平成が終わる

平成最後の夏、という言葉が今年は世の中を席捲した。

その言葉はSNSを中心に大きな注目を浴びて、今年の夏は今まで目にしたことがないくらいに特殊な季節になったな、と個人的には感じている。

このようなムーブメントが起こったのは、たくさんの要因が絡み合った、ある意味奇跡的な出来事だったのだろうなと思う。だからいつもの夏のように「今年もあっという間に夏が終わったね」であっさり済ませたくはない。しっかりと記憶に焼き付けて忘れずにいたいので、その特殊な夏を終えていま思うことをここに書き連ねておこうと思う。

まず、平成という時代。どの時代だってそうだろうけど、とりわけこの時代は人々にとって経験したことのない未知の時代だったんじゃないだろうか。何と言っても、日々努力する方向性ががらっと変わってしまった。つまり、「生きるために」という自分の根本的な生存本能を揺さぶられることはほとんどなくなり、「どう生きるか」ということが僕たちの大きなテーマとなった。

生きていこうと思えばいくらでも生きていける、でもそれだけじゃ満たされない、という事実を僕らは初めて突き付けられた。マズローという心理学者が欲求段階説を唱えていたが、まさにその欲求の段階が大きく上がったのがこの平成という時代だった。食料も物もいくらでも満ち足りている、だけど自殺者は増え続けた。生きる、ということの一筋縄ではいかない複雑さを僕たちは目の当たりにし、それに対する答えもまだ持ち合わせてはいなかった。

「どう生きるか」がテーマとなった時代だけに、この平成という時代には娯楽・エンターテインメントが爆発的に発展した。サブカルチャーという言葉も根付いた。どう日々を楽しく過ごせるかが問われ、すなわちそれは自分の心と真っ正面から向き合うということに他ならなかった。

これが、平成という時代を表現する大きな特長だろう。これほどまでに個人個人の心と徹底的に向き合うことが求められる時代は、歴史を紐解いてもそう多くはないはずだ。技術や経済の急激な発展がそれを可能にしたのだ。それに拍車をかけたのが、インターネットの普及だ。ネットがインフラとして当たり前の存在になったことによって、人々はずっと真摯に向き合い育んできた自分自身を世に表現することも可能になった。「どう生きるか」、そしてそれを「どう見せるか」。それは人間の根本にある欲求にダイレクトに結びついており、必然的に人々はますます自分のパーソナリティを見つめるようになった。この点においては、完全に平成独自のパラダイムシフトだと言い切ってしまって良いと思う。

だから少し乱暴な言い方をすれば、平成は「エモ」の時代だったと言えるんじゃないだろうか。これだけ「エモい」という言葉が人々の心を捉え、半ば盲目的に普及しているのも、その論拠になると思っている。だって「エモい」を一語で代替する日本語は存在しないわけで、それはつまりこの現象がこの国で未だかつてないものだったという証左だろう。

この夏が特殊な季節になった理由は、平成という時代がかつてない「エモ」の時代だっということに加えてもう一つ考えられる。それは「これが最後だと分かってしまっていたこと」だ。

通常、時代の転換は唐突に訪れる。天皇陛下の逝去がそのタイミングだから、それも当然だ。しかしこの平成の終わりだけは例外だった。僕には想像もつなかい様々な要因が絡み合って、平成という時代があと一年で終わるという事実を全国民が知ることになった。この現象だけでも、相当に稀なものであるはずだ。

人類史で類を見ないほど個々の心と向き合うことが求められた「エモ」の時代、平成。その時代が終わるということが明らかになり、高ぶった人々の感情が、最も心を搔き立てる言わば「感情」の季節である夏に爆発した。それがこの平成最後の夏だった。考えれば考えるほどに、この季節は奇跡的な時間だったし、きっと僕が生きているうちに同じような現象に遭遇することはないだろう。その夏が終わったいま僕の胸に根拠もなく去来する哀愁のような感情も、その感覚の正しさを物語っていると思う。

次の時代は、いったいどんな時代になるだろうか。今の僕にはさっぱり分からない。一つだけ確信しているのは、さらに「心」と向き合うことが重視される時代になるのだろうなということだ。だから僕はこれからも自分の心の声に率直に耳を傾けていきたいし、周りの誰かの心にも寄り添えるような人間でありたいと思う。「心」って、人間に与えられた最高の贈り物の一つだと思うから。

平成最後の夏が終わった夜に、そんなことをつらつらと考えた。

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