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母、倒れてる。

父からの連絡を受け、車で向かうなか、わたしの心の中はイライラしていたと思う。

わたしの中の母は困った存在だった。
片づけられない。今じゃ年齢のこともあるけど、昔から物が捨てられない人だった。

家の中はいつも乱雑で、掃除の仕方も教わったことがない3姉妹は、子どもの頃から掃除が苦手だった。それでも生きているのに最低限の片付けや茶わん洗いは当番でしのいでた。

実家に行く前にスーパーでお弁当とおかずを買っていき、父の部屋へ行くと、母がなぜか床で寝ていた。

冬は寒いので、父の部屋で過ごすことがあると聞いていたから、ここで一緒に寝泊まりしているのかな、とその時は思った。

ところが、様子がおかしい。
「大丈夫」という割に、声に力がない。
少し寝ぼけているのかなと思った。

「こんなところに寝ていると風邪ひくよ。起きてよ」
そう言ってもなかなか起きようとしない。
いや、していたのだけれど、「よいしょ、よいしょ」と声だけは出ているのに、腕に力が入らない状態だった。

どうしようか。
母は太っていて、わたし一人の力では動かすことができない。
それに、もしかすると脳梗塞とかかもしれない。
救急車を呼ぼうと思った。

母に救急車のことを告げると、激しく抵抗した。
そこから2時間くらい押し問答。声だけはしっかりしているようだったので、受け答えはできる。
「寝ていれば治るから」「放っておいて」
いや放っておいたら父が飢え死んじゃうよ。

半ば強引に救急車を呼んだ。10時過ぎについて、呼ぶまで2時間超。おそらく13時頃だったと思う。激しい雨が降っていた。

救急車は5分で来てくれた。
防護服に身を包んだ隊員の方たち。ものものしさに緊張した。

2人の隊員さんに、靴のまま2階の父の部屋へ来てもらう。
床に寝ている母の体温を測る。「8度9分。」
熱があったことにそれまで氣づかなかった。朦朧状態の意味が分かった。

階段が狭く、担架が入らない。
重い母の体を支えるように、階段をゆっくり降りていく。
家の外で担架に乗せてもらう。母の体を防護バッグで覆う。
びっくりした。いまってそこまでするの?

近くの病院が受け入れてくれることになったので、急がなくていいので保険証を持ってくるように言われ、母だけを乗せて救急車はそのまま行ってしまった。

急がなくていいと言われたものの。保険証など必要なものを探す。モノが多い高齢者の家でこれらの重要品を探すのは本当に大変だ。幸い、この日はすぐに見つけることができた。

父を置いていけないので、車で一緒に病院に向かう。
病院の受付に話すと、案内された場所で待機していると、防護服のスタッフが来て、言った。
「●●さん(母)ですが、コロナの検査をしたところ、陽性反応が出ました」
「これからそのまま救急車で●●病院へ転送します。」

最初に聴いた時に感じたのは、うそでしょう、というものだった。
母はほとんど家から出ない。感染しようがないのだ。
少なくともそう思っていた。

当時のコロナは病原菌そのものだった。
問答無用の2週間隔離。
とりあえずどこにも行かずに実家に戻った。
保健所からの連絡を待つ。

事前にスーパーで買っておいたおかずをあたためて父と食べた。
これからどうなるんだろう。不安でいっぱいだった。



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