らせん階段

「できる」と思って始めたことも
やっていくと途中で
「できない」ことがたくさん出てきて

それを知るたびに無力感を強く持ってしまって
「できない自分を認める」で止まればいいのに
「がんばれない自分を責める」ところまで
進んでしまって。

ひとりでいると突然涙が溢れてしまって。

そんな時間を通して初めて知る自分もいる。

生まれてからずっと
一緒にいるはずの自分なのに
知らないことだらけ。

自分って何者なんだろうって。

自分って何が好きで、
何が苦手で、
何が大事で、
どんな道を進みたいんだろうって。

同じところをぐるぐる
回っている感覚もあるのだけど
らせん階段のように
少しずつ登っているのだと思う。

僕はそう信じたい。

時には踊り場も必要だし
時には階段を下ることも必要なんだと思う。

階段を上り下りしている過程って
ひとりに感じてしまうのだけど
でも絶対にひとりではなくて。

遠くから穏やかな瞳で眺めてくれている人も
階段の下のほうで
「いつでも戻ってきていいぞ~」って言ってくれる人も
階段の上のほうで
「どした~?まだか~?」って言ってくれる人も
手が届く範囲にいて
「だいじょうぶ」って微笑んでくれる人も
踊り場で座って
「少し休もうか」って言ってくれる人もいて。

あと何回このしんどさを
経験するんだろうって考えるけど
わかっているのは絶対にゼロでは
ないということだけ。

ただ言えるのは
絶対にひとりではないということ。

何度心に刻んでも、すぐにかすんでしまうけど。

でもそのたびに「もう一度こっちをよく見ろ」って
言ってくれる人たちがいるから
なんとか自分は生き延びているなあと思う。

この命がなんのために
この世の中に生まれたんだろうって答えは
たぶんどこにも落ちてなくて。

自分で感じて
自分で決めることなんだと思う。

僕の感情が動くその先に
答えがあるんだと思う。

と考えていると
いつの前にか心の声に
耳を傾けることをやめていた自分が
いることに気付く。

「だいじょうぶ。あなたの信じる道を進みなさい」
「だいじょうぶ。あなたの周りは愛で溢れているよ」

そんな言葉を自分にかけながら
心の声に耳を澄まして、今日も歩きます。

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