特別でいるために普通を望む

最近バンドをしていて、バンドをしていない生活を送っていたら今より楽しかったのかな、と考えることが多くなった。

平日は早起きして、1日仕事に打ち込んで、その後職場の同僚とちょっと飲みに行って会社の愚痴なんか話したりして、夜は早く寝て。休日に仲良しの友達と遊んだり、恋人とどこかにふらっとでかけたりして。それを淡々と繰り返すような、それでも幸せを感じられるような生活。

これを普通と呼んで自分の今を特別扱いすることは図々しさすら感じるが、バンドをしていて、バンドが生活の基盤になっていないそんな生活に憧れもするのだ。

今の私は良い歳して無謀にも夢を見続けていて、お金なんて全然無くて、だから親孝行も大したこと出来ないし大切な人へ満足なプレゼントもしてあげられない。周りの人間は皆優しいから「気持ちだけで十分だよ」と心から伝えてくれる。その度、この程度のことも出来ない自分が惨めになる。

夢と現実のバランスが取れなくなったり、現実逃避のように心が言う事を聞かなくなったり。いつだって夢見心地で、壊れるのは現実の方なのだ。それでも夢を諦められないのは甘えなのだろうか。

昔から無個性で面白みのない、誰かの印象にも残らない自分が嫌だった。やっと誰かの何かになれるような存在に近づいて、それを身に感じてしまったら次は手放したくなって。結局無い物ねだりであって、現状の悦に浸るが故の思考だ。満足したら終わり。だから現状に満足しない。それがいつまでも自分が特別だと思えるための原動力だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?