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市川さんとの出会い

みなさまこんばんは!女将です。今夜は私にとってかけがえのない友人で、この3年間結のはじまりを一緒に切り盛りしてきてくれた、市川英樹さんとの出会いのことを書かせてください。


野心のようなギラギラとした勢い

 市川さんと出会ったのは、2016年ふくしま復興塾の入塾式でした。私はその一期前の卒業生として、サポート役で参加していたところ、作業服を来て肩をいからせて、大きな目をキョロキョロさせて周囲の塾生の自己紹介を前のめりで聞いている市川さんの姿を思い出します。市川さんの順番が来て彼が前に立ち、今は原子力発電所の廃炉作業に従事しているが、もうすぐ仕事が満了すること、四ツ倉の海が好きでよく泳いでいること、青森県で見た田んぼアートの凄さに衝撃を受けてあれを四ツ倉でできないかと考えていることなどを早口で息継ぎも無くしゃべっていました。その後3人ずつのグループ分けがなされるのですが、私がサポート役として所属したグループに市川さんが居て、テーブルを囲んでグループワークをする際に隣になり、前のめりで私にもいろいろ話しかけてくれた市川さんの、大きな目の光の中に、野心にも似た、これから切り開く未来へのギラギラしたエネルギーを感じていたように思い出します。ただその時は「よくしゃべる面白い男性だな。」としか感想をもっておらず、こんなに長い付き合いのはじまりであったとは、思いもよりませんでした。

泣く

 ふくしま復興塾の約7ヶ月間のプログラムの間に、紆余曲折ありながらも、市川さんは「四ツ倉のワンダーファームの隣接地で田んぼアートを実現し、この地域でお世話になった人への恩返しのためにも、30万人の観覧者を呼ぶ!」という計画を見事練り上げ、クラウドファンディングの開催にまで漕ぎ着けてしまいました。

 塾の最後には一人10分間のプレゼン発表会が開催されるのですが、よく喋る市川さんが10分間で要点をまとめられるようになるまでにはたくさんの練習が必要で、サポートメンバーも泊まり込みで資料作りを手伝い、なんどもなんども言い回しを工夫して、プレゼンの練習をしました。やったことがある方はわかっていただけると思うのですが、人前でプレゼン練習するのって最初はものすごく恥ずかしいのです。それを恥ずかしがるそぶりもなく、大いに失敗もしながら練習し続ける市川さんの姿を見て、この人はなんて真っ直ぐな人だろうと思いました。

 プレゼン当日には私は前のめりでカメラを構え、市川さんの一語一語に相槌を打ちながら、会場の最前列で動画を撮っていました。市川さんが、四ツ倉でお世話になった人たちの話をするシーンで感無量で泣き出してしまい、それを見て私も泣きながらカメラを震わせていました。

 今思えば、あの日々は青春以外のなにものでも無かった。市川さんという人は、周囲の人を再び青春へと巻き込んでしまうような人なのです。

手伝ってもらえませんか?

 復興塾の卒業後も、そこで知り合った仲間たちと、前回のnoteでもご紹介した木戸の交民家に集まっては語り合い、それぞれに抱く事業計画の実現に向けて応援し合いました。木戸の交民家を修繕するために月に1回集まっては、日曜大工のようなことを繰り返していたのですが、その際にいつも市川さんが先頭に立って、いろいろな工具を駆使して鮮やかに修理を完了してしまうのでした。その手つきや立ち居振る舞いからは、初めて出会ったときのギラギラした勢いとはまた別の側面の、細やかで真面目な市川さんの内面が現れていました。

 そうして1年くらい経つ頃に、私は木戸の交民家からほど近い場所で物件を見つけ、結のはじまりを開店する運びになりました。店の運営には、どうしても男性の、お客さんの送迎も担当してくれるスタッフが必要で、まっさきに市川さんに「手伝ってもらえませんか?」とお願いしたところ、3日くらい考えて「ふるちゃん、それ俺やってみようと思うよ。」と受けてくれたのでした。

 あれから開店準備がはじまって、何度となく喧嘩したり、私の身勝手で市川さんに迷惑をかけたりと、本当にいろいろなことがあったのに、4年経った今でも仲間であり同志であり、ときに兄弟のようでいられるのは、市川さんの懐の大きさのおかげです。

note記事トップ画像_008_市川さんと

市川さん、本当にいつもありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。

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