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【蓮ノ空】「見せている」部分と「勝手に見ている」部分の狭間で揺れるオタク

オッス。

竜胆祭にラブライブ!地区予選と諸々モリモリの今日という日に「何を今更」という話をします。そうしないと緊張しすぎて情緒不安定になるからです。

先に言っておくと、この記事は何かの解答に到達したという話でなく、ただの思考整理です。オチもないです。
自分の中で何も明確になっていないことを再認識する目的の文章なので、何か新しい価値を提供するものではありません。

勝手に私がドツボになってるだけなので、私がおかしいんです。
何にも迷わず応援できている貴方は何も気にしなくて良いです。

ほんへ

リンクラにおいて、私たちプレイヤーがアイドルと直接関わる機会は『With×MEETS』や『Fes×LIVE』という「活動の一環として見せるもの」以外なく、「ファン」以上の役割を与えられていません。

早速話が逸れますが、ストーリーに直接関わる役割を持ったプレイヤー人格がゲーム内に用意されていない形態は個人的に凄く好きです。プレイヤー人格に発情する女はなんか気持ち悪くて見ていられないので。

閑話休題。
ファンに見せる活動」としての配信は、私たちが享受するコンテンツとして何ら違和感はありません。

しかし、『活動記録 (ストーリー)』はどうでしょう。
「見せるもの」の裏側を「勝手に見ている」コンテンツであり、ファンの立場としては知りすぎてしまっています。

↑そもそもこの前提が間違っていれば何もかも解決だし、そうであって欲しいです

不要と断じたい、という話じゃありません。てか超必要です。
だからこそ揺れているのです。

私はどの藤島慈を好きになれば良い?

どんなめぐちゃんも可愛いですが、まあ一旦それは置いといて。

藤島慈、優雅に水面を漂う姿を「見せ」ていて、その水面下で水掻きする姿を「勝手に見られ」ている人物だと評価しています。

衆目に晒す姿とそうでない姿を使い分けるキャラクターはこれまでも多々いたと思います。ですが、これまでは直接関わるプレイヤー人格が用意されていたため、どの姿も等しく評価することができました。いずれも私に勝手に見られた姿ではないワケです。

「ファン」以上の役割を与えられておらず、本来水面下へのアクセス権限を持っているべきでない私は、水面を泳ぐ姿のみ享受するべきだと思うのですが、なんとまあ厄介なことに私はバタ足している方の藤島慈が本当に好きなんですね。不器用ながら筋を通そうとする強情な女、好きでしかない。

「結局私という人間によって観測されているんだから結果的に一緒」と考えればそれまでだし、こんな理屈捏ね繰り回す必要はなくなるんですが、観測に至る過程の話なんです。
知っているべきでない姿を基に特別な感情を抱いて良いのか?という問いです。罪悪感がそうさせる。

とはいえ他のキャラでもこんな面倒なこと考えてるの?と問われると、普通にNOです。この矛盾が更に私を苦しめる。

この解答に辿り着くまではどれだけ狂わされても藤島慈を推しと公言することはできないでしょう。めんどくせー奴。

それでは、竜胆祭と地区予選、カチ上げて参りましょう。
私は村野さやかのことを考えて情緒不安定になる勤めに戻ります。

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