに来たのに?男性からの目線が嫌だなんて今さら・・・

私がショックと怒りに震えているということに、目の前の千乃ちゃんが気づいて言葉を探している。それをフォローする余裕もなく、気まずい時間だけが流れて行った。

押しつけ

後日千乃ちゃんと、あの時のことを、感情を素直に曝け出して話し合った。

千乃ちゃんという人は、ジェンダーについて明確な考えを持っている人で、それは「フェミニズム」とは少し違った、「社会の中に、女性が差別されてきた過去からの系譜があるのだ、ということに対して、迎合せず気づいていたい。」というような姿勢だと感じている。だから、割烹着を着ることで「ある時代の女性像」を自ら纏うことがどれだけ嫌だったかが、良くわかった。反対に、そういったフィルターを通さずに、「自分自身」でお客様と会話をしたいと思っているということも。

それに対して私は、社会構造の変遷を逆再生することにロマンを感じてしまうタイプ。家族のあり方や、隣近所の繋がり方、女性の働き方、住居のあり方。それらが変化してきた過程を追体験するようなアイテムが大好きだ。漬物にのめり込んでいるのも、そういう側面がある。

二人は全く違うような、でも興味の対象は似ているような。私たちが今一緒に働いているのは、タイプは違えど、重なる部分が大いにあるからだと腑に落ちた。

共有する部分を一緒に大切にする。

それぞれの大切なことを尊重する。

そのためにも、自分の大切なことを押しつけない。

こんな基本的なことに、今回の出来事を通じて気づくことができた。そうして、前回のちのちゃんの記事にあったような、私たちのための割烹着が生まれた。

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(母に相談したところ、私たちの要望を全部汲み取って、機能的で素敵な割烹着を作ってくれました。腰のところに帯があるから、ポケットに重いものを入れてもずり落ちない。最高。)

番外編 割烹着の観察

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そもそも割烹着は、着物を着て家事をこなす女性を汚れから守るために設計された仕事着。だから襟ぐり・袖ぐりが広く作られていて、着るときは前から後ろ側に手を回して紐を2箇所、蝶々結びする。自分も着物を着るようになってから、この構造の合理性が良くわかった。

また、着物を前提に作られているから、どんなに分厚いセーターの上からも着ることができた。袖口がきゅっとゴムですぼまっているので、常に腕まくりされているような状態でいられるし、生地が真っ白であることも、汚れたら漂白できるから実は便利だった。

とはいえ、今の時代に洋服の上に被る仕事着としては、割烹着でなければいけない理由は・・・・ない。

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(ちなみに割烹着の裾についているフリル。私はこれすらも合理的な構造なのではないかと思ってる。割烹着の裾の前面は、洗い場などに当たって汚れないように長くなっている必要があるのに対して、背面は、着物の帯の上で紐を結んでしまえば、それ以上長いと動作の邪魔になる。前面から背面へ向けての裾の長さの違いをカーブで描いていくと、そのラインの布の処理がやっかいになる。そこで、餃子の皮のようにヒダを作ったフリルで縫い被せれば、カーブに対応した上で可愛らしく合理的に処理できる。これって、当時の女性たちが自分でも作れるようにと、一般化された形なんじゃないかな、と、勝手に想像してる。)

割烹着は私を多方面から支えてくれた。ありがとう割烹着。

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