加藤秀一『はじめてのジェンダー論』のメモ(気になった箇所など)

p.33
assigned gender、割り当てられた性別。性別という現象は肉体そのものに属するのではなく、特定の基準を用いて肉体を《分類》する私たちの認識に依存して成り立つ。

p.33
性別違和という概念には、割り当てられたもの以外の性別を欲(よく)するケースも含まれる。

p.35
性自認とは自分の性別が男であるか女であるか(あるいはそのどちらでもないか)という自己認識のことであって、女性的あるいは男性的(とみなされている)性質を備えていることではない。

p.39
(テレビドラマなどで)トランス男性は、性同一性障害に苦しむ「肉体的には美少女」として描かれることが多かった。

p.42
(性適合手術を受けるとき)家族の気持ちに配慮することは必要ですが、そうした諸問題はすべて、人が自分にとって望ましい性別の持ち主として生きていく権利、すなわち性別の自己決定権の尊重を土台としたうえで解決を図るものです。

p.42
特例法が性適合手術を必須の要件としているということは、性別を本質的に肉体のつくりに基づくものとみなしているということ。つまり、この法律は、それぞれの性自認を尊重するためではなく、あくまでも肉体のつくりに対応した性別を人々に割り当てるためのものなのである。……また別の角度からみると、これは医療専門家が他人の性別を決める権利をもっているということであります。性同一性障害という診断自体も2名の医師の意見が一致しないといけないことになっている。

p.46
「変なの。普通の人に特別な呼び方なんていらないのに」
そのとき感じた奇妙な衝撃は今でも忘れられません。……アイデンティティを問う側と問われる側はしばしばマジョリティとマイノリティという〈分類〉と重なっています。マジョリティーは自身のアイデンティティを空気のように透明で自然なものとみなし、その自分自身を基準として、マイノリティを異質で偏った〈他者〉として扱いがちです。

p.47
「からかい」は決して軽い行為などではありません。むしろ「からかい」はストレートな暴力に比べ軽く見えるが故に、その標的にされた被害者からの真面目は抗議をあらかじめ封殺してしまう(例えば、ただの冗談なんだから、そんなに怒らなくても……など)、ねじくれた攻撃方法なのです。こうした「からかい」という行為は、より深刻な暴力や社会的な差別を温存することに一役買っているのです(『からかいの政治学』)

p.48
日本語では「セクシュアル」も「セクシュアリティ」も同じ「性」という同じ文字が充てられているので、両者の違いは意識しにくい。

p.49
そもそも人間のセクシュアリティをわずか数種類にすっきり〈分類〉できると思い込んでしまうなら、それは間違いです。……性自認や性的指向といった分け方も、セクシュアリティを一つの観点から〈分類〉する方法に過ぎないということも認識しておくべきでしょう。

p.54
同性愛という言葉に慣れ親しんだ私たちは、戦国武将たちの行状を見て「昔から同性愛はいたんだ」などと言いがちですが、そうした態度には、アナクロニズム(時代背景などを無視し、今日的価値観から過去の現象を視座したり解釈すること)の危険性が潜んでいます。

p.57
ある問いに答えないことが、単なる逃げだけではなく、積極的な意味を持つことがあるのです。本書では、性別二元論そのものを一つの謎ととらえ、その成り立ちを問い直そうとしてきました。それは「男か女か」という問いそのものを揺さぶることなのです。もしあえて答えるとすれば、「見方によってはどちらとも言えるし、どちらでのないとも言える」といったところになるでしょう。

p.72
事実そのものが特定の価値判断を根拠づけるという勘違いの例。例題Bのように主語が同じ場合、論理の飛躍に気づけないことも多い。
命題A「どうせひとは死ぬのだから、タコは茹でて食べるべきだ」
命題B「女は子供を産むようにできているのだから、子供を産むべきだ」

p.74
良い/悪いを、分ける〈基準〉は世界そのものに書き込まれているものではなく、私たちが議論を通じて共有していくものでしかない。

p.82
それまではアリストテレスに倣って「四足類」と呼ばれていた生き物たちを、乳房を使って授乳するという特徴に基づいて「哺乳類」と名付け直したのですが、そこには「母性」を強調したいという意図が込められていました(当時の上流階級の女性が、乳母に預け自らは子育てしないことへの批判という個人の価値判断が色濃く反映されている)。

p.82
他の分類では、オスメスの区別をしない命名がなされているのに、なぜ哺乳類は授乳というメス(女性)が持つ機能によって分類されているのでしょうか。

p.91
重要なのは、性差の事実は事実としてきちんと研究しつつ、同時にそれを性役割の押し付けや差別の正当化に直結させない議論を広げることです。

p.98
実は原作では、サザエさんが結婚前には雑誌記者としてバリバリ仕事をしていたり、結婚後もウーマンリブの集会らしき場所に出かけて壇上から演説したりしているのですが、そうした楽しく刺激的な面はアニメではほとんど脱色されてしまっているのです。

p.125
『第7回 青少年の性行動全国調査報告』の第2章によると、……全年齢層における性的関心の低下、性のイメージを「楽しくない」ものとする回答の大幅な増加が見られた。

p.125
実際に増えたのは、「草食系男子」よりも「草食系女子」の方だったのです。それにもかかわらず、「草食」という記号がまず「男子」に結びつけられ(また、草食系男子という言葉が作られた元の意味とは離され)騒がれたのは、それが従来の典型的な男性像に反するものだったからでしょう。

p.136
このように、暴力と暴力でないものとの境界線は特定の動作や力そのものに宿っているわけではなく、それらをどのような文脈で行使するか、どのように意味づけるかにかかっています。

p.167
もしも映画館のように公共性の高い施設が健常者だけを念頭に置いて造られているとしたら、そのことの方が不正なのです。

p.174
男女特性論という差別についての説明

p.177
「統計的差別」も言うまでもなく差別です。統計的に(集団としての)女性の方が(集団としての)男性よりも会社を早く辞めやすいということが、仮に事実としてあるとしても、一人ひとりの労働者にとっては、女性というだけで一律に男性よりも悪い待遇を強いられる道理はないからです。

p.177
日本の年功序列の給与体系の中では、若い社員は給料以上に働いているという可能性も指摘されている。

p.193
少子化であろうがなかろうが、性差別や性役割の押し付けは独立に解決すべき問題。

p.202
母性愛神話についての説明

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