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誰ひとり消耗しない食卓

 みなさまこんにちは!女将です。昨日より新年の営業を始める予定だったのですが、感染症拡大の状況を鑑みて、来週以降に延期する事にいたしました。

 店内での、リアルな食事の場が難しい状況に、度々直面してきましたが、今日はその事に向き合うのが少し疲れちゃったので。。。

 逃避的ではありますが「これからの店内コミュニケーションへの希望」を語らせてください。

「消耗」にやっと気がついた

 1年くらい前から、自分が店内のカウンターに立ってお客様とコミュニケーションをとる事に、ものすごく疲れている事に気がつきました。「交流するための場」を運営しておきながら、お客様と交流する事に疲れているとは、認めたくなかった。でも認めずには前に進めない状況まで疲れ切った時がありました。それは新型コロナウィルス感染症についてまだ何が正解か全くわからない頃、私の慎重な考えとお客様の大らかな考えとの間のズレに、もう受け入れられないと思ってしまった時だったと思います。お客様に対して批判的な感情を抱いてしまったこと自体、今思えば根本的に間違っていたと反省するばかりなのですが、コロナという極端な出来事を目の前にしてやっと、

自分が「店内での交流」に消耗してきたこと、

消耗していたとしてもそれは当然だと思ってきたこと、

ただその消耗を癒す術を持っていないこと

これらに気がついたのです。

精神論で対処するのではなくそもそも

「お客様に対する感謝と思いやりさえあれば、そもそも消耗なんてしないはず」

自分の中でそう言う声が聞こえます。きっと何かがそもそも間違っている・・・。

 昨年は度々休業をせざるをえない期間があり、ゆっくり考える機会にもなったので、これまでの姿勢を反省したり、お客様と直接お話しできることのありがたさに気づいたりと、ある種、私にとって必要な時間をいただいたように思います。

 ただ、店を再開してインターンの千乃ちゃんが来てくれて、カウンターの中に21歳の彼女が入ってお客様とのコミュニケーションが展開されていく中で、彼女が嫌な思いをしてしまうシーンがありました。それは、お客様の使っている「相手を笑わせようと思って使ったおちゃらけの言葉」を、世代も育った地域も違う彼女が、「いやらしい言葉」に捉えてしまったことによるすれ違いでした。私は彼女に対して、「そういうことを受け止めるのも店員の仕事だ」と言うべきなのでしょうか?「お客様に対する感謝と思いやりを持って」という精神論で対処して良かったのでしょうか?

結のはじまりはスナックではないんです。

 ある友人に上記のような悩みを打ち明けたところ、「この店のスナック風の内装がお客様にそうさせている」という、私にとっては思ってもない切り口で返答が返ってきました。

そこか!(衝撃衝撃衝撃!)

確かにこの店は、大家さんご夫婦がスナック喫茶を営んでいた店で、昭和の「Theスナック」を彷彿とさせる赤いソファーのある内装を、そのまま活かしています。私自身、店を開業する前にはスナックをやるつもりで動き出したので、結果的には「スナック的要素のある家庭料理の居酒屋」になったのですが、お客様にとっては「スナック」なのかもしれません。「スナック」という言葉が、人それぞれに幅広いイメージで認識されているので、「スナックとはこういうコミュニケーションをしていい場所」という正解はないのですが、お客様にとって「居酒屋」と「スナック」とでは振る舞いが違うはずです。

じゃあなんなのか!?

私が目指してる店のあり方を端的に言い表す言葉が見つかっていない。それが問題の根本かもしれません。「スナック」でもなく一般的な「居酒屋」でも無い。

お客さまと店員
お客さまとお客さま
男性のお客さまとたまたま隣に座った女性のお客さま
店員と女将

 傲慢かもしれない、でも、店内で繰り広げられるどの関係性のコミュニケーションにおいても、「双方向に尊重し合う空間」その価値を見つめ直したいです。誰かが消耗して、それに我慢料を払うようなやりとりではなく。

わかりづらいことを伝える努力  

 これから、結のはじまりが「なに屋」なのかを表現していかなければなりません。それは内装を変えることや、店名を工夫することや、メニュー表に思いを綴ることなど、いろいろな方法を駆使して。このnoteでも、このテーマに関する考えの往来を記録していきたいと思いますので、ご意見などいただけたら幸いです。



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