歴史以後の動物と人間と、スノビズムについて

コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』に関するレポート。このレポートは、コジェーヴのいう人間と動物の区別の仕方がどのようなものであったのかをアガンベンの枠組みで考えてみようというもの。前回のアガンベンのレポートが前提になっている節があるが、読めなくはない。

1.はじめに


コジェーヴは、歴史の終わりに戦後のヨーロッパの没落を重ね、3頁にわたる膨大な注の中で日本に言及しつつ歴史以後の人間について述べた。そこでは、アメリカ式の消費社会を享受することによって動物化した人間が現れ、その後、日本のスノビズムが西洋を日本化することが予見されていた。この予見は単なるカルチャーショックに過ぎないものなのだろうか。日本旅行の印象を自分のヘーゲル解釈に強引に重ね合わせているのにすぎないのか。この点はおいおい検証するとして、東浩紀の著作を筆頭にして、コジェーヴの提示した人間像の影響は計り知れないことは確認しておこう。そこで本稿では、あえてポストモダンという言葉は使わず、ヘーゲル——コジェーヴの人間と動物の区分を手がかりにし、その区分が歴史以後の歴史においてはどのように機能できたか、できるのかということをフーコーとアガンベンを手がかりに考察し、最後に歴史の終わり以後の人間の姿である、スノッブについて考えてみよう。


2.人間と動物は何が異なるか


ヘーゲル—コジェーヴは、動物という語を独特な意味で用いている。彼らは、人間と動物を峻別する際に、主に人間的欲望と動物的欲望、「存在するもの」と「存在しないもの」という二つの対立図式を用いる。コジェーヴは人間という意味の自己意識の基礎には、人間的欲望があるという 。つまり動物的欲望は所与としての身体を超越せず、逆に欲望は所与存在を超越するものとして位置付けられる。言い換えれば、動物的欲望は、存在するものを欲すること、すなわち身体を満足させようとすることであり、欲望は、存在しないものを欲すること、すなわち所与を否定し、所与存在を超えて、他者に向かうことを意味する。「欲望は他者の欲望に、そして、他者の欲望にむかなわなければ人間的でない」 「したがって、行動しないこと、これは真に人間的な存在者として存在することではない。それは存在として、所与的、自然的な存在者として存在することである。したがってそれは堕落すること、禽獣となることである。 」以上から動物とは、動物的欲望に基づき存在するもの、所与存在に向かい、行動しない人間であるとまとめることができる。

ただし、この二項対立は、他の二項対立とは明らかに異なっている。なぜなら他の二項対立は一致し得ることが目的なのにも関わらず、人間と動物は一致し得ない。むしろ人間の究極のあり方は所与を捨てることにあるのだから。したがって、動物は〈奴〉たりえない。なぜなら動物は労働をしないからだ。この点で、動物と人間という区別はコジェーヴの提示する他の対立の中でも一際目立つ 。


3.人間と動物の区分―フーコー、アガンベンの観点から


先にヘーゲル=コジェーヴの人間の動物の区別が行動にあることを示した。ここでいう行動とは所与を否定し、「存在しないもの」を客観化することである。もっと具体的に言えば、社会的、道徳的、政治的運動によって命を投げ捨てても自由を実現することである。

ここで指摘したいのは、コジェーヴにおける独特な人間と動物の区別は、ビオスとゾーエの区別にかなり似ている点だ。というか、言葉の意味では等しい。政治的な生に対する私的な生、ビオスとゾーエは古くから論じられてきたが、ここではアガンベンによる問題提起を見ていこう。アガンベンはフーコーの論じた生権力に依拠しつつ、生権力がビオスとゾーエの両方を政治の対象にすることを論じている。「我々は、フーコーの表現にしたがえば、政治において問題となっているのが生きものの生である動物であるだけではない。我々はその逆に、自然的な身体において問題となるのが政治的存在そのものである市民でもある」 。「ゾーエーとビオス、私的な生と政治的な実存、家を場とする単なる生き物としての人間と、都市[国家]を場とする政治的主体としての人間との間の古典的な区別については、われわれはもはや何もわからなくなっている。 」アガンベンは、人間と動物を完全に分かれているものとしながら、それが交錯している閾を問題としているのである。
そしてアガンベンは、コジェーヴを以下のように論じている。「とはいえ、歴史以後における人間の動物性とはいったい何なのか。日本的スノッブと動物としての身体との間、そして、このスノッブの身体とバタイユが予見した無頭の生き物のあいだには、いったいどんな関係があるのか。コジェーヴは、人間と人間化した動物との関係において、否定や死の側面を優先するあまり、近代にあって人間(あるいはコジェーヴにとっては〈国家〉)が逆に自己本来の動物的な生に配慮しはじめるようになり、生権力とフーコーが呼んだ物において自然的な生が掛金にすらなっていく過程を見過ごしているように思われる」 。もはや、人間が問題とするのは、政治的な地平で語られる動物的な生、ビオスを覆い尽くすゾーエ、コジェーヴで言えば、否定すべき所与なのである。したがって、コジェーヴの区分は「古典的な区分」に過ぎないのである。


4.なぜコジェーヴは、動物になると述べたのか?


