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おかえり、ただいま、普通の俺

「お笑い」が好きだった…
あ、「好きだった」ではなく今でも「好き」です。

関西に住んでいるときは、何度かお笑いライブを見に行ったり、
東京で売れてない瞬間の「千鳥」を近所の大学の学祭で見れたり、
いい経験だったなぁなんて思い出しました。

名前が「エスパー」から戻りまして、ちょっと懐かしい話でもするテンションです😆


夏だなぁ…。梅雨はどこへ…。


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学生の頃はネット大喜利に参加していたことがあります。

脳の体操であったり、
視点を変えることに役に立つかなぁなんておもいます。

noteにも大喜利されている方がいるんですね。(参加はしないですけどね)


そういえば、私の大喜利のルーツ、まぁ「笑点」ですけど、

翌日の月曜日に、小学校の校長先生のロングトークの間でやっていたのが始まりかもしれないですね。


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大学では、研究をしっかりやって来たアピールをしつつ、
ちゃんと学生らしくテニスサークルにも所属していました。
今思えば、「いかにも!」な大学生でしたね。
比較したことが無いのでわからなかったんですが、比較的大規模なサークルだったようです。


一軍的なポジションで、サークルの運営もやっていたんですよね。
参謀キャラでしたので、幹事長(リーダー)を匠に動かし、音楽のライブを開催したりしていました😏

もはや、謎のチャラサークルです😆


夏には合宿があります。100〜150人くらいは集まっていたとおもいます。
土日はOB/OGも来て遊んでいました。
毎夜、恒例のイベントなどあるんですが…
だいたい、雨が降るんですよね…。夏の山なんて、雨振りますよ。

雨用の予備イベントなんて、何個も無いですからねぇ。
100人集まって、雨でぼーっとしてるなんて地獄です。


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さぁ、そこで始まりました、私司会の圓楽(ゆうゆう)です。学年対抗大喜利大会の始まりです。(司会は先代圓楽師匠のイメージです)

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ノリで始めた幹事長大喜利(一回目)が盛り上がってしまったんですね。

私は普段大喜利やっていたので抵抗は無いのですが、テニスサークルの幹事長になったら自動的に大喜利を大勢の前でやらされるという十字架を背負わせてしまったようなんですね。かわいそうに。

私が4-5回司会を努めた後、
「もうこれでヤメにしよう」と私が提案しました。


すると、
「圓楽引き継がせて下さい!」というアツい後輩があらわれます。

ゆ「そんな、無理にやる必要ないんよ、どうせお前らの回答オモンナイし」

ヤメさせたかったですよ、私は。
だって、テニスサークルじゃん。緊張して吐きそうになってまでやる必要はないわけですよ。回答つまんねーし(二回目)。

最近はどうしているのかわかりません。流行病がこの負の連鎖を止めてくれたと信じています。


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何の話だろう…これ。

理科noteって書いていますが、決して真面目な研究の人じゃなくって
結構ひどいことを言う、チャラいニーチャンが私です。
あの(どの?)花さんに、「エスパーですかい?」と呼ばれて調子こいていたに過ぎません。


私の「青春時代」の話…なんだろうか?


ここまで辛抱強く読んで頂いた方には、ちゃんと情報を持って帰ってもらいたい。


大喜利は頭の体操になるよ!


あと、ウイルスによって楽しみにしていた学生生活が奪われた学生諸君!頑張れ!



最後まで読んでいただきありがとうございました。
ついでに、「スキ」を押してってくだはい。

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