寺子屋じゃーさの進捗

岐阜県加茂郡七宗町でオルタナティブスクールを新たに始めようと活動を始めてきて、当初の予定と変わってきていることも含め現状報告します。進むうちにいろんなことが見えてくるし状況もいろいろと変化がある。なるほど、一から物事を立ち上げるってこういうことね、ということを実体験中です(笑)

いまもまだ完全な運営の形は定まっていないです。というのは、当初は地域生活支援事業という福祉事業の形で始めようと思っていましたが、七宗町にはその事業を行う規定が制定されていませんでした。なので、役場に地域生活支援事業として事業ができるような規定を作ってもらうところからのスタートです。なにせ、年度末だし、思ってもいない要望なので、と大変お困りの役場です。制定の見通しは?と聞くと、はっきりしたことはお伝えできませんとの回答。でもそれだと、こちらも事業を行うのに計画が立てられないですよね。当然、「経営」っていうのもからむし、私が大金持ちで余剰資金でやるならいつでもいいんだけど、事業資金を調達して、など考えるとあいまいなままではいけません。「それって、1か月くらいなのか、3カ月か、半年か、それともやりますっていう返答しながら実はやるつもりがない、っていうパターンだったりしますか?」と率直に質問。だって、役場ってそういう対応される、っていう風評があるでしょ?経験のない私には役場の言っているニュアンスが分からないので、まずは、なんでも率直に。

そうしたら嬉しい返事が。「もちろん、そんなやらないなんていうことはないですよ」と。←こんな返答レベルでも「嬉しい」と感じる事に市民が行政への期待がいかに低いか、が現れているとは自分でも思うけど。そして、そのあとに、「だいたい4月くらいまでには素案を作り、それから協議し決定という流れになるとは思うのですが、何せ初めての事なので」ということ。まあ、この感じからすると、5月に下りるかどうかっていうところですね。そして、その規定ができてからこちらは事業所申請するわけだから、その査定とかがあるでしょうし、そうなると実行できる現実的なところは、6月くらいかな、という見通しを持ちました。

さて、このやり取りの中で私の中に芽生えた思考が。それは、「ギリギリと仕事をしない」という思いです。というのは、この社会が苦しいっていうことの一つに「納期に間に合わせる」という圧力だとおもっているのです。日本は「圧力社会」と思っているのです。(これは夫の前の会社でも社風がそうであったりしたのと、私が大手スーパーの販促部にいた時も感じたこと)この、納期ありき、また、イベントに次ぐイベントの連続で日々の中に納期だらけ、という構造が非常に苦しかったのを思い出したのです。こういう会社にいると精神がおかしくなるな、と当時も思ったものでした。

そして、寺子屋じゃーさ(これは最初は「じゃーさの学校」と名乗っていましたが変更しました。これも後述します)も、あちこちの説明で4月開校、などと告知していたので、「みなさんにそうお伝えしたから行政のそのスピードでは困る!」という態度にでることがいまの社会っぽいことかな、と思います。または、そうしてくれない行政に対して、不平不満をぶつける、とか、ぶーぶー批判をしまくる、というのがよくある姿かな、とも。でも、私のいろんな活動の一番の根源たる思いは「社会を変えたい」というもの。その社会ってなに?というと、それは、「社会通念」だったり、「一般常識」だったり「固定概念」というものかな、と思えてきたのです。

なので、今の社会でない社会になって欲しいという私が、いまの状況に対してどういう行動にでるのが自分の作り上げたいものに対する「正しい振る舞い」かといえば、「自分自身が無理をしない」「相手ができない、といっているものをこちらからの圧力で無理強いしない」ということになるのです。
ということで、この七宗町で地域生活支援事業の事業者申請する、という動きは、先送りしましょう、ということになりました。(やらないと言っているわけではありません。できるようになってからそれを使わせてもらいましょう、ということです)

つぎに、名称が「学校」から「寺子屋」になったこともお伝えしないといけません。これにも意外と深い思考が働いています。学校という表現だとちょっと誤解があるなぁという感じを受けてきたのです。たまたま私を七宗町での学校創りに誘ってくれたのが町会議員さんで、その彼と学校創りになる地域活動を始めました。「じゃーさの学校」は最初から共有理念をもつ仲間(コミュニティ)で作ろうとしていて、あくまでも民間で立ち上げるし、運営も民間です。だけど、行政サポートを受けたい、という思いで連携が取れないか教育行政と対話をしていました。日本津々浦々、不登校児童生徒の生活面・学習面への対応は喫緊で人口が約3100人で子どもの数が180人の七宗町もご他聞にもれず、1割以上が該当者だそう。七宗町は人数が少数だからということが、幸いなのか、教育長の目が全体に行き渡っていて、この課題解決について本当に向き合っておみえです。なので、じゃーさの学校創りのことも何度も対話させて頂き、どういう部分で行政と連携が取れるかということを相談させて頂いています。

それが逆に町民の方に「町が不登校の子ども達の学校創りに関与している」というようなイメージを持たせているのかな、ということが起きました。私が仲間と行う「じゃーさの学校」は先に上げたようにあくまでも「理念」が先にある場所で、誤解を恐れずにいえば、誰でも利用していいですよ、という場所ではないのです。私たちが掲げる理念に共感して、その行動・振る舞いができる人に利用してもらう場になります。逆をいえば、理念共有できない方は利用をお断りするのです。それが、「町が関与している」と思っている町民の方から町議さんに「あんたが面倒みたってよ」という話がでているというではないですか。この町議さんというのは、私が一緒にやろうとしている人ではないですし、私たちの理念をまるっとは共有していない方です。私たちの理念というのは、先にも述べましたが「理念が共有できない人は入ってもらったら困る」くらいの意味合いです。それを町議さんが関与してくると、別の力が働くことは目に見えています。それは、民間の「自分の思うことをやりたい」と思って始めようとしている民間業者に対して大変僭越な振る舞いだと思うのです。