フーコーによれば、19世紀に権力がゾーエを対象に始めたことを特徴として取り上げ 、さらには弁証法的な歴史が終わるという 。よってコジェーヴの生きた時代では、生政治が対象とするのは、普遍性の実現にとどまらず、普遍性を支える個別具体的な生、欲望を支える「生」そのものなのである。したがって、動物的な生が「生かし死ぬに任せる」権力の対象になっている以上、命を賭ける闘争は存在し得えず、コジェーヴが所与としたものすら否定の対象にはならない、というより権力は「行動」させない。

また権力がゾーエを対象とするだけでなく、政治がビオスとゾーエの連関に注目している点も重要である。アガンベンは、ゾーエがビオスを侵食する様子を収容所に見てとっているのだが、この意味では、人間と動物は不可分であり、よってコジェーヴの人間と動物の区別は、コジェーヴの生きた世界にあってはすでに無効なものであり、行動は起きえない。その意味ではイエナの戦いでヘーゲル的な歴史は終焉したという主張は正しい。コジェーヴは、このことを感じ取っていたからこそ、動物化が起きると予言したのではないだろか。一方で、アガンベンの枠組みで言えば、生政治の目的は、人間を常に非人間に押し留めておくことなので(『アウシュビッツの残りもの』)、人間が動物化しているという予言は的中している。そこでは、剥き出しの生を生きる人間の姿があるのだから。

以上のアガンベンとフーコーの指摘を踏まえるなら、コジェーヴの歴史以後は以下のようにいえる。イエナの戦い以降は、歴史以後は、ビオスとゾーエが不可分だからこそ、永遠に動物が持続し続けるしかなく、行動が生まれることはない。それは生政治の狙いでもあるからコジェーヴの言ったことは正しい。


5.スノッブとは誰か?


では、動物以後に現れるスノッブとは誰か?筆者にはよくわからなかった。コジェーヴは、形式的価値観に基づいて行動する動物を幸福ではないにしろ満足であるとしているが、この点で見るとアメリカの生活様式も日本の形式主義もたいさないように思われる。著者はスノッブについてこれ以上の検討をすることはできないし、本文から読み取ることもできない。だが、この不明確さこそ、コジェーヴの努力があると言える。その努力とは歴史のおわりにあっても「「自然的」或いは「動物的」な所与を否定する規律」 をなんとか見出したかったのではないだろうか。コジェーヴにとって自分の生命を投げ打って理念を実現する動物こそ真の人間であるからだ。だからこそ、コジェーヴはハラキリや特攻隊の例を挙げているいのではないだろうか 。コジェーヴのいう本来の人間の姿を、そこに見出してしまったと著者は考える。ここから見えるコジェーヴの意図は、ヘーゲル的な歴史観を20世紀において復権させようとしているというものに思われるが、それも控えめである点でかなり苦心しているようだ。

おわりに

以上から、本論は以下のようにまとめられる、コジェーヴの人間と動物の区別は、フーコー、アガンベンの観点からすると、すでにコジェーヴの時代においては無効なものであった。というのも、ゾーエがビオスに侵食し、政治が動物性すら対象にする19世紀以降の社会では、人間性と動物性は複雑に入り組んでいるからだ。したがって、そこでは当然、行動は起こらず、命を投げ出してまで、すなわち所与を否定してまで普遍を客観化することはない。しかし、コジェーヴは、歴史以後の歴史を日本に見てしまった。無理矢理にも所与を否定する人間性を見出したく、日本旅行のカルチャーショックを自身のヘーゲル解釈に重ね合わせてしまったといえる。


【参考文献】

アガンベン、ジョルジョ『開かれ 人間と動物』岡田厚司、多賀健太郎訳、平凡社、2004年

アガンベン、ジョルジョ『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』高桑和巳訳、2003年

東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社、2001年

コジェーヴ、アレクサンドル『ヘーゲル読解入門―『精神現象学』を読む』上妻精、今野雅方訳、1987年

檜垣立哉『生と権力の哲学』筑摩書房、2007年。

フーコー、ミシェル『社会は防衛しなければならない』筑摩書房、2007年

フーコー、ミシェル「人間は死んだのか」根本美作子訳『ミシェル・フーコー思考集成 2 文学/言語/エピステモロジー』筑摩書房、2004年。


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