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「働くということ 『能力主義』を超えて」を読んでます。

正直、できるビジネスパーソンを自負する人には、タイトルを見て、「ああ、また競争を否定する能力主義批判か、関係ない」とスルーする人もいると思います。あるいは、そこまでできると自負していない人にも、「わかるよ、けど現実はね、そういうこと言ってもしょうがないよ」と言って関心を向けない人もいると思います。

筆者の勅使川原真衣氏は、大学院で教育社会学を専攻し、能力主義の権化といえる外資系コンサルを経て、独立して中小企業相手に組織開発を支援しています。

・真面目な組織開発支援の話だが、文章はいたってざっくばらん
・従来型の能力主義で人を切り捨てる経営は限界、能力より関係性、と繰り返し説く
・現状の「ダイバーシティ推進」が個人の許容度に頼ったつくりになっていることを指摘。それぞれ異なる見方を持つ他者と組み合わせることで、組織全体の視野狭窄に待ったをかける。それが多様性であり、包摂であり、エンパワメントの本来的な意味だ
・「働くということ」に欠かせないのは、「一元的な正しさ」を強制力をもって教え込むことでも、それを体現する「高い能力」「強い個人」でもない。むしろ、人間のどんなため息や弱音にも耳を傾けるような余裕や懐のようなものが望まれる。めんどくさいことの連続だが、それを避けていては成り立たない、働くとはそういうもの

”能力をより多く、より高く身につけた人が「自立」して生きれば、「よりよい社会」になるのでは……ないですよね。かつ、教育だけが「能力よりも関係性ですよね!」となっても、その思想が教育を受けた先の大多数の人が向かう労働の現場と接続していなければ、骨折り損ではないでしょうか。この単純な事実を、体制側、つまり社会経済の基盤に関する決定権を持つ人たちにご理解いただき、「人間観」を見直す形で、経済界からまず号令が出されることを祈るばかりです。脱・「能力主義」の開闢が来たるとしたら、そこからなのです。”

勅使川原真衣. 働くということ 「能力主義」を超えて (集英社新書) (p.119). 株式会社 集英社. Kindle 版.

能力主義によって切り捨てられ、自信を失っている人もいます。私も、外資系通信社で不本意な雇い止めに遭い、転職先が見つからずにフリーライターを名乗りながら、家族や福祉に支えられて生きてきました。それ以来、「能力主義とは」と社会に問うような発信を続けています。
いま私は、能力主義によって切り捨てられた人の声を拾うことを、日々の営みとしています。外資系企業のリストラをめぐる調査報道です。支えられる側から他の誰かを支える側になって、取材していくなかでも、様々な人が名乗り出てきて、色々なことが起きます。「人間のどんなため息や弱音にも耳を傾ける余裕や懐のようなもの」自分がまさにそれを求められている、と実感します。

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