いま、ライオンの隠れ家でどういう学校を目指すのか。一人の理事の考え ーその③ー

ライオンの隠れ家を立ち上げて「フリースクール構想」ができ、その学校創りの為に、まずはすでにデモクラティックスクールを運営している知り合いの方に、全3回の勉強会をお願いしました。それは私たちはフリースクールを創ろうとしていましたが、教員免許をもっている人や、教育学部を出た人が始めるわけではなく、とにかく今の学校を変えたい、自分がこういう学校だったらよかったのに、という熱意のある人が始めようとしていたので、なにをどう考えていいのか、まずは勉強しようとしました。

お聞きした講師の方が運営している学校は、アメリカのサドベリーバレーのデモクラティックスクールを倣ってみえました。その方と子どもや教育の話をしているときに、私が時折「~をさせてあげたいのよね」というと、「その”させる”というのをやめない?子どもをどうにかしようっていう考えはやめないと」とよく言われました。やはりつい大人が子ども「どうこうする」という思考が私の中にも根強くあるもんだと思いました。

もともと、私はデモクラティックスクールという言葉自体を実のところは2019年まで知らなかったくらいです。きのくに自由学校はデモクラティックではないでしょう。私がきのくに自由学校にあこがれたのは、「プロジェクト学習」というのが理想だと思ったところです。また、基礎学習の仕方について、既存の公教育の在り方のような座学で繰り返し覚えるようなやり方、ドリル、宿題、一方的な伝達形式の教え方というのを、きのくに自由学校では、先生が子ども達の様子を見て、関心を持ちやすい例題や手法で教授しているというのが素晴らしいなぁと思ったのです。定型の教科書やドリルでない学習方法の方が身に着く(やる気になる)というのをやってみたいと思いました。そしてなにより、集中してやりたいモノづくりや芸術に関わる時間を多く持つプロジェクト、に最もあこがれを持ちました。

あとは、この日本社会で生きていくのには、やはり読み書きそろばんは必須だろうと思っています。私は寺子屋というのは日本の文化の中で非常に学び深いものだったようなイメージがあり、尊敬する師範に習う、学ぶというのは、とても凛としてそれについてもあこがれていました。それは、権威のある大人や先生に教えてもらえばいい、という意味ではなく、尊敬でき信頼している人に習うというのは、その人を思慕する思いから身に着くと思うのです。なので、学校にとってなにより大切なのは、子どもと大人との信頼関係があるかどうか、だと思うのです。学び舎に必要なのは、愛と信頼に基づく人間関係が先であり、その後に教育手法がある。それは寺子屋風だろうという思いでした。

そして、ライオンの隠れ家は事業を始めていましたが、最初は福祉事業の「日中一時支援事業」という部門の福祉サービスを大人の方向けに行っていました。まだ、フリースクールは稼働していませんでした。構想はあり、勉強会はしましたが、実際に通う子ども達がいませんでしたし、まだどうやってフリースクールを始めるか、具体案がありませんでした。

ところが2021年の夏休みの終わる頃に私の娘(当時 中1)が、「学校に行きたくない」と言い出しました。中学生になってから、ポツポツ学校を休んでいた娘ですが、ついに学校へ向かえなくなりました。それで、フリースクールはついに「自分事」になりました。時を同じくして知り合いから、二人の娘さんを小学校に通わせるのをやめることを決めた人がいる、と聞きました。その方は、マスク生活を強いられる学校に子ども達を通わせることがどうしてもできない思いになったとのことでした。それと、日中一時支援事業の福祉サービスの利用者に1人だけ中学生が来ていたので、その子どもさんにももっと子どもらしい時間が過ごせる環境を創ろうと、2021年の10月にいよいよフリースクールを始める事になったのです。

始めるにあたり、私自身は、本業の運営に忙しく時間を取ることが厳しいですし、そもそも親子で時間を過ごすことは私にとって望ましくない。フリースクール専門で子ども達の見守りをしてくれるスタッフさんに来てもらうことにしました。誰にとっても全部初めてのことで、学習の仕方をどうするのか、一日の過ごし方はどうするのか、全く手探りでした。それでもまずは学校に行かなくなった子ども達が、時間を無為に家庭で過ごす、というのを回避する事が最優先でした。それで、始まった当初は「居場所」的な感じでスタートしましたが、もちろん、「居場所フリースクール」を目指すのではなく、もともと、ライオンの隠れ家を立ち上げた趣意に即したものを創り上げるつもりでした。

話しは前後しますが、ライオンの隠れ家を立ち上げた趣意は「やさしさの循環する社会を創る」「何があっても生き抜いていけるコミュニティを作る」です。私たちはこの共通の思いを持つ人達の集まりなのです。「コミュニティ」が先にあるのです。その下に「学校を創る」があるのです。なぜ学校が後にきたのかというのは、コミュニティの理念、思想を支えるものは教育だからです。私たちはいまの社会の在り方を「生きにくい社会」と捉えており、もっと「生きやすい社会」で生きたいと思っているのです。生きやすい社会というのは、いまの社会の在り方と違う社会です。それをのちに「オルタナティブな社会を創る」という言い方をしています。私たちの学校を当初は「フリースクール」と呼んでいましたが、私たちは「フリー」な学校を創るのではなく、「オルタナティブ」(もう一つの選択肢)な学校を創ることをしたいんだ、とはっきり認識したので言い方を変えました。

いまの社会の中にある「学校という概念」は同じで、公教育じゃない自由な学校を創りたいんじゃない。ということです。社会の概念そのものを変えたいのです。いわゆる社会通念、常識と捉えていることを疑いもする人物になってよい。その常識が正しいということすら、固定概念と観念であり、それ自体が「作られた(作為)」ものかもしれない。=いま、私たちが心の中で苦しい(自己矛盾がある)ということで、すでにそれには従いたくない、と思っている以上、「その常識は私の心は従えない」のです。そういう事柄が溢れる現代社会から抜け出たいという思いの人たちが、今の社会とは別の観念の社会を創りだそうとしているコミュニティなのです。当然、概念の変容が私たちにある以上、既存の学校の延長線に私たちの学校はなくてもいいのです。むしろ延長線上にあることは、矛盾になるのです。

そういったことがはっきりと認識できてきたのが2022年春の頃です。その頃から、私の中できのくに自由学校は心の占める位置が遠くへ行ってしまったのです。それのきっかけをくれたのは、ライオンの隠れ家の杉山代表が言い出した「闘わない、争わない、競わない」学校を創るということでした。この言葉は私には、結構衝撃的でした。みなさん、そういう思いや、言葉は自分から生まれますか。私は、全然自分からは生まれないです。でも、聞いたとき、何か「すごいことを聞いた」という思いになりました。一方、しばらく何を言っているんだろう、とも思いました。しかし、ずっと頭に残り、常にその言葉が浮かんでくるようになりました。そして、「そうか!概念がまったく変わるんだ」と思ったのです。概念というのは、この世の中のすべての概念の事なんです。・・・というのは、すぐに到達したのではなく、考えて考えて、だけど、自分の振る舞いにはまだまだその旧態然の概念は根深く、それを自分で感じるたびに、そうか、これが、私が受けてきた「教育」のなせる業なんだ、と実感したのです。

そう。だから、オルタナティブな社会を創りたい私は、概念の180度転換する「闘わない、争わない、競わない」教育を目指す、に至るのです。そしてそれは、繰り返しになりますが、既存の教育の延長線ではないのです。


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