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地域のリテラシーを底上げする。そのために。

みなさま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

2月末ごろから今日に至るまで、「感染症対策」に関わるお客様とのやりとりを通じて、さまざまに感情が揺れ、たくさんの気づきを得ました。

その結果今日は、地域の情報リテラシーを底上げしたい、そのためにどうすればいいか、ということを語らせてください。

お客様のことが信じられなくなった。

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イラストに書きましたこれらのことは、私にとってはとてもショックなことでした。現在も日本中で接客のお仕事を頑張っていらっしゃる方がたくさんいるのに、このようなことを吐露するのはすごく身勝手かもしれません。ただ、今回、最終的な気づきを得るまでに必要な経験だったので、その過程として記させてください。

1.マスク着用で接客→「俺がコロナに感染してるわけねぇだろ!マスクはずせ!」「顔が見えねぇとおもしろくねぇ」と言って私のマスクを取ろうとする人もいた。

2.「カラオケ中止にご理解ください。」→「どうしても歌いたい。」→「せめてマスクをして歌ってください。」→結局マスクを顎の方にずらして歌ってしまったた。

3.電話で「今夜やってますか?」→「緊急事態宣言中ですので休業してるんです。申し訳ありません。」→「今からなんとか開けてもらえませんかね?」

(開けてもらえませんかね?って…?どういう考えでそんなこと言えるの?!今がどういう時期だと思ってるの?!)

3の頃の私はかなりセンシティブになっていたので、「申し訳ありません、今はお応えできかねるんです。」と言いながら憤りで震えました。

人間性ではなく、情報収集と共有の問題

上記のことを通じて、「もうお客様のことを信じられない。これから誰のために店をやっていけばいいのだろう」と落ち込んだりしました。それで、休業中はひとまず何もしない日々を過ごしました。

時間を設けて考えていると、「その人の人間性に問題があったのだろうか?」という疑問が湧いてきました。人間性が問題なのではなくて、「情報収集範囲の狭さと偏り」に問題があるのではないか?

また、収集した情報を基に自分の判断を方向付けるときに、「考えを共有して正しい判断に導き合える隣人」が居なかったのでは無いか?

正確な情報収集と共有ができていたのは若者

それに反して、私の見えている範囲内では、今回の感染症についてあらゆる角度から情報収集をして、慎重で早い対応ができていたのは若者でした。特に、私の周りには、震災を経験した、もしくは想いがあってこの地域にやってきた若者が多く、彼らは「収集した情報を基にどう考え、リスク管理し、周囲の人を守っていくか?」ということを導き出すのに長けていると感じました。

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そもそも、インターネットを使わない世代と若者とでは、情報収集の範囲や共有スピードに大きな差があります。都会では考えられないかもしれませんが、ITを使っていない世代がまだまだたくさん居るのが、田舎町です。「万が一、自分の行動によって、大切な人を感染させてしまったら」という危機感の中では、この「情報リテラシー」の差が、見逃せない重要な課題として痛感させられました。

だとしたら、どうしたらこの差を埋められるでしょうか?

田舎町における情報収集と共有の仕組み。

田舎町では、井戸端会議など、日常の延長線上の偶発的な集いの中で、情報共有がなされてきました。そこには、情報通の人とそうでない人とが居て、

「コロナっていうのはこういうものらしい!」「あら、じゃあマスクしないといけないわね。」「手洗いうがいと、消毒もしたほうがいいらしい!」「うちの人にも伝えてあまり外出しないようにしないと!」

というように、「情報共有」と同時に、「考えと行動の共有」もなされています。

しかしながら、今回の感染症に限っては、日々の情報量と、変化のスピードに、この仕組みが追いついていなかったのかもしれません。さらに4月頃からは対面で話すことも難しくなったので、「集いの場」で情報共有していく仕組み自体が機能しなくなりました。

一方、インターネットやSNSから多角的に情報を得ている人たちは、日々変化する情報をキャッチする能力や、それを基に自分の生活を適応させるスピードに長けていました。

リテラシー高い人の人口比率を上げる。そのうえで

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集いの場として、結のはじまりも井戸端会議と同じような機能を果たしてきました。今回、その仕組みを考え直す機会に直面し、今後の方向性に舵を切る時だと考えています。

1.情報リテラシー高い若者の人口比率を上げる。もしくは影響力を上げる。

ITに接していない高齢の人たちを置いてきぼりにしないためにも、やはり情報リテラシーが高い若者の人口比率を上げていきたい。現状、結のはじまりの店内の人口比率を表すとしたら、

リテラシー低い人7:高い人3

これを、もし逆転させることができたら、きっとみんなを守ることができます。しかしながら、現実的には「7:3」にすることは難しいでしょう。だとしたら、「影響力」だけでも、若者に7割持たせたい。そのための環境づくりに、これから私は取り組んでいきます。

2.その上で「集いの場」はやはり必要。

たとえ情報が集まったとしても、「考えを共有して正しい判断に導き合える隣人」がいなければ正しい行動に至ることができません。その隣人は、人生の先輩である高齢の方々を含めた、「信頼できる人」「守りたいと思い合える人」だと思っています。その人たちとの輪を、閉じるでもなく、開けっ広げにするのでもなく、「この人なら」と思える人を迎え入れられる仕組み。それはリアルな「集いの場」にあるのではないかと、思っています。

おそらく今までの結のはじまりの在り方は、「誰でも迎え入れる大きく開いた間口」でした。飲食店としてはそう在らざるを得ません。しかしながら、それに限界が来ていると、今回のことで教わっているように思います。

繰り返しになりますが、閉じるでもなく、開けっ広げにするのでもなく、「信頼できる人」「守りたいと思い合える人」「この人ならと思える人」を迎え入れて情報共有し育てられる仕組み。それを模索していくのが、今後の方向性になりそうです。

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