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蛍の光

陽が沈む頃に庭に出てみたら、あたり一面に蛍の光。幻想的に降り注ぐ光に、息を飲みました。もっと暗くなったらもっと美しい光景が見れるのかと思って、また夜に庭にでてみたけれど、光は全くありませんでした。なぜだろう、、。

チェスタータウンの小さな街の庭のある家に移り住んで一年半、荒れた庭も少しづつ整ってきました。虫、鳥、小動物や木々や草花の皆々からみると私が新参者、彼らの生態系に私が勝手に入ってきたようなもので、彼らとの共存は如何なることか、季節毎に変わる自然界の仕組みを理解し始めております。そんな今考えて書いている中、数匹の蝿が私の顔の周りを飛び回ってきました。書き物を中断して、ハエたたきをもって獲物を追いかけ、また机に向かって書き物をしています。追い出しても追い出しても戻ってくるハエの行動は本当に不快。蝿は暑い場所で活発に行動し、匂いや濃い色に惹かれるそうです。私の家をもっと涼しくして、黒髪を脱色して黒い服を着ないようにすると、蠅に邪魔されないのでしょうか、脱黒系、、。

最近、ここから20分ほど西側チェサピーク湾に近い場所の芸術家の友人宅にお邪魔しました。芸術家の家は作品制作現場や自身の生活背景が覗ける、宝の館だと思います。ここも同様、その人の作品やより添った想いの選ばれた物がありました。沢山のお土産をいただいたような気持ちになりました。そしてそこは街から遠くはない場所ですが、そこに向かう途中に広がるトウモロコシ畑や野原に暮らす鹿の親子たち、その家から眺める景色にある木々や芝も、現れた野うさぎも美しく、その人の歴史物語のように見えました。何もかも完璧です、、。

さて蛍の光に戻ります。日本人なら誰でも知っている有名な歌「蛍の光」があります。スコットランド民謡「Auld Lang Syne」に140年前の1881年に稲垣千穎(ちうね)という人が歌詞をつけました。現在、この昔の歌はお別れの曲として一年を締めくくる時、1日の終わりなど、デパートの閉館や飲食店の営業時間終了で流すようになりました。日本では誰もがその曲を聴くと反射的にその場を去るのが習慣です。誰にも教わらなくても「蛍の光が流れたら閉店」のサインを共有し、一斉に動きだす日本人です。日本にいると周りの空気を読む習性、自分の周りを意識する心がけが日常です。またこの習性は至近距離である自分の周辺のこだわりを強めて、内側に進む意識を生むディテイル文化が強まった由来かもしれません。
蛍の光は、冒頭のこの一言だけですが名曲となり100年を超えて日本人の心に残っています。幻想的な一瞬の美しく光る蛍の力。蛍はその光で相手と出会い、命を作るために、わずかな期間だけ私の庭にやってきたようです。発光は日没後のわずかな限られた時間だけ。静かな場所で静かに発光している蛍たちが、わずかに見せてくれたこの美しい光景をありがとうって思いました。私の7月の出来事として、毎年また来てくれることを願います。
蛍の光
「蛍の光 窓の雪 書を読む月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を 開けてぞ今朝は 別れ行く」ホタルの光りで、窓辺の雪明かりで、書物を読む日々を重ねて、いつの間にか年月が過ぎ去っていく、そして今朝友と別れゆく。
「とまるも 行くも 限りとて かたみに思う ちよろずの 心のはしを 一言に さきくと ばかり 歌うなり」ふるさとに残る者も、出て行く者も、互いに思う、沢山の想いを、一言に、無事でとばかりに歌います。

PS・蛍はFire Fly 蠅はFly 名前は似てても別の種類。蛍は静的で好感度の高い昆虫。かたや蠅は動的で不快害虫。この昆虫スカーフを描いてみました。

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