物語の結末を決めるのは俺(達)だ

タイトルは、2021年7月現在、テレビ朝日系列で毎週日曜日9時に放映されている仮面ライダーセイバーの決め台詞だ。放映開始当初から、このライダーのお話は自分には合わないと感じていた。それが何故なのか、物語の終盤で挟み込まれた2人のキャラの掛け合いで気づくことができた。その気づきについて記したいと思う。

まず物語の概要だが、メギド(怪人)がワンダーワールドと呼ばれる別世界と現実世界を繋げることで両方の世界の破壊を目論む。ワンダーワールドと現実世界の均衡を保つべく存在するのが、聖剣と呼ばれる剣を持って戦う剣士(ライダー)だ。現実世界で小説家として生きていた青年、神山飛羽真が突如その争いに巻き込まれ、聖剣を手にして戦うことになる。

物語が進むにつれ、いろいろな能力を手にし、仲間も増え、飛羽真は強くなっていくが、そこに大きな苦悩や挫折はない。いつも真っ直ぐで、典型的な主人公タイプだ。ここがあまり好きにならなかったポイントだ。それがハッキリと分かったのが、緋道蓮という風の剣士の離別だ。蓮は飛羽真の強さと自分の強さを比べていた。強くなりたいという気持ちが肥大し、仲間から離れ、敵であるデザストのもとへと行く。第42〜43章にかけての蓮とデザストの掛け合いにより、今まで好感を持てなかったこの作品に対しての気持ちが変化した。「今のままじゃ強くなれない。誰、何のために戦うかがないから。」と、独りであり死なない(目的はない)メギドであるデザストに対し蓮は言い放つ。それにデザストは「仲間や意味が無ければ生きてちゃダメなのか?」と呼応する。ここで、何故主人公を小説家として立てたのか、意味が分かった気がした。小説家=言葉で表現する人。言語化能力に長けた人であるということだ。自分が望んでいることを言葉にできるということだ。強くなる、という単純な言葉で終わらせるのではなく、具体的に何をするのかを言葉にできるということだ。その反対で、言葉にできないのが蓮だ。しかし、彼自身が言葉にできないが、敵であるデザストが投げかける言葉で自分は自分のままで良いことに気づく。飛羽真についても、自身の言葉、作品についてもう少し詳しい描写があれば、この物語に入り込めたのかもしれない。たった2話であるが、モヤモヤしていた感情をハッキリとさせてくれた良い回だった。2人の対決の描写も素晴らしかった。

現時点では、仮面ライダーセイバーという物語の結末はまだ放映されていない。あと数話。この物語の結末がどう決まるのか、見届けたいと思う。(デザストは蓮との対決で消滅したものの、最期に不死鳥の聖剣を持っていたことから、復活があるのではないか?と内心信じている。)

#仮面ライダーセイバー  #蓮 #デザスト

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