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春は曙そろそろ返信くれないか

春は曙そろそろ、と続けばどの句を思い出すだろうか

きっと
春は曙そろそろ帰つてくれないか/櫂未知子
だろう

なんだかこの句は季節問わずどんな日の朝にもふと口ずさみたくなる句

季節問わずと言ったがやはり春は曙の存在感がすごく大事

春は曙は音数も多く、私も作るのに苦戦した

なのにこの句はいとも簡単に七音を詠み込み、さらに春は曙の存在感に負けない下になっていると思う
また、春は曙という柔らかい雰囲気の季語を使うことによって、きっと曙にもなって帰って欲しいと思っている相手への普段の優しい感情なども含まれている気がする
流石に曙まで居座るのはすごいと思うし、でもそれをしようと思えるぐらいの友人なのであれば、やはり帰ってくれないかと言いつつも相手との仲の良さみたいなものが垣間見えるのではないだろうか

ここからは私ごとだが、少し返信の遅い友人がいる
そこで朝起きて返信もなく、なのにTwitterは動いている、みたいな時はこの句をよく誦じる

まあ半分自分の愚痴みたいなのもこの句に投影させてしまってるのかもしれない

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