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世界一長い【シェアハウス募集要項】その1

 みなさま、こんにちは。
福島県双葉郡楢葉町(ならはまち)で小料理屋「結のはじまり」を営んでおります、古谷(ふるや)かおりと申します。この町に移り住んで4年目に入りました。

 楢葉町内で2軒のシェアハウスを運営しているのですが、それぞれ一部屋ずつ空室が出ましたので、新しい入居者さまを募集したいと思っております。
ただ、このシェアハウスが今日に至るまでの経緯や、管理人として悩みや迷いを重ねてきた日々を思い返すと、お伝えしたいことが溢れすぎて端的に募集要項をまとめることができませんでした。もし興味を持ってくれる方がいれば、私がこれまでに感じてきたことや、これからのシェアハウスにかける想いについて、全て読んでいただいたうえで、ご検討いただきたいと思いました。

全3回のうち、本日は「その1」を綴ります!

【目次】

その1-1 家のスペックや家賃など
その1-2 シェアハウスを立ち上げた経緯
その1-3 大家さんの気持ちを想像する

その2-1 シェアハウスやってみたら傷ついた
その2-2 そこから生まれた「結育(ゆいく)」プロジェクト

その3-1 結育プロジェクトの具体的内容と将来ビジョン
その3-2 (ここでやっと!)入居条件、こんな人に来て欲しい

【その1-1 家のスペックや家賃など】

《女性用シェアハウス リバーサイド参年》
※2021年3月までの期間限定シェアハウスです。

◯立地:常磐線竜田駅から徒歩20分
◯空いている部屋:約6畳 
クローゼットは無いのですが、置き型のワードローブがあります。エアコンなし。

家賃18,000円+管理費4,000円+水道電気灯油8,000円=30,000円
※敷金礼金などはありません。

◯同居人:
現状1人。時期によっては当店のインターン生がリビングなどに寝泊りする可能性あります。
◯WiFi環境:無し

《男性用シェアハウス 萬寿屋》

◯立地:常磐線木戸駅から徒歩7分
◯空いている部屋:約6畳 
クローゼットあり。エアコンなし。

家賃19,000円+管理費3,000円+水道電気ガス7,000円=29,000円
※敷金礼金などはありません。

◯同居人:現状2人。
◯WiFi環境:無し。※住人同士で費用を負担して導入しているようです。

【その1-2 シェアハウスを立ち上げた経緯】

 私は、2017年6月に楢葉町に移住し、「結のはじまり」の開店準備をはじめました。避難指示解除後2年が経とうとしている当時の楢葉町に、「空き家バンク」という取り組みがあったおかげで、ソトモノの私でも空き物件に出会うことができました。ただ、店舗物件は見つかったのですが住むための家は見つかりませんでした。その理由を今思い返して3つ挙げるとすると、

1.家の所有者である地元の方々にとって、楢葉に帰るべきか否か悩みの中にあったため、空き家状態であっても貸していただくことはできなかった。

2.一方、さまざまな理由から楢葉に帰らない決断をした人もいて、家の解体が相次いだ。(2019年3月までは被災された方の家屋解体費用が助成されていたため、期間集中的に解体が進んだ。)

3.そのような状況下で稀に賃貸物件があったとしても、復興のために働く労働者の方々がたくさん居たので、宿舎としての不動産価値が高騰し(一軒家に複数人で住む場合一部屋3万円程度の計算)、個人で借りられる価格帯では無かった。楢葉町の家はどれも大きな立派なお屋敷ばかりで、部屋数も多いので、賃料が一月15万円以上など。

 そんなわけで、住む場所がない私を見かねた店の大家さんご夫婦がご自宅に居候させてくれて、楢葉での生活がスタートしました。この居候生活で大家さんと過ごした日々はとても大切な経験で、また別の機会にゆっくり書き留めることができたらいいなと思います。

 その後、結のはじまりを営業していく中で、地元のお客さまひとりひとりに「安く貸していただけるお家はないでしょうか?」と聞き続けて、ついに一軒家を貸してくださる大家さんと巡り会い、2018年4月からは友人2人とルームシェアをして暮らしはじめるができました。

【その1-3 大家さんの気持ちを想像する】

 あれから2年経った現在、楢葉に3軒、広野に1軒の物件を借りていますので、4組の大家さんにお世話になっていることになります。(店舗1、シェアハウス2、従業員用の宿舎1)
 どの物件も、一つの敷地の中に2軒の家があり、母屋に大家さんが住んでいて、離れを私が借りている。という形式です。これはどういうことかと翻って考えますと、大家さんにとって私的空間の中にある家だからこそ、「知らない人にはあまり貸したく無い。でも信頼できる人になら、低家賃で貸しても良い。」と言ってもらえた、ということだと思います。

 2軒のシェアハウスのうち1軒目(男性用シェアハウス萬寿屋)の大家さんは、かつて息子さん夫婦が住んでいた離れの家を私たちに貸してくれています。母屋の方を震災後に二世帯住宅に建て替え、お母さんと息子さん夫婦が一緒に暮らしているためです。いつか、お孫さんが楢葉で家族を持った暁には、離れに住まわせたいからその時はごめんなさいね、と言われています。
 2軒目のシェアハウスも、構成は1軒目と同様なのですが、離れの方を3年間という期限つきで貸していただきました。娘さんご夫婦が、今は避難先で生活されているのですが、お孫さんが大学に進まれたらご夫婦で楢葉に帰ってこられる予定だからです。石の上にも三年という言葉がありますが、「川沿いで過ごす三年間。その先に何か生まれるものがあるかもしれない。」という願いを込めて、リバーサイド参年という名前をつけました。2021年3月で、その3年間を終えようとしています。

 このように、大家さんが私に家を貸してくださっている背景をみつめると、これまで都会で経験してきた賃貸とは大きく違う感情が湧いてきます。一つの家族が代々受け継いできた土地と家と暮らしの物語の間に、震災という出来事があり、それにより少し空いた隙間に、私たちが住まわせていただいている。家への思いが手放されたのではなくて、思い出の空気を含んだままそっと置かれている猶予期間なのだと。

 不動産情報には載ってこなかったこのような物件と繋がれたのは、「顔の見える関係を築くこと」を目的にやってきた結のはじまりの一つの成果だと、当時は心の中でガッツポーズをしていました。しかしながら、それと同時に、私の背中に「信頼」という言葉がのしかかり、それを住人のみんなと共有していくことの難しさに苦悩する日々が始まるのでした。

今日はここまでにして、次回「シェアハウスやってみたら傷ついた」に続きます。

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