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全員で切り開く時代

Noism、日本が世界に誇る舞踊団。

3日間の埼玉芸術劇場の公演の、2日目に見に行き、あまりの凄さにどうしてももう一度見たくて、最終日、当日券でもう一度見てきた。

すごい

などという月並みな言葉しか出てこないのが情け無いが、本当にすごかった。

映像と舞踊を使い、舞踊家の人生、現実と虚構、正面以外の角度を見せた「夏の名残のバラ」

映像舞踊「ボレロ」はコロナ禍のリモートによる様々な作品とは一線を画す、映像ならではの実験の面白さとパワー。

日本でダンスをする、ということへの金森穣の回答となる「Fratres Ⅲ」

「春の祭典」は、厳しい冬が明け、来たる春を迎えるときに生贄の少女が死ぬまで踊るという、1913年のニジンスキーによる初演から、ベジャール、バウシュ、コロナを経た21世紀の金森版。

100年経っても全く輝きを失わない音楽の力と、音の奔流に押し流されそうになりながら、大勢が同じ動きをする群舞の強さ、その一体感の中で異質な動きをした時に生まれる緊張感は、メンバーの日々の研鑽あってこその表現だった。

そして個々には殆ど差異が無いにもかかわらず、たまたま弾かれただけで、特定の個人が生贄になる構造を通り抜けた21世紀においては、生贄になるのは運の悪い誰かではなく、全員であるという、衝撃であり感動である終わり方に、震えた。



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