これは、大変危険だ、と思いました。そんな風潮が広がると、フィードバックして七宗町の教育の場にもそのような意識が広がりかねないと思いました(不登校児童生徒を町に変わって受け入れてくれる→自動的に誰でも入れると思われる)。私は現行の公教育とは全く違う、むしろ真逆の理念で子ども達の場を創りたいと思っています。それは、繰り返しますが「社会通念」「固定概念」「一般常識」を変えたいからです。当然、現行の教育概念とは異なる訳です。

私が一番、遠慮してほしいのは私が作りたいものを作れなくなる圧力です。私たちは(日本人は)「自由思想」で「自由な表現」を保証されています。私は、「私の自由な創造力のままに表現・出現させたい」という情熱で物事を生み出そうとしているのです。

このままでは、私の自由意思に蓋されてしまう!という危機感を覚えました。なので、どうしてそのように町民の方が思ってしまったのだろう、と考えたら思い当たったのが「学校」という名称でした。「学校」という単語が人々にもたらすイメージ。当然、日本全国、学校といえば、公教育を思い浮かべます。学校と聞けば、7歳で入学するときにランドセルを背負って、チャイムがなって、白い大きな校舎に向かって集団登校して。黄色い帽子をかぶって授業があって、給食は配膳係がグループになって配って、休憩時間は校庭に遊びに出て全員で掃除をして下校する、帰ったら宿題があって、テストがある。これらのイメージが簡単に想像できますよね、学校っていう単語。その上、学校の在りようは地域の人がウォッチしていて、登下校の班が乱れていたら、子ども達が挨拶をしなかったら、子ども達がたむろっていたら、用水路で遊んだら、夕方5時になっても家に帰らない子どもがいたら、「お宅の小学校中学校の児童生徒はなっとらん!」と苦情電話をいれて学校を支配しようとする地域住民を生む、あの学校です。

学校と学校に通う子ども達の姿をコントロールしてもよい、と思い違いをしている人が地域には一定数いるものです。そしてそういったタイプの地域住民は増えてきているのではないでしょうか。それらの声に学校が委縮して、子ども達の生活にたくさんの「ルール」を押し付けてきて、いまの「自由を奪われた学校」に変容してきてしまったのではないかな。という思いが私にはあります。そういう思いがあるので、関係していない町議さんに向かって「町議さん、世話してやってね」と町民さんが話していた、というのを聞いて、ぞわっとしたのです。とんでもない!そういうのを超えたいと思って創るオルタナティブスクールなのに!って。

で、そこでまた「オルタナティブスクール」という言葉にも注意を払ってみました。「オルタナティブ」というのは、厳密ではないですが、私の解釈では「もう一つの選択肢」や「並行の」という意味合いで、この言葉を使い始めたのは、「現行の公教育に変わる、選択できる学校」ということを社会へ伝えたいという思いだったのです。なので、「じゃーさの学校」もオルタナティブスクールなんです、なんて言っていました。

そうしていたら、上記のような出来事に遭遇しました。

一連のことを通して、私は自分の表現したいことは何であるか、問い直しました。私は一般的な「教育概念」を変えたいんだ。と思ったのです。である場合、「オルタナティブ」な「スクール」と言っていてはいけないな、と。

一方、「寺子屋」という単語のもたらされるイメージ。これはいまからやりたい事に近いし、日本の伝統的な子どもの学び舎のイメージがありますよね。「寺子屋」には「教育概念を変える」力があるなぁと思いました。

中学を出て高校受験などしなくても社会で生きていける、という力さえつけばよい、と思っている私にとって、その昔、15歳で元服して貴族や武士になれたことを思えば、その年でいっぱしの大人になれるわけです。育ち方次第で。また、徒弟に入って仕事の技能を身につけたりする、という成長の仕方の方が、人生においてもっとも時間の使い方が有効だと思っている私にとっては、子どもの成長を願う親・大人にとって、高校受験や大学受験ということを主眼にしない教育観が広がることが望ましいのです。むしろ、ニューウェーブ!!!

なので、「学校」とついてしまうとどうしても、現在の公教育の補完機能という見方をされてしまい、会話がつい「現行の教育観念」に引きずられてしまいます。私は、もはや、そもそもそのエスカレーターを壊したいと思っていて(壊すっていうか、そういうレールでない別のものを別に作りたいわけです)。上級学校に進むというエスカレーターの速度やゴージャスさや個別フィット感ということを目的として「じゃーさ」を創るのではなく、そもそも将来大人になるっていう道筋にエスカレーターじゃなくて、竹馬でもいいよね、なんなら、スペースシャトルでもいいよね。っていう別の移動手段を創りたい、ということです。

なので、その乗り物の先に、「上級学校に行くことが目標」というのはそもそもないわけです。もちろん、進行過程の中で、子ども達自身が上級学校を目指すというのは大いに応援します。そういう思いで「寺子屋じゃーさ」の組み立てを考え始めている、というのが、この2023年3月3日の現在地です。

ということで、まずは、大きく変更した点の報告をお知らせします。来週3月7日にはお借りしている古民家にきれいに残されていたかまどでご飯炊きと豚汁作りをします。人生初のかまど料理です。どんな展開になるのか、楽しみです!


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